鳥取木鶏会6月例会 安岡正篤先生の言葉 徳永圀典選

 

 

志、理想、人物

 いかなる素質、才能があっても、志がなければ人物としては失格である。言葉を変えていうなら理想だ。理想を持たない人間は、これはもうしょうがない。志は自然に「志気」というものになるが、しかし、その志気も刹那的、一時的ではだめであります。永続的でなければ生命にはならぬ。真の生命から出ている志気は必ず永続的なものであり、同時にその過程においていろいろの矛盾や迫害がある。そのいかなる矛盾、迫害にも堪えていかなければならん。維持していかなければならん。そして、いろいろな変化、困難にもめげない、堪える力であります。そういう志気を終始一貫して把握していくことを「志節」「気節」というものが生まれる。これが「元気」「骨力」に次いでの人物の重要な能力であり、性能であります。

                この師この友

 

事業と徳業 

 事業と言う言葉は、言葉としては低い言葉であります。事業が進むと徳業というものになります。事業が徳業になるには、非常な志、言い換えれば理想精神を要する。そこで事業の事を取って志を入れ、志業と昔から言いました。志業によって次第に徳業というものが出来上がるのであります。

 人間は発達すると、単なる事業では済まんので事業を徳業にまでしないと、本当の人間の仕事ではない。会社のような事業を経営致しましても、ただ人間が寄り集まって、そして組織して、機械的に営むというのでは、これは事業であります。

 その事業に経営者の人柄、志、思想、信念、道徳というようなものが滲み出るようになって、即ち、事業が人間らしくなって、初めてこれを徳業と申します。事業は徳業になるほど価値があり、生命があり、尊い永遠性をもつてくる。単なる事業は時勢の変遷に逢って、いつ挫折するか崩壊するかわかりませんが、事業が徳業になればなるほど、生命を持ち、永遠性を持ってくるわけです。