6月18日 神を見るとは
世に神を見たとか、神の声を聞いたとかいう一種の神秘的経験を奇瑞として狂喜するものがある。それは必ずしも迷信とか精神病的現象として貶すべきものではない。人間は物質的な世界にありながら、無限に拡がっておる不可思議な世界に遊ぶことはできる。しかしそれは、なかなか以てそう簡単なむしの好い沙汰ではない。瑞祥だと思っておることが、案外不祥であるかもしれない。不祥ということは内心に対する警告である。何事も自己の内心を通して始めて真実の意義があるので、徒に外物を欲しがるかぎり真実の意義はわかるものではない。 百朝集