日本の心 ―大和・奈良時代の文学
平成186

 1日 上代(上古)文学 四世紀頃に大和朝廷が国土統一してから、都が平安京に移る794年までの間を「大和・奈良時代」と言う。この期間の文学が上代(上古)文学。 聖徳太子の改革や、大化の改新、壬申の乱などを経て、中央集権的国家の建設がおし進められた時代である。
 2日 口承文学から記載文学へ 上代(じょうだい)はまだ文字を持たなかった人々も、神を祭る行事や集団の中で、歌や物語を持っていた。人から人へと口伝えに歌い継がれ語り継がれていったのである。語部(かたりべ)」と呼ばれる、暗唱(あんしょう)を仕事とする職業もあった。 四-五世紀ごろに漢字が伝来し、文学の歴史は大きく変化して行く。漢字を用い国語を書き表すことが工夫され、口伝えの神話・伝説・歌謡などが文字に記録され始めた。こうして「古事記」「日本書紀」「風土記(ふどき)」が作られた。古事記以降が記載文学である。
 3日

時代の変遷一覧

天皇

年号

西暦

作品

流れ

紀元前―七世紀

 

740年まで

口承文学。神話・伝説・古代歌謡・祝詞

538仏教伝来607法隆寺建立645大化の改新672壬申の乱710平城京遷都

元明天皇

和銅5

712

古事記(太安万侶)

 

元正天皇

養老4

720

日本書紀(舎人親王ら)

記載文学

聖武天皇

天平五年

733

出雲風土記

 

孝謙天皇

天平勝宝三年

751

懐風藻

752年東大寺大仏開眼

淳仁天皇

天平宝字三年

759

万葉集(大伴家持ら)

 

当時の作品1.
 4日 日本書紀 舎人(とねり)親王らによる編集、歴史書、30巻。神代から持統天皇までの歴史を年月日の順序に従い編修。

風土記

元明天皇の命(713)により各地の産物、地名の由来も地勢、説話などを記録。「出雲風土記」の全部、外に、播磨・常陸・豊後・肥前の風土記の一部が現存。

 5日 懐風藻(かいふうそう) 編者未詳、漢詩集、一巻。 天皇・貴族・僧侶など当時の知識人64人の漢詩120編を作者別・年代順に収めている。
 6日 和歌の誕生 国語が漢字の利用により表記が出来ることとなり、人々は素直な気持ちで自分の心を表現できるようになった。天皇も名もない民衆も歌った。これらの歌は小さな歌集に残され、やがてそれらをまとめて「万葉集」が編纂されることとなる。 万葉集こそは上代の人々のあるがままの姿を今日に伝える最も優れた文学遺産である。
 7日 古事記

元明天皇(43)の命を受けた(おおの)安万侶(やすまろ)が、語部(かたりべ)である稗田(ひえだの)阿礼(あれ)が暗唱していた神話・伝記・伝説・説話・歌謡・歴史などを記録したもの。

712年、和銅五年の成立で、現存する書物としてわが国最古のものである。全三巻。
 8日 古事記成立と編者 天武天皇が、天皇家の記録や神話・伝説・説話などの誤りを正し、真実を後世に伝えようとして、記憶力のよい稗田阿礼に暗唱させた。 天皇の崩御により中断された。のち、元明天皇がこの事業を継ぎ(おおの)安万侶(やすまろ)に命じて記録させ和銅五年一月に完成した。
 9日 古事記の構成と内容概略

古事記成立までの事情や、漢字を用いて記す上での工夫・苦労などが述べられている。

上巻

日本建国の由来、天皇家の始祖である神武天皇誕生までの神話。天の(あまの)石屋戸(いわやと)稲葉(いなば)素兎(しろうさぎ)(うみ)幸彦(さちひこ)山幸彦(やまさちひこ)などである。

中巻

神武天皇から応神天皇の時代まで(三・四世紀)の建国の歴史・英雄伝説。倭建(やまとたけるの)(みこと)の遠征、(じん)(ぐう)皇后の新羅(しらぎ)遠征など。

下巻

仁徳天皇から推古天皇まで(五・六世紀)の歴史伝説が中心。仁徳天皇の恋愛、雄略天皇の活躍物語。

10日

倭建(やまとたけるの)(みこと)の巻、粗筋

第十二代景行天皇は、皇子の小碓(おうすの)(みこと)の荒い気性を恐れて、(みこと)に西国の熊曾(くまそ)(たける)を討つように命じられた。命は女装して建に近づき、剣で建を刺した。それ以来、命の武勇をたたえて、倭建(やまとたけるの)(みこと)と呼ぶようになった。天皇は、その後も次々と賊の討伐を命に命じられ、命は、西に東に、各地の賊を討つために出かけた。命は、各地の賊を討ち従え、近江国(滋賀県)の伊吹山の、山の神の征伐に向かった。 しかし、山の神のたたりで大きな雹に打たれて、すっかり体をこわし、大和へ向かうが、命し、ついに一歩も歩けなくなった。
11日 倭建(やまとたけるの)(みこと)能煩野(のぼの)  能煩野(のぼの)に到りましし時、国を(しの)()歌曰(うた)()たまひしく、「(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 (やま)(ごも)れる (やまと)しうるはし」とうたひたまひき。また歌曰(うた)()たまひしく、「(いのち)の (また)()人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)()せ その子」とうた()たま()き。この歌は国思(くにしの)()歌なり。(中略) この時御病(みやまひ)いと(には)かになりぬ。(中略)(ここ)八尋白(やひろしろ)智鳥(ちどり)()りて、(あめ)(かけ)りて浜に向きて飛び行でましき。
12日 倭建能煩野(口語訳) (みこと)が、、能煩野(のぼの)(三重県鈴鹿山脈の野登山(のぼりやま))にお着きになった時、大和の国をしのんでお歌いになったのには「大和は、国々の中でも最もよい国だ。重なり合った青い垣根の山、その山々の中にこもっている大和は本当に美しい国だ」とお歌いになられた。又、お歌いになったのには「(いのち)の無事である人は、大和の国の平群(へぐり)の山の大きな樫の木の葉をかんざしに挿せ。おまえたちよ」とお歌いになられた。この歌は国思(くにしの)び歌である。 この時、ご病気が急変して危篤になられた。(そして辞世の歌を歌い終わるやいなや亡くなられた)。ここに倭建命は大きな白鳥になって、天空高く飛び、浜に向かって飛んでお行きになった。
13日 万葉集概略1. 全二十巻、4516首、現存するわが国最古の歌集。編集には大伴家持らがあたり、奈良時代末期に完成。書名の意味は、万代に伝われという願いをこめた集、などと解されている。元々別々に成立していた巻々を原型として、長い年月の間に何人かの編者が整理を重ね、 最終段階で大伴家持が手を加え奈良時代の末までに(759年以降―最も新しい歌がこの年に詠んだ家持の歌である)
14日 万葉集概略2. 万葉歌の作者は、天皇・貴族から一般庶民に至るまで、あらゆる階層の人々に及び、地域も、大和(奈良)を中心に全国に及ぶ。無名の庶民の歌まで収められていることは、後代の歌集に見られない特色で日本は古代から人間重視の思想が根源にある。自分の心を飾らず感動をありのままに表現する。 素朴で力強い調べ(ますらをぶり)が豊かである。また、二句切れや四句切れの五七調(ごしちちょう)で、重々しい感じのする歌が多い。
15日

万葉歌の内容上の分類

相聞

男女・親子・兄弟などの間で行われた贈答の歌を指すが恋の歌か最も多い。

挽歌

もとは死者の(ひつぎ)()()く時の歌の意、死者を弔い、悲しむ歌。

雑歌

相聞・挽歌以外の歌。行幸・旅・公私の宴席その他の場合の歌が多い。

(三大部立(ぶたて))
16日 歌の形式上の分類

短歌

五・七・五・七・七形式。約4200首。

長歌

五七音を三回以上繰り返し、最後を五七七で結ぶ形式。約260首。

旋頭歌

五・七・七・五・七・七の六句から成る形式。約60首。

仏足石歌体

五・七・五・七・七の形式。一首。奈良薬師寺の「仏足石歌碑」に刻まれているものと同じ形式なのでこう呼ぶ。

(歌体)
17日 万葉表記法

万葉仮名

漢字の意味に関係なく、その(おん)(くん)を巧みに利用して日本語を表記するもの。

音を借りた事例。

波留(はる)()許己呂(こころ)()など。

訓を借りた事例。

八間跡(やまと)(大和)夏樫(なつかし)名津(なつ)蚊為(かし)(懐かし)など。

万葉仮名
18日 万葉時代区分

区分

 

時代

歌風・特色

第一期(629-672)

初期万葉

大化の改新前後から壬申の乱まで

個人の感動を、率直に力強く歌いあげている。恋愛歌が中心。

第二期(673-710)

確立期

壬申の乱から奈良に都が移るまで。

雄大で重厚・荘重である。専門歌人が登場。長歌が完成し技巧も充実。

第三期(711-733)

最盛期

奈良時代前期

優美に洗練された、個性に富む歌が多い。すぐれた歌人が数多くでた。

第四期(734-759)

衰退期

奈良時代中期

力強さや個性が弱められ、繊細、感傷的な歌が多い。長歌が減り短歌が主流。

歌風の変遷
19日 万葉の機知 万葉仮名の中には「義訓」と言い、漢字の意味からの連想として用いたものがある。(はる)()(ふゆ)()恋水(なみだ)() 丸雪(あられ)向南(きた)()西渡(かたぶく)(傾く)等。
20日 万葉の戯書(さ゜れがき) 二二()(二]二で四)十六(しし)(四四で十六)二五(とを)(二]五で十)八十一(くく)(九九は八一)
()声、牛()(馬や牛の鳴き声から)蜂音()(蜂のブーンと飛ぶ音から)
山上復(いで)有山(山の上にまた山ありて)で出。
21日 万葉の主な枕詞1.

地名にかかる枕詞

あきつしま

大和(やまと)

あをによし

奈良

あしがる

難波(なには)

かみかぜの

伊勢

ささなみの

志賀・近江・大津

さねさし

相模

しきしまの

大和

しらぬひの

筑紫

そらみつ

大和

たまだすき

畝傍(うねび)

とぶとりの

(あづま)

にほどりの

葛飾(かづしか)

ひのもとの

大和

まかねふく

吉備(きび)

みすずかる

信濃

もののふの

宇治

やくもたつ

出雲

 

 

枕詞は元々、ある意味を持つ言葉であったが、段々と元の意味が薄れ、ある言葉の上に添えて、修飾したり歌の調子を整えたりする為に用いられるようになつた。普通、五音で表す。意味は別にないので、特に訳す必要はない。
22日 万葉の主な枕詞2.

あかねさす

日・朝日・昼・紫・君

あしひきの

山・()・岩

あづさゆみ

引く・音・春・張る・射る・矢

あまざかる

ひな(いなか)

あらたまの

年・月・日・春

いはばしる

垂水・滝・人・世・命

からころも

着る・裁つ・袖・裾・紐

くさまくら

旅・夕・露

くれたけの

世・夜・(ふし)

しろたへの

衣・袖・(たもと)

たまくしげ

ふた・明く

たまづさの

使ひ・(いも)

たらちねの

母・親

ちはやぶる

ぬばたまの

黒・夜・闇

ひさかたの

(あめ)・雨・空・月・光・雲

みづとりの

立つ・鴨

もののふの

八十(やそ)(うじ)

ももしきの

大宮・宮

わかくさの

(つま)(つま)(にひ)

普通の言葉にかかる枕詞
平安時代の文学
23日 中古の文学 桓武天皇が平安京(京都)に都を定めてから、源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約400年間(794年―1192年)を平安時代と言う。この期の文学を、上古に対して中古の文学という。 宮廷を中心とした貴族文学が隆盛を極め、貴族たちは優れた教養を身につけ宮廷の女性たちもまた豊かな才能を示した。
24日 唐風(からふう)から国風(こくふう)へー平仮名の出現 初期の頃は、中国文化の輸入・模倣が盛んで、天皇を中心として貴族の間には漢詩文が流行した。「凌雲新集」、「文華秀麗集」などの勅撰漢詩文集が編纂された。しかし、遣唐使が廃止されるころから、日本独自の文化が育ってきた。その大きな力となったのが「平仮名」の普及である。平仮名は、漢字より自由に使え、きめ細かな表現に適した文字であった。 女性たちはこの平仮名を使いこなして優れた文学作品を生み、また男性も繊細で美しい表現を得ていた。
25日 和歌の全盛期へ 「古今和歌集」(全20巻)を初めとする勅撰和歌集が次々と生まれ、「山家集」のような私家本も多く作られた。 宮廷では、歌合(うたあわせ)という和歌を作り比べることが行われ、日常的にも貴族のたしなみとして流行した。
26日 宮廷社会の文学―物語・日記・随筆 一つは物語である。かぐや姫で知られる「竹取物語」、歌物語で知られる「伊勢物語」、さらに日本の古典を代表する紫式部の「源氏物語」(54巻)が著された。もう一つは、日記・随筆である。最初の仮名日記である紀貫之の「土佐日記」や「蜻蛉日記」「紫式部日記」「更級日記」である。随筆には鋭い感覚と簡潔な文体の清少納言の「枕草子」がある。 紫式部の「もののあはれ」、清少納言の「をかし」に代表される女流文学の隆盛が、この時代の大きな特色である。
27日 説話・歴史文学 説話文学として、貴族ばかりでなく、僧侶・武士・盗賊などのあらゆる階層の人々が登場する「今昔(こんじゃく)物語」「大鏡」が作られた。当時、流行した民衆の歌謡を集めた「梁塵秘抄」など、 隆盛をきわめた貴族文学にかわり民衆文学が生まれつつあった。
28日 当時の文学作品1. 「日本霊異記(りょういき)」―景戒。薬師寺の僧、景戒が編集したわが国最古の説話集。各地に伝わる仏教説話百十余編をまとめたもの。「伊勢物語」−作者未詳、約百二十五段の小話から成る歌物語。各段は「むかし、をとこありけり」で始まり、一人の男の一代記のような形で構成されている。「和漢朗詠集」−藤原公任ら撰。漢詩文や和歌の中から、節をつけて朗詠するのに適したものを選んでまとめたもの。 漢詩文では白居易(はくきょい)(中国詩人)、和歌では紀貫之の作が多い。
29日 当時の文学作品2. 「栄華物語」−作者未詳、40巻の仮名書きの歴史書。宇多天皇から堀河天皇までの二百余年の歴史を中心に描く。「更級物語」−菅原孝標女、上総の国(千葉県)から父について上京した少女期から、夫の死後、極楽往生を願う51歳までの人生を回想した自叙伝的な日記である。 「梁塵秘抄」―後白河院撰、平安後期、貴族や庶民の間に流行していた各種の歌謡を集めたもの。当時の庶民の生活や風俗などを知る貴重な歌謡集。
30日

「あはれ」−平安時代文学の代表的な美意識。うれしいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけ、心の底から自然にわき起こる感動の、しめやかで、しみじみした情趣を言う。「源氏物語」で完成された美の理想とされている。「をかし」「あはれ」と共に、平安時代文学の代表的美意識。ことやものに対して、おもしろい、うつくしいなど強い興味を引き起こす美的な感覚で、客観的・批判的にものを観察してとらえようとする

時に使われ、「知的・理性的な美」を表現する言葉として「枕草子」に代表されるように、よく使われた。

平安時代文学の流れ一覧

天皇

年号

西暦

作品と作家

流れ

桓武

天応・延暦

781

神楽歌・催馬楽

平安京遷都794

嵯峨

弘仁5

814

凌雲新集(小野峯守ら)

 

嵯峨

弘仁九

818

文華秀麗集(藤原冬嗣ら)

漢詩文全盛

嵯峨

弘仁十一

820

日本霊異記(景戒)

 

淳和(じゅんな)

天長四

827

経国集(良峯安世ら)

勅撰漢詩文集

宇多

寛平六

894

竹取物語894

平仮名普及・遣唐使廃止

醍醐

延喜五

905

古今和歌集(紀貫之ら)伊勢物語(作者未詳)

和歌の全盛

朱雀

承平五

935

土佐日記(紀貫之)

勅撰和歌集の編纂

朱雀

天慶(てんぎょう)

940

将門(まさかど)記(作者未詳)

 

村上

天暦元

947

後撰和歌集(源順(みなもとのしたごう)ら)

 

円融

天延二

974

蜻蛉日記(藤原道綱母)

 

円融

天元三

980

宇津保物語(作者未詳)

 

一条

永延元

987

落窪物語(作者未詳)

摂関政治

一条

長保二

1000

拾遺集(花山院ら)

 

一条

長保三

1001

枕草子(清少納言)

 

一条

寛弘四

1007

和泉式部日記(和泉式部)

宮廷女流文学全盛

一条

寛弘五

1008

源氏物語(紫式部)

藤原道長摂政となる1016

一条

寛弘七

1010

紫式部日記(紫式部)

 

三条

長和二

1013

和漢朗詠集(藤原公任ら)

 

後一条

万寿二

1025

大鏡(作者未詳)

 

後一条

長元元

1028

栄華物語(作者未詳)

 

後冷泉

天喜三

1055

堤中納言物語(作者未詳)

 

後冷泉

康平二

1059

更級日記(菅孝標女(すがわらのたかすえのむすめ))

 

白河

承暦元

1077

今昔物語(作者未詳)

民衆文学の芽生え

白河

応徳三

1086

後拾遺集(藤原通俊)

白河上皇院政1086

崇徳

大治二

1127

金葉和歌集(源俊頼)

 

近衛

仁平元

1151

詞花和歌集(藤原顕輔)

1167平清盛太政大臣となる

高倉

嘉応元

1169

梁塵秘抄(後白河院)

 

高倉

嘉応二

1170

今鏡(藤原為経)

 

後鳥羽

文治三

1187

千載和歌集(藤原俊成)

 

後鳥羽

建久元

1190

山家集(西行)