徳永圀典の「日本歴史」A 世界に誇る日本の美の形

初めにお断りしておく、これは自分の勉強の為である。土台本の中心は扶桑社、市販本の「新しい歴史教科書」初版本とその他数種である。内容はそのままではない、徳永圀典流に変更している。平成1851日 徳永圀典

 1日

巨大古墳ベスト20

1

大山(だいせん)古墳(仁徳陵)

大阪府堺市

中期

486      

日本最大

2

誉田(こんだ)御廟山(ごびょうやま)古墳(応神陵)

大阪府羽曳野市

中期

425      

古市古墳群最大

 

3

石津丘古墳(履中(りちゅう)陵・陵山古墳)

大阪府堺市

中期

365m

百舌鳥古墳群

4

造山(つくりやま)古墳

岡山市

中期

350m

5

河内(かわち)大塚古墳

大阪府松原市・羽曳野市

後期

335m

6

見瀬(みせ)丸山(まるやま)古墳

奈良県橿原市

後期

318m

墳丘と横穴式石室は後期最大

7

(しぶ)谷向山(たにむこうやま)古墳(景行陵)

奈良県天理市

前期

302m

 2日

8

()()ニサンザイ古墳

大阪府堺市

中期

288m

9

仲津山(なかつやま)古墳

大阪府藤井寺市

中期

286m

10

作山(つくりやま)古墳

岡山県総社市

中期

286m

11

箸墓古墳

奈良県桜井市

前期

276m

12

五社神(ごさし)古墳(神功(じんぐう)陵)

奈良市

前期

276m

13

ウワナベ古墳

奈良市

中期

265m

14

市庭(いちにわ)古墳(平城陵

奈良市

中期

250m

15

行灯山(あんどんやま)古墳(崇神(すじん)陵)

奈良県天理市

前期

242m

 3日

16

(むろの)宮山(みややま)古墳

奈良県御所(ごぜ)

中期

240m

17

岡ミサンザイ古墳(仲哀(ちゅうあい)陵)

大阪府藤井寺市

後期

238m

18

西殿塚(にしとのづか)古墳(手白香女陵)

奈良県天理市

前期

234m

19

メスリヤマ古墳

奈良県桜井市

前期

230m

20

市野山(いちのやま)古墳

大阪府藤井寺市

中期

227m

21

太田茶臼山古墳(継体陵)

大阪府茨木氏

中期

227m


日本の古墳
 4日

世界に誇る日本の美の形

明治時代の思想家で美術界の中心的存在の岡倉天心は、「アジアは一つである」との言葉を残した。天心は、中国やインドなどアジアの美術が日本に伝わって一つになつたと考えた。

日本人は大陸文化を積極的に取り入れながら独自の美意識に裏づけられた、世界に誇る美術品を生み出してきた。
 5日 気韻(きいん)生動(せいどう)

美術作品にとり、生き生きとした精神的な「気」の流れ(リズム)を感じさせることが最重要という意味。日本書紀には推古天皇が止利(とり)仏師(ぶっし)の作の仏像を見て「よき仏像」、「心に合う」と言われたと記録がある。その美意識が飛鳥・奈良時代の仏像には風土や宗教を越えた人間の姿が表現された。

美を感じる豊かな心を持つ日本人は、紙や絹に描かれた美しい絵巻物、掛け軸を大切に保管し、漆や粘土、木などで作られた壊れ易い彫刻を永年にわたり守り抜いてきた。今日に伝わる素晴らしい文化遺産は古人のかけがえの無い宝物と言える。

 6日 奈良時代の作品1. 奈良時代、天平(てんぴょう)文化の頃、仏像が仏教の教えを表す図解を超えて、理想の人間表現となり優れた仏師(ぶっし)が次々と登場した。

  法隆寺の国宝

  興福寺の国宝
 
興福寺の将軍(しょうぐん)万福(まんぷく)、東大寺の国中連(くになかのむらじ)(きみ)麻呂(まろ)などは、イタリアの大彫刻家ドナテルロやミケランジェロに匹敵する、日本の古典主義時代と言える。
 7日 奈良時代の作品2. 阿修羅像
(異教の神を作者は少年の気高い姿に表現、興福寺)。
奈良国立博物館(名宝豊富)

不空羂索観音像@
溜息の出る
不空羂索観音像A
不空羂索観音像B
(ほう)隆寺(りゅうじ)五重塔(ごじゅうのとう)塑像(そぞう)(釈迦の死を悲しむ姿だが、これ程強い感情を表現した像は世界にも類を見ない。)
 8日 奈良時代の作品3. 十二神像(しんぞう) 迷企羅(めきら)(仏を守る像として怒っている姿だが、下品でなく躍動感溢れる活発な動きを示す、新薬師寺) 四天王像広目天(こうもくてん)(巻物と筆を持って仏を守る像。知性を持って悪に対し怒るさまである。東大寺)
 9日 奈良時代の作品4. 十大弟子像 ()菩提(ぼだい)(微笑みを浮かべた円満な顔立ちは、この時代の日本人の理想像であろうか。興福寺) 月光菩薩 日光菩薩 (月光菩薩は日光菩薩と対になる像で、人間性を越えた神々しさを宿している。東大寺)
10日 平安時代の作品 京都に都が移り貴族の時代になると、宮廷的な洗練の時代となった。10世紀には美術でも優美な形式の仏像や、華麗な仏画が好まれるようになる。 貴族たちの間では物語と絵を合わせた絵物語が流行した。
11日 平安時代の作品2. 平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)(藤原道長の息子、頼道が阿弥陀仏の浄土をこの世に表現する為に建築。定朝作の阿弥陀仏が安置。) 普賢(ふげん)菩薩(ぼさつ)(白い象に乗り蓮の上に座り祈る姿は立体的で色彩も大変美しい。東京国立博物館)
12日 平安時代の作品3. 梵天像(ぼんてんぞう)(形の美しさ以上に空海が伝えた新しい仏教の持つ神秘的な雰囲気を表現する意図あり。東寺)国立博物館所蔵国宝

鳥獣(ちょうじゅう)戯画(ぎが)(猿、兎、蛙などになぞらえて世の中の様子を巧みに風刺した作品。高山寺)

13日 平安時代の作品4. 餓鬼(がき)草紙(そうし)(寺の門前でたむろする民衆に餓鬼が忍び寄っている、当時の世相図。京都国立博物館)

伴大納言絵巻(応天門放火事件の絵巻、生き生きした民衆の姿。出光美術館)

14日 鎌倉時代の作品 武士の時代を反映して力強い写実と動きの表現を伴った美術が生まれた。 生き生きとした日本の民衆の姿は、彫刻、絵巻物、肖像画などに示され、17世紀ヨーロッパのバロック美術に匹敵する表現力を持つ。
15日 鎌倉時代の作品2. 無著(むちゃく)像、世親(せしん)。(五世紀のインドの高僧を現した像、作者の運慶はその高い手腕で人生の苦難を知った日本人の顔として表現した。興福寺) 金剛(こんごう)力士像(りきしぞう) 阿形(あぎょう)(写実的に生き生きと表現、力強い裸体像、仏師の技術の高さを示す。定慶(じょうけけい)作、興福寺)
16日 鎌倉時代の作品3. 八大童子像 恵光(えこう)童子(どうじ)(不動明王に従う少年像。緊張感に溢れた姿からは怒りと共に少年の鋭い知性も感じとれる。金剛峰寺) 大燈(だいとう)国師(こくし)像(この禅僧に見られる一瞬不安な表情、世界の肖像画の中でも見事と言われる。大徳寺)
17日 鎌倉時代の作品4. 空也(くうや)上人(しょうにん)像(諸国を巡る上人の姿、口から出ているのは南無阿弥陀仏を表す仏の像。六波羅蜜寺) 平治(へいじ)物語(ものがたり)絵詞(えことば) 六波羅(ろくはら)行幸(ぎょうこう)巻(平治の乱を主題、絵巻物を総合した見事な構図と人物描写。東京国立博物館)
18日 室町時代の作品 禅宗を初め中国の影響が強く、山水画が盛んとなる。自然を生かした庭園も発達、能面を使った能が上演された。 安土・桃山時代には豪壮な城郭建築が建てられ障屏画も描かれた。
19日 室町時代の作品2. 山水長巻(さんすいちょうかん)(雪舟(せっしゅう)は中国で発展した山水画を明に渡り学び、力強い筆さばきで独自の世界を完成。毛利博物館)
大徳寺庭園(大きい岩を高い山に見立て、そこから流れる水を砂で表し庭に人口の景観を作りだしている。)
能面
(おきな)孫次郎(まごじろう)
(能の主役であるシテ面、それは役に応じて様々な表情を表さねばならぬ。三井文庫)
20日 安土・桃山時代 唐獅子図(からじしず)屏風(びょうぶ)(金地の背景に唐獅子が堂々と歩いている。天下統一を目指す武士の気風を伝えている。狩野永徳、三の丸尚蔵館) 松林図(しょうりんず)(初冬の深い霧の中にしずむ松林、中国の模倣から脱している。日本山水画の秀作。長谷川等伯、東京国立博物館)
21日 江戸時代の作品 町人の絵画が生まれ、前期には装飾的な屏風絵、後期には写実的な浮世絵が発展した。 美人画、役者絵、風景画など、江戸の生活全般が描かれている。自由な山水画も生まれた。
22日 江戸時代の作品2. 風神(ふうじん)雷神図(らいじんず)屏風(びょうぶ)(風神と雷神が、まるで金地の空を雲とともに飛んでいるように、生き生きと描かれている。俵屋宗達、京都府 建仁寺) (とび)烏図(からすず)(烈しい風の中、枝にしがみつくトビ、降りしきる雪の中、寒そうに枝にとまっているカラス。与謝蕪村、北村美術館)
23日 江戸時代の作品3. 凍雲篩雪図(とううんしせつず)(凍えるような白い冬景色に、細い木々が震えるように描かれている。日本の山水画の傑作と言われる。川端康成記念館) 富嶽(ふがく)三十六景(さんじゅうろつけい) 神奈川沖浪裏(なみうら)(大きな波の間に小さな漁船が見え、遠くに富士山、遠近法を見事に使っている。葛飾北斎、東京国立博物館。)
24日 江戸時代の作品4. 東海道(とうかいどう)五十三次(ごしゅうさんつぎ) 庄野(しょうの)(雨が降りつける中で旅人が急ぎ走り出す、風で木も倒れそうだ、観察眼の鋭さが伺える。東京国立博物館。) 大谷鬼(おおたにおに)()奴江戸(やつこえど)兵衛(べえ)(写楽は歌舞伎の役者絵で人物の性格まで生き生きと描き、世界有数の肖像画家とさえ言われている。東京国立博物館。)
25日 歴史を学ぶとは1. 歴史を学ぶのは過去の事実を知ることだけではない。過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことである。 今は中学校に行くのは義務教育であるが、ほんの半世紀前では、行きたい人も行けない高等教育であった。私の同級生でも殆んどは小学校だけであった。
26日 歴史を学ぶとは2. 私の年代以前は、どんなに勉強がよく出来ても、小学校さえ行けず商店の丁稚小僧や裕福な家の使用人として働いていた。 教育は権利と法律にあっても、国の生産性が低く富が限られていては公平は単なる理想であった。
27日 歴史を学ぶとは3 古代、巨大墳墓の建設に多数の人間が強制的に使役された事実を、現代の尺度で善悪を判断するのは歴史の立場では大きな意味はない。歴史を学ぶとは、現在の基準から見ることではない。 過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去には、或いは夫々の時代には、夫々時代特有の善悪があり、幸福があったのである。
28日 歴史を学ぶとは4. 過去の事実を厳密に、正確に知ることは確かに知ることは出来る。そういう事実を幾ら正確に知ることは「年代記」であり「歴史」ではない。 その事件は「何故起きたか」、「誰が死亡した為にどのような影響が生じたか」を考えることが「歴史の心」である。
29日 歴史を学ぶとは5. そうなると、「人」により「民族」により、「時代」により、考え方や感じ方が全く異なる。アメリカのワシントンはアメリカが英国から独立した時の司令官で初代大統領で建国の偉人である。 然し、アメリカという植民地を失った英国にして見れば必ずしも偉人ではない。英国の教科書にはワシントンの名前が記載されていないものや、反乱軍扱いしているものもある。
30日 歴史を学ぶとは6. 歴史は民族によって異なって当然である。国の数だけ歴史があっても当然なのである。歴史は固定的に考えて、動かないものという見方はやめるべきである。 歴史に善悪を当てはめ、現在の基準や道徳で裁くのは正しい見方ではない。歴史は自由で囚われのない目で眺め、数多くのこー見方を重ねてじっくり事実を確かめることが大切である。