徳永の「歴史寸描」

1琉球

 幕末、薩摩藩が琉球を領有したとの説が普及しているが実は違う。史実を述べる。

 足利幕府6代目足利義教将軍は、青森県から沖縄までを統一して天下布武を成し遂げている。琉球を日本にしている。そして「()(きつ)元年(がんねん)御教書(みきょうしょ)」である。これは江戸時代の島津の琉球侵攻、明治の琉球侵攻も日本領土だとの根拠になる。中華の支配下になったとの史実は何一つない。中国が柵封されたと言っているだけである。

柵封と朝貢との違い

 朝貢 王が送った使者が皇帝に頭を下げること。これは商売人でもすること。皇帝の所有物になることではなく単に外交辞令、プロトコルであり屈辱的かの問題であろう。

 柵封 王が皇帝に頭を下げること。これで皇帝の所有物になったと言うものではない。

 

2.小笠原諸島

 幕末、日本に来たペルーが日本到着前に小笠原諸島に立ち寄り「領有宣言」をした。当時のアメリカは新興国で、すかさず大国のロシアとイギリスが抗議してアメリカは引き下がった。

 この時、江戸幕府は立派、先に調査して標木も立てた。「先占の法則」により日本のものだと主張しロシアもイギリスも日本に折れた。明治以後、もめたのは清国であった。

3.            プレイアーとシアター

 地政学でいうと、当時の東アジアのプレイヤー国民国家は日本と清国、他国は独立しておらない。琉球も朝鮮もアクター即ちプレイアーではない。場、即ちシアターに過ぎない。

 アメリカはトランプが北朝鮮に拘束された3人を解放せしめた。これが本当の国家の証拠であるプレイアー。かかる意味で、国民を拉致されて取り戻せない日本は敗戦後、単なる場、シアターに過ぎなくなっているのだ。主権国家と言えないのだが、かかる議論は皆無なのが情けない。

4.            主権国家とは

 本当の独立国であれば、国の外にいる国民が権利を侵害されたら、国家の総力をあげて守るものなのです。日本の戦後の歴史学会もマスコミも誰一人これに関して言わない。だから日本は単なる場、シアターに過ぎないのに自覚がない日本人であります。

 

5.            台湾

明治初期、台湾で琉球の漂流民が台湾人に殺害された。明治政府は清国に対し、台湾が清国のものだというなら責任を取れと迫った。かの有名な大久保利通が北京に直接乗り込みます。これが本当の意味での主権国家の完成形である。

清国は、「台湾は化外の地、中華文明・清国の権力の及ばない野蛮の地」とい言い逃れた。大久保利通は、清国に対し、日本が台湾の殺害犯を処罰することを承諾させ実行した。これは国際法の言葉で「復仇(ふっきゅう)」と言うのですね。当然の権利です。

これを現在に置き換えて申しますと、北朝鮮に拉致されている被害者を取り戻しに行かなくてはならぬのです。だから、現在の日本は「国民国家」なのかと疑問です。場、シアターに過ぎない実態がお分かりでありましょう。主権国家とは言えない。

 

6.            アイヌ人

 幕末、

北海道でアイヌ人女性をロシア人が暴行し殺害した。榎本武揚がロシア人に責任をとらせ日本の主権を立証しています。これをやらないと領土は取られるのです。本当の国家主権は確立しないのです。

 

7.            豊臣秀吉の朝鮮出陣

 1592年、秀吉が朝鮮出陣は、正しくは「唐陣、唐入り」なのですね。秀吉は、国書で朝鮮に対して、こんな発言をしている。「(せい)明嚮導(みんきょうどう)を朝鮮に求めています。明国に攻め入る先導を求めたのです。朝鮮は明の属国として相手ではなかったのです。

北朝鮮の拉致、日本は本当に主権国家ではないアメリカに依頼しなくては取り戻せない。

 

8.            完成した主権国家

それは1894年、日清戦争に勝った日本、明治27-28年、日本は澎湖列島を取りました。これで、日本は、国民国家として完成したのです。台湾を領土としてエンパイアーになったのです。日本は聖徳太子の頃から国境画定した国民国家として完成していたのに気が付かない「のんきな国民国家」でした。

文明国として、国民国家として生きてゆく為には強い国にならなければならなかったのです。それには当時は植民地を持つことでした。

だかせ台湾の総督には、赫々たる人物を当てています。桂太郎、乃木希典、児玉源太郎らでした。しかし日本は植民地を統治するというより、慈善事業を台湾でも朝鮮でもやっていましたね。感謝されたのは台湾だけ。

彼らの祖先より民の人権を尊重した政策でしたのにね。

 

9.            満州

満州事変は、目の前で日本国民である朝鮮人が酷い目にあっているのを助けるべきだという関東軍がやっ

てしまったとも言えるとこがあります。

 

10.      室町時代の日本人

当時の日本人は、明に渡り、日本人同士で派手な武闘事件、1523年の寧波の乱を起こすくらいハチャメチャな事件を起こしています。そういうデタラメが出来るくらいでなければ、大陸に関われないというのが感想です。

室町時代というのは日本歴史の突然変異のようで、琉球を日本にした足利義教の時代が頂点で、そこが一気に穏健になったと言われています。さらに江戸時代になりさらに大人しくなったらしい日本です。

 

11.      国家とは国体を守り抜くこと

さて、現代、

日本は、私が何度も述べていますように、150年前に逆戻りですね。

 戦後、一度、潰されかかった皇室も何とか危機を乗り越え。現在の処は国体を維持できていますが、安泰ではありません。

国体を守ることが、日本ネーションにとり、どういうことか、今こそ、再認識して自覚しなければにりません。

国史、歴史とは、教える方に大局観が絶対不可欠であります。

1.  教科書の記述も必ずしも偏向しているのではない。

2.  きちんとした歴史観を習っていない教師かせ教わると事実の羅列だけで分からなくさせる。

3.  国語、方言が差別にならないのが日本国です。

4.  国土、尺度の正しい地図を見れば、決して狭い小さい領土ではない。

5.  今、北は、北方領土、 中部は、竹島、 南は、尖閣、沖縄で、挟み撃ちにさらされています。

 国家を感じて戦った、先ほど述べた、明治の元勲・大久保利通や、幕末の榎本武揚はおりません。

我々は、未来の日本人のために、彼らが残しした、知見、国家観、勇気を生かすか、どうかだけの問題であります。

どこに、その成否があるのか各位にはお分かりでありましょう。

      平成3061

 

     徳永日本学研究所 代表 徳永圀典