憲法こそ、最優先を!!
仏教用語に、因果応報、原因があって結果があること、がある。森羅万象は全てに渡り、恣意的なものは無い。
それなりの原理・原則に従っていましょう。
あの大竜巻も、大自然の地球生理上の原因があって、当然発生し、当然のルートを通り抜けたのでありましょう。
人間が、無知だから、それを予知できないだけの話。
あらゆる現象は、必ず原因があって発生している。
人間社会でもそうであります。
今日、敗戦後60年の日本の社会、どうにも、奇妙なことになっている。奇妙な日本人が増えている。
その原因は、なへんから来ているのか。
先日、暇にまかせて、日本国憲法の第三章を確認した。 権利と言う言葉--16回
自由という言葉--9回
義務という言葉--3回
なる程と思って合点がいった。
日本の、あらゆる法律から条例から、教科書などあらゆる法体系は、憲法に依拠している。
従ってそれに応じた結果が、今日の日本の社会である。憲法の結果として、なっているのであります。
それが、今日の日本社会の惨状を招いている。
ここを認めなくては日本の未来はありません。
まさしく、アメリカにより作成され、日本民族を立ち上がれないようにした憲法の成果でありましょう。
憲法には、日本の国柄も、日本人家族のことも何も言及していない。
第九条など、日本の安全を他国に委ねている、この放置が最大の問題。
尖閣諸島は安保条約に入っていますかとのアメリカに確認するというお粗末さ。
日本の社会がおかしい原因は、日本の根本原理である憲法がおかしいからだと改めて思うのであります。
これでは、日本国民の自立精神が確立されぬのは当然であります。一刻も早い改正が必要だ。
人権でもそうであります。
ヒューマン・ライツという。外国からの輸入思想であります。日本の方が明治時代から民主的であります。
民主主義と人権の平等は日本が本場だと確信しています。
考えて見て下さい。
アメリカなど、一握りの白人が富の大半を占有している国であります。アメリカは難民を受け入れて、アメリカンドリームを標榜して繁栄していた国である。
フランスも難民を受け入れて繁栄している国であります。
アメリカとかフランスの、難民達は、「せめて、人間らしい生活と扱いをしてくれ」というのがヒューマンライツ人権思想の発端であります。
日本では、全く異なります。確かに部落差別は、何千年もこの列島に住み、同じ日本人であるのに、いわれのない人格的差別を受けていた。
だが、これは戦後部落開放の同対法を続けて、今やその面では、逆差別という言葉すら生まれるくらい問題解消されている。
差別と区別すら、知らない人々が問題の本質を理解しないままでいる。
人権とは、本来、
人間として、人間の尊厳に於いて、人格上、
平等である、という人類の普遍的原理であります。
人間は生まれながらにして、不平等に出生している。本来、完全に平等など有り得ない。
現在求めている人権思想は、完全解消は有り得ないものを求めているのではないか。