安岡正篤先生の言葉 6月例会 徳永圀典選

 

四不殺 古来の愚蒙  

 ()(よく)を以て身を殺す無かれ。

 貨財を以て身を殺す無かれ。

 政事を以て民を殺す無かれ。

 学術を以て天下を殺す無かれ。

文選 崔子玉 後漢の大学者・政治家

 

 人間は皆、己の嗜好で身を殺す。貨財で殺す、これは古今変わらぬ常人の愚蒙だ。その次も痛切な問題、現今日本の政治家たちも、こういうことを静かに反省する余裕や良識を欲しい。支配者等は政事を以てどれほど民を殺したか分からぬ。これはもう計り知れぬものがある。学術が人を殺す。これはちょっと常人の考え及ばぬ深刻で恐るべきもの。これは政治のように誰にも分る性質のものでない。学術というといかにも尊いもののように思う。しかし古来学者とか思想家とかいう者が、いかに人間を誤り、人間を殺したか。昨今ますます甚だしいではないか。   活眼・活学

 

人間の三不詳

 人には(さん)不詳(ふしょう)あり、幼にして(しか)(うべなう)(ちょう)(つか)へず。(せん)にして而も肯て()に事へず。不肖(ふしょう)にして肯て(けん)に事へず。是れ人の三不詳なり。  荀子

 

敬する

 幼にして長に事えないということは、いとけなくして敬することを知らないということになる。敬というものは、カントの道徳学にしても、これを一つの基本にしておるのでありますが、人はみな愛だけを説いて、敬を忘れている。人間が動物から進化してきた一つの原動力は、愛と同時に敬する心を持つようになったことであります。現実に満足しない則ち無限の進歩向上を欲する精神的機能が発して敬の心になる。換言すれば、現実に甘んじないで、より高きもの、より貴きものを求めるという心が敬であります。「賤にして・・」も「不肖にして・・」も要するに同じことであります。

             大学と小学