日本、あれやこれや その38
平成19年6月度

 1日 東京裁判当事者の述懐

マッカーサー自身も帰国後、議会という公の席で日本の過去の戦争は全て自衛の為の戦いで、自分が実施した東京裁判は間違いであったと述懐しているのだ。 更に、裁判実施の中心人物であった、ウエップ裁判長も、鬼検事と言われたキーナン検事も、帰国後揃って、東京裁判は行き過ぎで誤っていた、と深く反省すらしているのだ。
 2日 フルブライト氏の発言 米国上院議員で、フルブライト留学制度の創設者のフルブライトは、原爆投下などで日本に与えたアメリカの残虐行為に対する懺悔の印として、この制度を始めたと明言している。 この制度で戦後、多くの日本のリーダーが育てられたのである。悪い戦争を仕掛けてしまったという反省・謝罪のフルブライトの気持ちは、米国の多くの識者共通の心情である。だから、日本人も戦後、アメリカに惻隠の情であいまいのままにしてきた。
 3日 米国の食糧支援 また米国進駐軍は、大量の食糧を放出し、飢餓を救い、一般大衆に温かく接し、国土復興に手を貸してくれたのは何故であろうか。予想外のこの米国の寛大さに国民はすっかり安心してマッカーサーに感謝したのである。
この裏を読むと、広島、長
崎の大虐殺、百余りの都市の無差別爆撃など、多くの残虐な戦争犯罪に、秘かに謝罪し償いの気持ちを表明むしていたのではなかろうか。米軍の犯した戦争犯罪の大きさから考えて、これくらいの恩恵で日本人は騙されてもならないのである。
 4日 謝罪を続ける末路は 戦争の当時者である日本の敵の米英が、賠償金も取らず、秘かに謝罪していると見えるこの事実がある。だが日本が戦後一貫して謝罪し続けているのは、日本の四人組の謀略である。特に日本の反日マスコミが以上の事実を知っているのだが、これらの情報を封印して、国民に知らせなかった。 左翼革命思想の「社会党・共産党、進歩的文化人、労組が、占領体制のままの方が革命に都合がよかったのである。彼ら四人組は、戦後一貫して日本の戦争責任を声高に叫んだが、日本をダメにした彼ら自身の「戦後責任」を糾弾しなくてはならない。
 5日 過度の自己反省 日本が謝罪国家になった理由の一つは、日本国民の美徳から来ている。自己反省、武士道に起因する「自己反省」の心情である。東照公の遺訓「己を責めて、人を責むるな」。これは正直な農耕民族の我々には含蓄のある言葉で多くの日本人は身につけている。
肉食民族は、弱肉強食であ
り国際場裏では、全く通用しない。欧米・中国を見れば解る。日本の外に出れば、「人を見たら泥棒と思わなくてはならぬ」。外交などは騙しあいの場である。メデイアの煽りに乗らないことである。狩猟民族は、「ワナ」と「オトリ」は日常茶飯事で騙さされる方が悪い。証券・金融市場を見れば一目瞭然である。
 6日 米国の巧みな戦略

米国は、大東亜戦争の原因を、占領政策遂行の過程で、日本人の美徳を巧みに逆用し、悪いのは日本人自身であった、と敵のアメリカ側を少しも憎まず怨まないようにした。
国民は悪いのは日本の戦前

体制、制度、戦争、軍閥、教育などに怨みをぶつけるように誘導したのである。戦争犯罪意識の原罪を骨の髄までに染み込ませられて自責、謝罪が美徳のように飼いならされたのである。

 7日 民族自尊心 いかなる民族にも自国に対して「自尊心」を持つ、普通のことなのである。だが、戦後日本は「自責」を繰返し「自虐」にまで追い込まれた。その自虐も近年では、重症な「加害妄想狂」に陥り、自暴自棄的となり、個人の自殺から、国家の 「自滅」亡国も辞さない異常事態になってしまった。お先棒を担いでいるのが、民主党始めとする左翼政党、日教組で彼らは戦勝国アメリカの占領直下の敗戦直後日本のままなのである。彼らは日本の滅亡を急いでいる。
 8日 国家の滅亡原因 文明や国家の滅亡は、外敵の侵入でなく、内側の「退廃」と「内部崩壊」である。 それはトインビーの歴史研究が指摘している。それはローマ帝国の滅亡、カルタゴ滅亡の事例からの指摘である。
 9日 独立国家の条件 自主独立国家が持つ基本権とは、三つある。
第一は「歴史の自己解釈権」、
第二は「戦争権」である。それは開戦権、交戦権である。
第三は「憲法の自己制定権」である。
この三つの国家基本権が否定、否、日本人の一部が否定しているような言動をしている日本は独立国と言えない。
10日 愚かな一部の日本人 自分の国の国史の教科書を他国にお伺いを立てて決めて貰うのは、過去の日本の歴史にはない。そんなことをすれば、外国は自分の都合のいいように主張するのは明白でありナンセンス。これ程の愚かな国は世界に無い。

一段と悪いのは、更に進んで「自虐史観」を正当化しようとする一部勢力の反日である。これが深く国民の間に浸透しているから注意しなくてはならぬ。それは戦後日本人の国史の不勉強からきている。 

11日

戦争権 

戦争権は国際法で認められた独立国家の最重要権利である。国民の生命財産を守れない国は国家ではない。北朝鮮の拉致など、本来は戦争で取り戻すべき性質

である。
国民が拉致されても、侵略されても戦えないような国は国家ではない。自らを縛っておいてきた戦後日本人は国家といえない。
12日 憲法 現憲法は明白に戦時下に敵の都合で押し付けられたもので、日本国家国民自身の手で制定したものではない。これだけ明白なものを認めて自身の手で作り直そうとしない人々は日本国民と言えない。
戦時下で押し付けられた憲
法は国際法違反である。これを六十年間も改定しないとは、愚かそのものである。例え、結果的に現憲法通りになったとしても自らの手で仕切り直すのがまともな国民である。2千年の伝統ある国民の良しとしないところである。
13日 まほろば 日本の心のことである。古代から我々の祖先は自分の国のことをヤマトと呼び誇りにしていた。第十二代景行天皇紀には「大和は国のまほろば」とある。 「まほろば」とは優れたよい所、良い国の意味である。奈良県は第一代神武天皇の都があった所で、日本国発祥の地でありそれをそのまま国名にしたものである。
14日 ヤマト ヤマトに大和としたのは、国の理想が「和」であったからだ。これに大いに優れているという意味の大をつけて大和としたのである。和は日本精神の基本中の基

本、和は「おだやか」「なごやか」、「のどか」、仲良くするの意で、調和・平和・温和・和睦など日本の心にぴったりである。和は輪に通じ円満、日の丸の旗にも示されている。 

15日 和は日本の代名詞 我々は日常、和食、和室、和服、和紙、和歌、和洋など、和を日本の代名詞として何の疑問もなく使用して いる。それだけ日本人は自分の国を、おだやかな平和の国と無意識に思っている。
16日 大東亜戦争の意義 この戦争は、日本の歴史から見て、これ以上の大事件は無い。世界人類の歴史から見ても、これ以上の戦争はあるまい。

アレキサンダー帝国建設、ジンギスカンの大遠征、ナポレオン戦争も、第一次世界大戦も、大東亜戦争の規模・内容、結果から比べたら物の数ではない。 

17日 大東亜戦争の意義 2 この戦争の戦域は、北はアリューシャン列島から南はオーストラリア、ニュージーランド、東はハワイからアメリカ、西はインド洋にまたがり、ほぼ地球半分に及んだ。タイムは、シナ事変から大東亜戦争を経て、アジア各国の独立戦争を加えて、約15年の大戦争であった。 大東亜戦争の真の評価は、個々の戦闘の勝敗は問題でなく、第一に目的は何であったか、第二は、いかに戦ったか、そして第三は、結果はどうだったかで評価されるべきだ。目的は、白人支配から人類の解放の聖戦、結果は植民地民族全ての解放、地球の地図が一変した大成功といえるのだ。
18日 日本人はいかに戦ったか では、この大東亜戦争で日本人はいかに戦ったか。それは当時、明治、大正、昭和一ケタ生まれの日本人一億が、あれ程、全智、全能を尽くして立ち向かった戦争はかって無かった。

遠く、南洋の島々、酷寒の北の島で、或いは大陸の?野で一身を国に捧げ特攻精神で、生命を賭して、あれ程勇敢、壮絶に戦ったことはない。 

19日 有色人種代表の日本

当時、白人帝国主義、白人植民地主義の巨大な勢力に立向かえる民族は、有色人種では、日本人以外には世界には皆無であった。日本は有色人種代表として  敢然とこれに向かって戦ったのだ。
サンフランシスコ条約講和条約の時48ヶ国もの多い

相手と調印したことは、当時全世界の最強豪の白人勢力と、これにゴマすりの国々を加えて、殆どの全世界を向こうに廻して奮戦、激闘したこととなる。日本人の勇敢、壮烈さは世界の驚異であった。日本歴史上、空前絶後の戦い振りであり、何ら恥ずべきところは無かった。
20日 人類解放の三大革命 大東亜戦争で、日本は唯一、原爆の洗礼を受けた、これが最初で最後の原爆となろう。日本人は人類を代表して二度とこのような忌まわしい禍が起きぬように、イケニエの犠牲となった。大東亜戦争は、人類最後の最終大戦争、「ハルマゲドン」であった。

世界史上の近世、人類解放の三つの革命があった。「産業革命」、「フランス革命」と「大東亜戦争」である。産業革命では労働からの解放、フランス革命では、自由と平等。そして大東亜戦争では、有色人種40

億人が白人の奴隷支配から解放されたのである。「偉大な解放」と言える。

21日 負けて勝った大東亜戦争 有名な軍事学者、プロイセンのクラウゼ・ヴイッツの戦争論は「戦争に勝ったかどうかは、その目的を果たしたかどうかで決まる」という。これを引用した英国の学者は「大東亜戦争に勝ったのは日本、負けたのは英国」と判定している。 七つの海を制覇した英国は全てを喪失しヨーロッパ西端の一島国の昔にかえされた。フランスもオランダ、ポルトガル、スペインも植民地を追放されて500年前のヨーロッパの自国領土に押し戻されたのである。
22日 アメリカの失敗 では、大東亜戦争の一方の主役アメリカ、アメリカは日本との戦闘には勝ったが、その目的を果たしたのか、それは「否」である。アメリカは当初ライバル日本を潰してアジア大陸の覇権を独占したいとの目的は完全に失敗した。

日本を潰したお陰で、シナ大陸は全て共産主義の支配下となった。アメリカはソ連のスターリンの敵同士戦わせる孫子の兵法のワナに完全に嵌められた事に気付き長い米ソ冷戦という重荷を背負うこととなったではないか。

23日 アメリカにとり太平洋戦争とは? アメリカにとり太平洋戦争とは何であったのか。目的を果たさず、空しさが残るだけではないか。結果はベトナム戦争で再び敗戦し疲弊した。
大東亜戦争は「アメリカの負け」であり、日本は負けて勝ったといえる。
現実に、敗戦後の日本は経済の世界第二の大国として、対外債権世界一の国家となった。アメリカは世界最大の債務国となった。アメリカは腕力だけで「思慮分別」「前後の見境い」の欠けた国のようのようだか中国より遥かに悪くない。
24日 昭和天皇の
終戦の詔勅
敗戦の時の昭和天皇の「終戦の詔勅」を今一度拝読してみようではないか。そこには大東亜戦争の目的が書いてある。則ち「帝国の自存」と「東亜の安定」である。敵が原爆の如き残虐な新型爆弾を国際法を犯してまで非戦闘員の国民の上に「無差別」に使いだした。この惨害をこれ以上に広めぬ為に戦いを終えねばならぬ。国体護持の条件が認められたので「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍んで、万世のために太平を開かん」と欲して終戦を決意されたのである。 この御言葉の中には、日本が無条件降伏したとか、侵略戦争で迷惑かけてすまなかったとかの謝罪、反省のお言葉は一行も無い。飽くまでも戦いを終わらせる為であり、戦争に負けたとか、謝るとかの卑屈な言辞はどこにもない。みに堂々たる態度で国民に語り、今後も国体の精華を発揚して、世界の進運に後れをとるなと、国民を励まされている。これが敗戦時の真相である。現在は大きく後退し真実との乖離がある。
25日 世界史上の奇跡 昭和20815日正午、天皇陛下の「玉音放送」が行われて、天皇自ら終戦の詔書を国民に告げられた。
この御聖断を受けて一億
国民と共に広く海外従軍中の日本帝国陸海軍が同時に戦闘をピタリと停止した。これを「承詔必謹」と言い、世界史上稀な出来事であった。
26日 日本の国柄 それは、日本開闢以来の事実である「天皇と国民とが常に共に(とも)にあるのが本来の姿」であり日本の国柄であるということ。全国民の承詔必謹が占領下にも徹底し、外国のようなテロもゲリラも無く冷静に天皇の命に従った。これを見たマッカーサー司令官は、これ程従順な国民があるのかと、天皇の国 家の偉大さに感動したのである。マッカーサーは「一兵も殺さず、一発の銃撃も無く、降伏を終わらせた例が、世界のどこの歴史にあっただろうか」と述懐したのである。GHQ、占領軍総司令部の日本占領政策が予想外の成果を得たのはマッカーサー元帥が天皇の権威を巧く利用したからである。
27日 こんな元首は世界に皆無

昭和天皇は、日本がアメリカに占領されて間もない昭和20927日、自ら進んでマッカーサー元帥を訪問された。「戦争の責任は私一人にある。私の生命は元帥にお預けする。飢餓に喘ぐ国民を救ってくれるように」と願われた。マッカーサーは、当初命乞いに来たのかと思った。天皇陛下の純真、善良なお人柄と、ひ

たすら国民を思う心情に感動した。天皇は、その翌年から沖縄を除く日本中の各地を10年に渡って巡幸され、終戦の痛手に悩む日本や、日本再建に雄々しく立ち上がる産業戦士を心から励まされた。そのお陰で戦後20年足らずで、焼け野原から立ち上がり、奇跡の復興を遂げたのである。

28日 昭和天皇の御製 身はいかになるとも、(いくさ)とめけり ただ倒れゆく 民を思いて

わざわいを忘れて、我を出迎える 民の心を うれしくぞ思う

喜びも悲しみも 民と共にして 年は過ぎゆく 今はななそぢ 
  (昭和40年御年70)

さし上る 朝日の光り へだてなく 世を照らさんぞ我が(ねがい)なる

29日 昭和天皇崩御 昭和天皇は、第二次大戦の世界の英雄・主役のルーズベルト、チャーチル、スターリン、蒋介石、ヒットラー、ムッソリーニなど全て歿した後まで長命で生き残られ、戦後日本の復興から大発展まで貢献された。 昭和天皇の偉大さは、大喪の礼で、明確に実証された。天皇崩御で、服喪国がインドを始め34ヶ国に及び、国民は意外に思った。他国の元首の死に、国を挙げて哀悼の喪に服することなど過去にあっただろうか。
30日 天皇崩御の服喪国 日本の服喪は二日であったが、外国では三週間に及ぶ国もあった。天皇と日本の偉大さを知らぬは日本人ばかりなのであった。続く大喪の礼には、世界193の国々や機関の代表や元首や大統領が冬の寒い東京に集まった。これも史上空前 のことであった。
更に、スリランカ、スウェーデン、パラグアィ、パナマの諸国では、大喪の日を休日として半旗を掲げて服喪したのである。かっての植民地民族にとり昭和天皇は「救世主」でぁったからだ。
追加 昭和は「勝和(しょうわ)」の時代 大東亜戦争は半世紀以上経過し振り返ると米国はその目的を殆ど達成していない。だが日本は開戦目的、
@アジア植民地解放
A経済的繁栄
B平和安定国家

の三つを完全に果たした。
日本は負けて勝ったのだ。昭和天皇の昭和時代とは、日本民族が最も活躍した「和の国・日本」が勝った「勝和」の時代であった。