「陽貨 第十七」
平成29年6月より
原文 | 読み | 現代語訳 | |
5月17日 |
一、陽貨欲見孔子、孔子不見、帰孔子豚、孔子時其亡也、而往拝之、遇諸塗、謂孔子曰、来、予与爾言、曰、懐其宝而迷其邦、可謂仁乎、曰、不可、好従事而亟失時、可謂知乎、曰、不可、日月逝矣、歳不我与、孔子曰、諾、吾将仕矣、 |
陽貨、孔子を見んと欲すれども。孔子まみえず。孔子に豚をおくる。孔子その亡きをうかがいて、往きてこれを拝さんとす。これに塗(みち)に遇う。 孔子に謂いて曰く、来たれ。予(われ)爾(なんじ)と言わん。曰く、その宝を懐きてその邦を迷わす、仁と謂うべけんや。曰く、不可なり。事に従うを好みて、しばしば時を失す、知と謂うべけんや。曰く、不可なり。日月逝きぬ、歳、我と与ならず。孔子曰く、諾(だく)。吾、将に仕えんとす。 |
陽貨が孔子に面会しようとしたが、孔子は会わなかった。陽貨は豚を贈り物として贈ったが、孔子は会いたくないので陽貨の留守をうかがって返礼した。しかし、途中で陽貨と遭遇してしまった。陽貨は孔子に話しかけた。『さあ、私のもとに来なさい。私と共に語り合おう。身に宝を抱きて、国家を混迷に陥れている、これを仁と言えるのか』。孔子は言われた、「仁とは言えない」。陽貨は更に語られた。『進んで政治を行いながら、しばしば時機を逸してしまう、これを知と言えるだろうか』。孔子はお答えになられた、「いや、知とは言えない」。陽貨はおっしゃった。『月日は淡々と過ぎていくものだ。歳月は、私を待ってはくれない』 孔子は言われた 「その通りです。私も近いうちにあなたにお仕えしましょう」。 |
5月18日 |
二、子曰、性相近也、習相遠也、子曰、唯上知与下愚不移、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「人間の生来の性質は似たようなものだ。だが、その後の学習によりその性質に違いが生まれるのだ」。先生が言われた、「多くの人は学習・努力により変われるが、ただ最高の知者と最低の愚者は変わらない」。 |
5月19日 |
三、子之武城、聞絃歌之声、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游対曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子学則愛人、小人学道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戯之耳、 |
子、武城にゆき、絃歌の声を聞く。 夫子、莞爾として笑いて曰く、鷄を割くに焉んぞ牛刀を用いん。子游対えて曰く、昔者、偃、やこれを夫子に聞けり、曰く、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易し。 子曰く、 二三子よ、偃の言、是なり。前言はこれに戯れしのみ。 |
先生が武城に行かれると、弦楽器の伴奏に合わせた歌が聞こえてきた。 先生がにっこりと笑って言われた。 『鶏をさばくのに、どうして大きな牛刀を使うのだろうか?』。武城の城主・子游が申し上げた。『私は過去に先生からお聞きしました。「君子が道を学ぶと人民を愛すようになり、小人が道を学ぶと扱いやすくなる」と』。 先生が言われた。 『諸君。子游の言葉は正しい。さっきの言葉は戯れであった』。 |
5月20日 |
四、公山不擾以費畔、召、子欲往、子路不説曰末之也已、何必公山氏之之也、子曰、夫召我者、而豈徒哉、如有用我者、吾其為東周乎、 |
公山不擾(こうざんふじょう)、費を以て畔(そむ)く。よぶ。子往かんと欲す。子路説ばず、曰く、之く末き(なき)のみ。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之かんや。 子曰く、 夫れ我を召す者にして、あに、いたずらならんや。如し我を用うる者あらば、吾はそれ東周を為さんや |
公山不擾が費を拠点として叛逆を企て、孔子を招いた。先生はこれに応じようとした。子路はこのことに不満を覚えて言った。費に行くことはないと思います。どうして裏切り者の公山氏のところに行くのですか。 先生が言われた、 「あの人が私を招いたのだ。何も理由がないということはないだろう。私の思想を採用してくれる人物がいれば、私はその地を東周にしたいと思っている」。 |
5月21日 |
五、子張問仁於孔子、孔子曰、能行五者於天下為仁矣、請問之、曰、恭寛信敏恵、恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人、 |
子張、仁を孔子に問う。 孔子曰く、 能く五者を天下に行なうを仁と為す。これを請い問う。 曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任ず、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。 |
子張が、孔子に仁について質問した |
5月22日 | 六、沸キツ招、子欲往、子路曰、昔者由也聞諸夫子、曰、親於其身為不善者、君子不入也、ヒツキツ以中牟畔、子之往也如之何、子曰、然、有是言也、曰不曰堅乎、磨而不燐、不曰白乎、涅而不緇、吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食、 |
ヒツキツ招す。子、往かんと欲す。子路曰く、昔者(むかし)、由や諸(これ)を夫子に聞けり、曰く、親ら(みずから)その身に於いて不善を為す者には、君子入らず。ヒツキツ中牟(ちゅうぼう)を以て畔く(そむく)。子の往かんとするや、これを如何。 |
ヒツキツの招きに応じて、先生が出かけようとなされた。子路が言った。昔、私は先生からこう教えて頂きました。「君主自身が不善を行っている国には、君子たる者は入国してはいけない」と。ヒツキツは中牟に依拠して晋に反逆しています。 先生がそこに行こうとするのは、どういうことでしょうか。先生が答えられた、「その通りだ。しかし、こういう格言もある。「ほんとに堅いという他はない、砥いでも砥いでも薄くならないのは。ほんとに白いという他はない、染めても染めても黒くならないのは」と。私がどうして苦い瓜になることができるだろうか。どうして蔓にぶらさがったままで、人間に食べられずにいられるだろうか(仕官せずに在野の士で居続けるのもまた難しいものなのだ)」。 |
5月23日 | 七、子曰、由女聞六言六蔽矣乎、対曰、未也、居、吾語女、好仁不好学、其蔽也愚、好知不好学、其蔽也蕩、好信不好学、其蔽也賊、好直不好学、其蔽也絞、好勇不好学、其蔽也乱、好剛不好学、其蔽也狂、 |
子曰く、由よ、女(なんじ)六言六蔽(りくげんりくへい)を聞けるか。対えて曰く、未だし。居れ、吾女(なんじ)に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれば、その蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、その蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞(こう)。勇を好みて学を好まざれば、その蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。 |
先生が言われた、
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5月24日 |
八、子曰、小子、何莫学夫詩、詩可以興、可以観、可以群、可以怨、邇之事父、遠之事君、多識於鳥獣草木之名、 |
子曰く、 小子(しょうし)、何ぞかの詩を学ぶ莫きか。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。これを邇く(ちかく)は父に事え(つかえ)、これを遠くは君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。 |
先生が言われた、 「弟子たちよ、どうしてあの「詩経」を学ばないのだ。詩は心を奮い立たせ、物事を観察することができ、人々と共に友好を深められるし、政治批判や恨み言も表現することができる。近いところでは父にお仕えし、遠いところでは君にお仕えする、鳥獣草木の名前を覚えることもできるのだ」。 |
5月25日 |
九、子謂伯魚曰、女為周南召南矣乎、人而不為周南召南、其猶正牆面而立也与、 |
子、伯魚に謂いて曰く、 女(なんじ)、周南、召南をおさめしか。人にして周南、召南をおさめざれば、それ猶、正に牆に面して立てるがごとし。 |
先生が息子の伯魚に言われた、 |
5月26日 |
十、子曰、礼云礼云、玉帛云乎哉、楽云楽云、鐘鼓云乎哉、 |
子曰く、 礼と云い、礼と云う、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云う、鐘鼓を云わんや。 |
先生が言われた、 |
5月27日 |
十一、子曰、色試ァ内荏、譬諸小人、其猶穿愉之盗也与、 |
子曰く、 色氏iはげ)しくして内荏らか(やわらか)、これを小人に譬うれば、それ猶(なお)穿愉(せんゆ)の盗のごとき。 |
先生が言われた、 「顔つきは厳めしいが、内面はぐにゃぐにゃなのは、小人にたとえると、壁・塀に穴を開ける盗人のようなものだろう」。 |
5月28日 |
十二、子曰、郷原徳之賊也、 |
子曰く、郷原は徳の賊なり。 |
先生が言われた、 「似非(偽者)の君子は、道徳の賊徒・盗人である」。 |
5月29日 |
十三、子曰、道聴而塗説、徳之棄也、 |
子曰く、 道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄つるなり。 |
先生が言われた、 |
5月30日 |
十四、子曰、鄙夫可与事君也与哉、其未得之也、患得之、既得之、患失之、苟患失之、無所不至矣、 |
子曰く、 鄙夫は与に君に事うべけんや。その未だこれを得ざるに、これを得んことを患え、既にこれを得るや、これを失わんことを患う。苟くもこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし。 |
先生が言われた、 「低劣な男には主君にお仕えすることは出来ないだろう。彼が目指す地位・俸給を手に入れないうちは手に入れようと気にするし、手に入れてしまうと失うことを心配する。もし失うことを心配するというのなら、それを守るためにどんなことでもやりかねない」。 |
5月31日 |
十五、子曰、古者民有三疾、今也或是之亡也、古之狂也肆、今之狂也蕩、古之矜也廉、今之矜也忿戻。古之愚也直、今之愚也詐而已矣、 |
子曰く、 古者(いにしえ)民に三疾あり。今や或いは是(これ)これ亡きなり。古の狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)。古の矜(きょう)や廉(れん)、今の矜や忿戻(ふんれい)。古の愚や直、今の愚や詐なるのみ。 |
先生が言われた、 |
6月1日 |
十六、子曰、巧言令色、鮮矣仁、 |
子曰く、 巧言令色、鮮なし仁。 |
先生が言われた、 「言葉だけが上手い人には本当の仁徳が少ないものだ」。 |
6月2日 |
十七、子曰、悪紫之奪朱也、悪鄭声之乱雅学也、 悪利口之覆邦家、子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 |
6月3日 |
十八、孺悲欲見孔子、孔子辞之以疾、将命者出戸、取瑟而歌、使之聞之、 |
孺悲(じゅひ)、孔子にま見えんと欲す。孔子辞するに疾を以てす。命を将なう(おこなう)者、戸を出ず。瑟(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。 |
孺悲が孔子にお会いしたいといって来た。 しかし、孔子は病気だと言って断られた。孔子の言葉の取次の人が戸口を出て行くと、孔子は瑟をとって歌って、孺悲に聞こえるようにされた(仮病だということを孺悲に知らせた)」。 |
6月4日 |
十九、宰我問、三年之喪期已久矣、君子三年不為礼、礼必壊、三年不為楽、楽必崩、旧穀既没、新穀既升、鑚燧改火、期可已矣、子曰、食夫稲、衣夫錦、於女安乎、曰、安、女安則為之、夫君子之居喪、食旨不甘、聞楽不楽、居処不安、故不為也、今女安則為之、宰我出、子曰、予之不仁也、子生三年、然後免於父母之懐、夫三年之喪、天下之通喪也、予也有三年之愛於其父母乎、 |
宰我問う、三年の喪は期にして已(すで)に久し。君子三年礼を為さざれば、礼必ずやぶれん。三年楽を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀既に没き(つき)て新穀既に升(のぼ)る、燧を鑚り(きり)て火を改む。期にしてやむべし。子曰く、 かの稲を食らい、夫の錦を衣る、女(なんじ)に於いて安きか。曰く、安し。女安ければ則ちこれを為せ。夫れ君子の喪に居るや、旨きを食らうも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処安からず、故に為さざるなり。今女安ければ則ちこれを為せ。宰我出ず。 子曰く、 予の不仁なるや、子(こ)生まれて三年、然して後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予やその父母に三年の愛ありしか。 |
宰我がお尋ねした。三年の喪は一年にしても十分です。君子が三年間も礼を実践しないと、礼は崩壊するでしょう。三年間、音楽を演奏しないと、音楽も崩壊するでしょう。一年経過すれば旧年の穀物は食べ尽くされ、新しい年の穀物は豊かに実っているし、一年のはじまりに、木をこすり合わせて新たな神火を灯す。喪は一年で十分だと考えます。 先生が言われた、 「あの米を食べ、あの錦の衣服を着ることは、お前にとって安楽なのであろうか」。宰我が答えた。心地よいものです。 |
6月5日 |
二十、子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉、不有博奕者乎、為之猶賢乎已、 |
子曰く、 飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博奕なる者あらざるか。これを為すは猶、已むに賢れり。 |
先生が言われた、 「腹一杯に食べて一日を終わり、何事にも頭を働かせない、困ったことだ。さいころ遊びや、囲碁・将棋というのがあるだろう。そういった頭を使う遊びをするのは、何もしないよりはまだましかな」。 |
6月6日 |
二十一、子路曰、君子尚勇乎、子曰、君子義以為上、君子有勇而無義為乱、小人有勇而無義為盗、 |
子路曰く、 |
子路が言った。君子は勇気を尊重しますか。 先生が言われた、 「君子は勇気よりも正義を上位に置く。君子に勇気のみで正義がなければ、乱を起こす。小人に勇気のみで正義がなければ、力づくの盗賊になってしまう」。 |
6月7日 |
二十二、子貢問曰、君子亦有悪乎、子曰、有悪、悪称人之悪者、悪居下流而山上者、悪勇而無礼者、悪果敢而窒者、曰、賜也亦有悪乎、悪徼以為知者、悪不孫以為勇者、悪訐以為直者、 |
子貢問いて曰く、君子も亦た悪む(にくむ)こと有るか。 子曰く、 悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下流に居りて上をそしる者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒がる者を悪む。 曰く、 賜や、亦た悪むこと有り。もとめて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇と為す者を悪む。訐きて(あばきて)以て直と為す者を悪む。 |
子貢がお尋ねした。君子でも憎悪がありますか。 |
6月8日 |
二十三、子曰、唯女子与小人、為難養也、近之則不遜、遠之則怨、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「女子と小人だけは取り扱いにくいものだ。優しく近づけると無礼になり、疎遠にして冷たくすると恨まれてしまう」。 |
6月9日 |
二十四、子曰、年四十而見悪焉、其終也已、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「年齢が40歳にもなって人に憎まれるというのでは、終ってるね」。 |