種に関しての随想

あらゆる地上の動植物は己の「(しゅ)」を本能的に残そうとするのが生き物としての使命である。だから、人間種以外の動植物は昼夜を問わずそれのみの作業――食料と生殖―の為に日々懸命に生きている。

 

例え話をする、

ある花の種を土地の違う場所に蒔く、一つは沼地、農地、砂漠、どの土地に蒔いても、その種は同じ花を咲かせる。土地の違いには無関係にその「種」は同じ花を咲かせる。

要するに、「種」は土地の種類に無関係に「本来の種」を未来につなげで残す。

種の性質は、土地に無関係に残せる。

 

これが、皇統の男系の単なる趣旨ではなかろうか。

 

土壌の適不適、善悪を意味しない。本来の「種」を遺伝させたいだけの主意であろう。

 

天皇の皇女に他の男性の「種」を娶せると本来の「種」は残らない、他の男系の「種」となるのである。

男女同権とかの問題ではない。これは極めて本質的な問題である。

 

土壌と種の善悪、或いは価値の比較ではない。

種」の正しい遺伝とはそういうものであろう。

2000年来の日本の皇統の「種」は伝統を維持するのが正しい選択である。平成2965

    鳥取木鶏会 会長 徳永圀典