日本海新聞 寄稿 令和2年6月13日

「森」に思う

登山で私の至福のひと時は高度800米辺りのブナの新緑樹林帯を歩く時だ。ドイツ人の森歩きは有名、だがドイツの森林はモミやトウヒの針葉樹の黒い森でここ百年の植林、十七世紀まではブナやナラの落葉広葉樹林であった。中近東、当初から砂漠ではない、古代シリア、レバノン地域もレバノン杉伐採で森林は消えた。北西欧州の大地はブナやナラの大森林であったが消え失せた。12世紀、欧州は大開墾時代でキリスト教宣教師は森を切り開き開墾。西洋の原理=神と白人に奉仕の為に森は存在するとして伐採、都市を作り大自然を生贄にした。

国土に占める森林率世界一はフィンランド74%、二位日本68%、三位スエーデン67%。先進国で素晴らしい森林があるのは日本だけだ。米大陸東部も17世紀迄は大森林地帯、どうやら森林破壊は西洋の原理である。

日本の神様は森林から生まれたと思う、山々は神の棲む場所であり、西洋の如く山を征服するという概念は無く登山は明治になり西洋人から学んだ。日本には古来より植林の思想があり明治神宮の森は広葉樹林で全国各県からの寄付によるもので植林の思想・伝統が活かされた。

ゴビ砂漠は年々北京に接近中。中国国土の27%は砂漠化しその原因は、過伐採32%、過放牧30%、過剰耕作23%、水利用失敗9%、砂漠の移動6%、殆ど人為的である。

日本文明の永続は森の伝統文化に起因するが、戦後日本も他国の森林を食い荒らし、いま中国がそれに続くと言えるのではないか。

地球は本来人間だけのものではない、地球に生存する動植物は生き物として同権、同格、そのバランスが保たれてこそ健康な「人間種」の生活も有ると思えて仕方がない。

   徳永圀典