(ずい)(がん)和尚 「無門関」第12

「瑞巌の(げん)和尚(おしょう)、毎日自ら主人公と呼び、()た自ら応諾し、(すなわ)ち云く「惺惺著(せいせいじゃく)(だく)()()異日(いじつ)、人の(まん)を受くること(なか)れ、諾諾(だくだく)

  瑞巌の彦和尚は毎日、自分自身に「主人公」と呼びかけ、自分で「はいはい」と返事をしてから、「よしよし、心静かに、かしこくあれよ」「はい」「これから先も人に騙されるでないぞ」「はいはい」と云っていたと云われる。

(じゅ)」「学道の人真を識らざるは、只従前より(しき)(じん)を認むるが為めなり無量劫来(むりょうこうらい)生死(しょうじ)(もと)痴人(ちじん)()んで呼んで本来人と()す」

  「仏道を求める人が真実を識らないのは、従前より相対的な意識を真実だと誤認しているからだ。無限の過去からの生死(しょうじ)輪廻(りんね)本になっている「無常の自我」を愚人は、それこそ「本来の自己」だと勘違いしている」