戦後教育の欠陥露呈か

大過なく米寿となりぬ、苦言を許されよ。
元大蔵次官・故長岡実氏は入院時、大手術なく国の予算使わなかったと安堵された。

国家官僚最高峰の元大蔵次官・福田某、元文部次官前川某、元新潟県知事・米山某達の辞職の態様は破廉恥そのもの、国会議員にも多いが、国民の範たるべき為政者達はここまで劣化したのかの思い!
 問題の本質を端的に指摘すれば戦後偏差値秀才の欠陥露呈!戦後教育の欠陥・「恥の概念喪失」である。

人の上に立つ者の在り様の研鑽欠如である。これは戦後教育の最大欠陥と指摘できる。それは「小学」の素養の欠落とも申せる。人間としての基礎学習のことである。数年前、京都大学が一期生に小学を教えるとの報道が記憶に残っている。
組織、即ち人間集団の統治には、ことの外に人文の素養が必要不可欠である。

つらつら戦後を顧みるに、私ども青年期に目指したのはゼネラリストであった。戦前から高度成長期前までは大組織のトップは殆ど法・経であったと記憶する。技術畑トップの記憶は島と言う元日本鉄道総裁であった。

戦後、急速に技術革新時代となり技術専門家の組織の長が激増した。それを否定するものではないが、人間集団統治には人文の素養涵養が不可欠。

人の上に立つ者の在り様の素養と研鑽が欠落している。70才代某・大組織トップ経験者が論語など読んだことがないという発言を私は直に漏れ聞き、密かに驚嘆したことがあった。人文研鑽の欠落を問わず語りに表明したもので私は驚嘆した。

元首相たち、中曽根氏を除き、地位を去ってからの軽薄な言動が自ら占めた首相の座の名誉を汚しているのに気がつかぬのも人文研鑽の欠如である。
        徳永圀典