中国あれやこれや Q

 1日 中国人社会の本質

中国人社会で人間関係の本質を表すものに「才能ある者は早死にする。良心ある者は社会で孤立する」の諺がある。中国社会には良心は存在しない。

米国人アーサー・スミスは長い間、中国に滞在したが、著書「シナ人の性格」によると、中国で良心を探し出すことはできなかったようである。中国人が中国人である限り良心が生まれないという。
 2日 孔子の仁との関係

確かに孔子は「仁」を説く。然しそれは「良心」とは異なる。孟子のいう「惻隠(そくいん)(じょう)」も、せいぜい同情心に近いものに過ぎないし中国人には余りない。魯迅(ろじん)の言う「打落水狗」(水に落ちた犬を叩く)

民族性が目立つ。落魄(おちぶ)れる人間に追い討ちをかけ、他人の不幸を喜びたがる、「辛災(シンツァイ)楽禍(ロッフォ)」の性質である。これは「他人はみな敵」の弱肉強食社会の人間の生存本能である。
 3日 王陽明の良知 陽明のいう「良知」にしても、せいぜい良識や常識、或いはコモンセンス程度のもので、決して「良心」ではあるまい。 孔子とか孟子の聖人の言葉も、多分、余程、昔から人間が悪いから、あのように孔子が発言したのかもしれない。
 4日 アーサー・スミスの良心

スミスが発見出来なかったという良心とは、神への信仰により心の内側から生じるものである。自生的に善悪を弁えることのできる心のことである。儒教国家における道徳とは、家族や社会の規範という外的強制がありはじめて行われるものであり、良心に基づいたものではない。

中国の歴史は戦乱の歴史であり、そのような良心を育てるものがなかったのであろう。良心ある者が孤立するとは、人間不信で自分がカモになるだけでなく仲間にも被害を齎すので良心は悪徳であろう。共産体制の密告社会、相互監視社会は益々人間不信を煽るものだ。中国人は信用してはお終いである。
 5日 中国農民の悲哀 中国農民として生まれた悲哀は、人間として扱われないことだという、日本人には信じられないことである。然し、これら不条理極まりない運命は農民だけではないという。毛沢東でさえ、国共内戦中には、妻子 と離散、当時は夥しい共産党員が殺害されている。革命が成功しても激しい党内抗争、ケ小平一家は文革中に下放され、国家主席の劉少奇まで極めて悲惨な状態で獄死している。毛沢東の親愛なる同志であった林彪一族も悲劇的最後を遂げた。
 6日 易姓革命の中国 この易姓革命という意味を知らない日本人が多いのではないか。易がつくから勘違いしている。 易姓革命とは、要するに革命であり、血の流れる政権交代である。中国では万民を統率する皇帝でさえ、三人に一人は天寿を全うしていない。民衆に到ってはなお更の国である。
 7日 中国は断絶の国、革命の国 日本の時代は全て、奈良時代とか、平安時代、徳川時代 、明治時代と呼ばれ、天皇名とか地域が時代の呼称となっている。それは古代の国の肇まりから日本だからである。 対して、中国は、当初から国名で時代区分となる。秦、殷、周、民、清等々は、この国が断絶している証左である。日本のように万世一系ではない。
 8日 二十世紀の中国でも

二十世紀となると、血縁でなくても同じ李姓、王姓という同族関係だけで一斉の処刑されるという「誅 九族」は無くなったが、社会主義社会となつても一族という関係で、或いは同派という関係だけで悲劇を受ける状態が続いていた。

そのような狂気は文化大革命で終焉したかに見えても、現在でも「法輪功」というだけで、あるいは、民主と自由を願っただけで一網打尽にされている。人間としての尊厳が認められない国である。
 9日 米国での江沢民や朱鎔基 江沢民
台湾への武力行使問題「国内問題だから外国から一々口出しされることてせはない。アメリカも国内問題解決の為、南北戦争をやっただろう」お前は昔そのようにやった。俺が同じことをやって何が悪い、というのが中国指導者の屁理屈である。

朱鎔基の発言

チベットの人権問題「我々はリンカーンの奴隷解放と同様、チベットで農奴解放を行つたのだ」アメリカ国民に中国の「人類解放」への貢献だとアピールした。

10日 野蛮な中国 江沢民も朱鎔基も、いかに中国が野蛮な国であるかを告白したことになる。 北朝鮮と同様、他国を恫喝し続ける国家指導者が現存しているのだ。共産主義国であることを瞬時も忘れるな。
11日
江沢民と
温家宝の発言

江沢民

いかなる犠牲を払ってでも台湾を統一する。中国政府も「人民解放軍は台湾進攻の準備を完了した。いつでも行動に移すことができる。と公言した。

温家宝
2003
12月訪米し、台湾の国民投票を絶座視しないと言い放った。国民投票とは、中国の台湾に向けたミサイルの撤去を求める内容であるが、台湾を侵略したくてならない中国は、平和を求める台湾人の意思表示する許さないのである。
12日 好戦的な中国 有史以来周辺諸民族と戦争を繰り広げ、近代になつてからは洋夷、倭夷に懲罰戦争を発動し、人民共和国の時代になっても、中ソ国境戦争を起こし、印パ戦争が勃発するとインドに不意打 ちかけて中印戦争に発展させベトナムにも懲罰戦争を仕掛けた。その他アジア、アフリカ、ラテンアメリカへの革命輸出(戦争輸出)にも勤しんだ。そして現在の台湾へは文功武嚇である。
13日 英国人マカトニ 英国王ジョージ三世の特使として乾隆帝に会見したマカトにーは、中国人を文明人であるとは全く見ておらず「半野蛮人」とみなしていた。

英国公使兼香港総督のJ・F・デビスも「半文明中国」と見なしていた。清国初代総税務司を勤めたH・N・レイなどは「アジアの野蛮人」と呼んでいた。

14日 中国人の自覚 自らの野蛮性の気づくこともなく、外国人と見れば「夷狄」であると見下した。だからアヘン戦争後に英国清国間で締結された南京条約には第13条に「清国は英 国を英夷と呼んではならんい」とある。天津条約にも「西洋人を夷狄と呼んではならない」との規定もあった。
15日 中国の国家犯罪 老子の言葉に「智恵出でて大偽あり」がある。世界一聡明であると自慢する中国人は「大偽」を智恵とか聡明のシンボルと考え、奸智、狡智を悪と思わない。逆に立派なことだと思っている。 それは彼等の生存本能のなせる業である。「孫子の兵法」「六韜三略」などは兵法書は将に奸智の代表的聖典である。人を騙すことを悪と思わぬのは今の中国人も同じである。騙すのが悪いのではなく、騙されるほうが悪い、いかに見事に相手を見事に策略で騙したかを誇りにする国民性がある。
16日 日本・中国摩擦の原因 日本人は「誠」や「真実」をモットーとする。日本人の近代以降の文化摩擦、文明衝突の原因は全てみなここから来ている。 「誠」の文化と「詐」の文化の対立こそ、東亜近代騒乱史の根幹である。
17日 戦前の日中 中国側の条約、協定違反、無視が常に武力紛争の遠因、近因、直接の原因であった。日本の日中和平への善意は、たいてい中国側の裏切りで反古にされている。 戦後も「謝罪」「反省」やODAなどの経済援助、民間交流の努力という日本人の善意を理解しようとしないばかりか「まだ善意が足りない」とばかりに、ゆすり、たかりを繰り返している。
18日 中国人の犯罪 現在、中国国内の「盲流」は約1億人、その中1-2%は「国際盲流」として海外に噴出しているという。世界的文明論者のトインビーは、中国から海外へと徐々に流出する流離の民は、武力集団とは異なる「平和的浸透力」だと言った。 やがて日本列島は、その平和的浸透力により中国人に埋め尽くされるとの予測もある。日本だけが無事でいられよう筈がない。イナゴ災に人間は無力、同様に中国人の犯罪の急増はその序の口かもしれない。
19日 中国人犯罪 日本の於ける外国人犯罪の半数は中国人てであるが、その凶悪性、残虐性は日本文化的感覚から到底理解しがたいものである。中国では犯罪者は異常者だけではないという、善人でも機会があれば行うと言う。 犯罪は中国人が生き抜くための知恵だと言う。「法律は守るものではなく潜り抜けるもの」「逮捕されなければ何をやつてもよい」というのが中国人の価値観であり社会ルールである。
20日 カネ 中国人は命の次はカネを大事にすると言われるが、もしかしたら命よりカネを大事にしているかもしれない。なぜならカネの為に命の危険さえ冒すからである。 中国人はカネが絡むと行動様式が一変し、必要とあれば犯罪に走るのだ。そのような民族が諸国に流失するとどうなるか日本だけでなく諸国には蜜入者や留学生の犯罪が激化している。
21日 外国の溶け込まない中国人 東南アジアでの凶悪犯罪は殆ど華僑によるものと言われる。日本でもマレーシア人の犯罪とあるのは殆どマレーシア国籍の中国人である。 「郷に入らば郷に従え」とは日本人だけの風習で、中国人は逆で、世界のどこに行きても必ず闇の中国人社会を形成して自分達だけの掟を作り、その国の国法をいかに潜るかで協力している。
22日 中国人や政府の開き直り根性 20031216日中国インターネット新聞「深?新聞網」は日本のメディアが悪意で中国人犯罪をクローズアップしていると論評している。それによると200391日から5日までの間、日本で報道された中国人犯罪は「十件もの多きに及んでいる、犯罪者は日本に住む40万人の中国人のうちごく一部である。 このように偏った報道が日本人の嫌中感情を増幅させ排外気運を盛り上げている、その背景にはバブル崩壊後の日本人の自信喪失からくる保守化傾向がある。」と中国は官民とも開き直り反省とか恥など感じない国民性がある。
23日 中国の犯罪 黄文雄氏によると、中国人の凶悪犯罪は、党や公安、軍隊と結託しているケースが多いというから油断大敵。2千万人いるといわれる黒道(チャイナマフィア)1千万人ものプロの強盗集団は、公安当局と強い絆で結ばれているという。 「無官不貧」、つまり汚職しない役人は居ないとまで言われる賄賂社会の中国である。
公安、司法が犯罪者と繋がっていることは常識だという。
24日 検挙日報 1999年―20028月の間に、収賄五万元以上、公金着服十万元以上の大事件が全国で7万件も検挙、立件され、それにより処分された県長(県知事)以上の幹部が一万人を越えたと報告している。中国の役人は賄賂が無くて仕事をしない、だから役所の機能は停止する。 収賄は役人の一つのステータスシンボルである。賄賂も貰えないレベルの人間は尊敬されない。中国は「礼」の社会である。ありがとうございましたの口先は虚礼なのである。それが社会常識、この中国の「礼」は礼節の礼ではない。ゲンナマである。
25日 蛇と鼠は一つ穴 黒道(チャイナマフィア)は金銭で「紅道」(共産党)と簡単に関係を持つことができるという。「警匪(チンフエイ)一家(イーチャー)蛇鼠(スォスゥ)一窩(イーウォー)」とは、警察、匪賊は一つの家に住み、蛇と鼠は一つの穴に棲む」とは昔からの中国の諺である。 ある日本人が中国人に「私の祖父は、戦前は警官でした」というと、中国人は「それではさぞお金持ちだつたでしょう」と言われ、日本人は「警官ですからお金はありませんでした」というと中国人は目を丸くして驚いたという。
26日 人を人と思わぬ精神構造 魯迅は「中国人は人を人と思わない」とよく言っていたという。同胞でもよそ者でも、赤の他人に対しては、つまり家族、宗族以外の人間に対しては、なかなか同じ人間だとは認めたがらない。 王夫之、呂留良、曾静のような漢族優越主義の儒学者は、夷狄を禽獣とみなして「信義というものは人が人に対して持つものであり、禽獣に施してはならない」、「中華の四方はすべて禽獣の地であり、禽獣は斬り殺すべきであって、寛恕してはならない」といっている。
27日 中国の人権感覚 今の中国の国家指導者に人権尊重を説いても、人の命の尊さすら分かっていないのだから、どうしようもないのである。 そもそも人権を尊重するような人間なら、熾烈な権力闘争に打ち勝って指導者に上り詰めることはできなかったであろう。
28日 毛沢東の豪語 「たとえ核戦争が中国人民の半数が死んでも、残りの半数でその廃墟に社会主義社会を建設する」と豪語した。

人民を将棋の駒程度にしか考えていないのである。

29日 欧米議会への反論と中華思想 欧米の議会はしばしば中国政府の人権蹂躙政策に反対する決議をしているが、その都度中国は激しく反発して抗議する。 1996年のドイツ連邦議会による「チベット人権決議」に中国政府は内政干渉だとしてクラウス・モンケル外相の中国訪問を拒否した。
30日

更にデンマーク議会も中国に人権に関する決議を審議すると、「もしそれを決議したら、中国に対する重大な傷害となる」と警告し恫喝をした。

この傲慢さは政治体制の相違というより、これこそが傲慢な中華思想なのである。