いのちとはー人生雑感

1. いのち

「いのち」とは何かを考えたことがありますか。

---数名に質問--

「いのち」とは「動くこと」と見つけたり 徳永圀典

 

2.            人生のある特別の瞬間

人生の於いて「ある特別の瞬間」という存在がある。

その瞬間は、どなたの人生でも格別の意味を持つのではないか。

それを忘れることは「己自身」、自己を忘れることに近い筈のものを誰しも持っているのではないか。

  ----ここで質問---- 各自に

    個人に絞り問題意識を鮮明化

 

 

 

 

同様に、組織或いは国家でも然りではあるまいか。

 

国家にとって格別の瞬間もある、民族にとって格別の瞬間である。歴史にとっての意味でもある。

 

日本人にとって或いは国家にとつて

格別の瞬間とは何であろうか。

   その大切な瞬間を想起することが現在の自己の再確認となり得ると思うのであります。

 

そうであるならば、

その大切な瞬間を、今一度ありありと我々の心に蘇らせ、その瞬間の意味を問いかけ、そして答えを得ることではあるまいか。

 

さて、日本にとり、歴史的その瞬間とは何か、

    ――質問―――

 

私は、それは敗戦です。

 昭和20815日だと思います。

 

815日の各位の思いを知りたい!“

      --質問する---じつくり聞く。

日本人は、本当に大多数は、「神風」なるものを信じていたのです。

元寇の役文永と弘安の役、の二度に亘る神風により国難の危機を凌いできましたからね。私も漠然と信じていた。

神風(かみかぜ、しんぷう、かむかぜ)は神道用語。の威力によって吹く強い風を意味する。

古くは日本書紀の垂仁紀において、「神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰する国なり。この国に居らむと思ふ」という倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照大神から受けた神託などに登場する。「神風の」は伊勢にかかる枕詞である(「神風や」は伊勢神宮に関係の深い五十鈴川などにもかかる)[

 

折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887明治20年)2月11 - 1953昭和28年)9月3)は、日本民俗学者国文学者国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人でもあった。

彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。

神 やぶれたまふ

 

神ここに 敗れたまひぬ 

すさのをも おおくにぬしも

青垣の内つ御庭(みにわ)の 宮出でて さすらひたまふ

くそ 嘔吐(たぐり) ゆまり流れて 蛆 蠅の (たか)(むら)()

直土(ひたつち)に 人は()ひ伏し 青人草 すべて色なし

 

村も 野も 山も 一色(ひといろ) ひたすらに青みわたれど

ただ (むな)し 青の一色 

海 空もおなじ 青いろ

 

 

 

たたかひの果てにし時に

神集ふ 荒神たち 鹿島神 香取神

ことどひの ひと言もなし

 

たけみなかた 諏訪の御神

おおものぬし 三輪の大神

(こと)稀に(のら)すみ(こと)

言寂(ことさび)し なげきぞ 深き

 

日本の神々にふさわしく 素直な嘆きを見せている

 

実はまだあるのです。

 神力(かむじから) 示す ()もなく

 神いくさ 完全(すで)に 敗れて

 面目(おも)なしや  ()(がき)のうちに 

 神と 我(かえろう)ふべしや

 

神いくさ かく力なく 

人いくさ 然も抗力(あへ)なく

過ぎにけるあとを 思へば

やまとびと 神を失ふ

 

()高見(たかみ)の国びとゆえに

おのづから 神は守ると 奇跡(しるまし)(たのむ)む空しさ

信なくて 何の奇跡(しるまし)

 

かくのみにありけるものを

(ひと)(ごと)にかたらはれつつ

神ごごろ深く きずつき

(よそ)ひすべて (けが)れぬ

 

信薄き人に向ひて 恥ぢずいむ

敗れても 神はなほ まつるべき

日高見の国びとゆえに

おのづから 神は守ると

奇跡(しるまし)(たの)む 空しさ

信なくて何の奇跡(しるまし)

 

わが国は 四方(よも)に戦う

たたかへど おごることなく

(しま)りにし 万葉びとの心をぞ

人は守るらし

 

自分の内からの信仰のない、他力本願の反省でしょう。

日高見国(ひたかみのくに)は、日本古代において、大和または蝦夷の地を美化して用いた語。『大祓詞』では「大倭日高見国」として大和を指すが、『日本書紀』景行紀や『常陸国風土記』では蝦夷の地を指し大和から見た東方の辺境の地域のこと。

シルマシ 奇怪な徴候。不吉な前兆。

書紀720)崇神一〇年九月(寛文版訓)「乃ち其の歌の恠(シルマシ)を知りて、天皇に言したまひ

 

 

 

ここに敗戦の時の国民の茫然自失が ありありと蘇ってくるのであります。

絶望の窮まった末の美しさ 酸鼻の極みの果てに

現れる森と静まりかえった美しさ

   国破れて山河ありの感情ですね。

   今 思い出しても涙が溢れる!!

昭和20815日正午の

 あのシーンとした国民の心の一瞬のかたち

 がこの折口の詩句に鮮やかに灼きつけられている

 

 

私の敗戦の思い!

 戦時中、鬼畜米英、蒋介石でした。

 敗戦日、あの戦慄するソ連が上陸すると? 

戦慄!!

 私は戦時中の勤労動員で肋膜炎で病臥中、

 天皇の初めての放送による玉音を聞く。

 宮城前広場に大群衆が粛然と座り込み嗚咽

 皇居を遥拝して涙する国民

 

おシンのドラマやつていますね、

 食うために良家の子女がパンパン、加島君分かる?パンパンとなり占領軍に売春して生き抜いた、

 日本人は、そんな事恥ずかしいから、元パンパンはあの世にもっ て行つた。金だけの韓国は、進んで売春し、家を建てられる程稼ぎながら、今になりカネ目当てに恥知らずの韓国の売春婦でありましょう。

 

 天皇がマッカーサーを訪問、正姿勢の天皇と

 マッカーサーの失礼な写真?!!

 進駐軍の怖さ  

売春婦1000人確保せよと米国指示

鳥取一中二年 新聞紙のような教科書が墨で真っ黒

 神社焼き討ち指令の噂

 日本分割占領の噂 

北海道・北方領土――ソ連

 中国・九州――英国

 本州中央。関東・信越・東海、北陸け近畿―米国

 四国―中国

 東京 -米英フランス―四か国共同占領

 

 戦々恐々とした日本人

 拳銃と軍刀を下げたアメリカ進駐軍

 蒋介石が中国在住日本人を全て帰還させると

 

 これがヤンキー、チョコレート キャラメル

  食糧難で群がる日本人

  お人よしヤンキー  変化してきた日本人

  食糧がなくアメリカに天皇が命を懸けて援助を乞い助かった戦後。

  戦後の食糧難でした。

  サツマイモの茎、カボチャが主食に近い。

  鳥取はまだ良いほうであったでありましょう。

これが昭和20年からの日本の姿です。

しかし、何と申しても

昭和天皇の捨て身の決意でした。

  マッカーサー訪問

 

戦後の日本人は忘れている。

 昭和天皇の当時の御歌――おおみ歌

  身はいかになるともいくさとどめけり

     ただたふれゆく民をおもひて 昭和20

 4首の御製であった。

「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」

「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」

「国柄をただ守らんといばら道すすむゆくともいくさとめけり」

「外国と離れ小島にのこる民のうへやすかれとただ祈るなり」。

     令和元年63

  

鳥取木鶏会 会長  徳永圀典