西尾幹二氏・藤岡信勝氏 

新しい歴史教科書の会が混乱している。

私は、詳しくは知らないし、興味はない。

ただ、日本国のために、素晴らしいよい事をしている方々だから内紛は外敵を喜ばすだけだから、実に残念だなという思いがつのる。

両氏への私の面識は基本的には無い。

遠くからの「私の直感と洞察」感想を述べる。

西尾幹二氏は数年前、鳥取市で講演されて、会場で著書にサインされた時、私は並んで購入し、サインをして頂いた。

その時、私は自己紹介した、鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典の名詞を出し会話を交わした。その時の西尾幹二氏の「応対辞令」に私は多少の不快感を覚えたことを忘れない。それは西尾幹二氏の、多分、自信過剰と尊大さ傲慢さ、というか「人間的謙虚さ」の欠けたものを直感した。

西尾氏は信念の人であり、立派な学術的お仕事をされ私も数冊の著書を拝読し敬服していたが、西尾氏は、少し傲慢になっていて人としての初心を忘れてしまったのであろう。今回の騒動は西尾氏の個人的性格に由来する内紛であろうと洞察している。 

藤岡信勝氏との面識もないが、同様に、立派な業績をあげられて信念のお方であると思う。だが、やはり、西尾幹二氏同様、自分の殻の中にいて、柔軟性にやや欠けて、私の壺中にいて人間的・社会的視野狭窄になっているのであろう。 

ここで故安岡正篤先生の言葉を引用する。 

「私欲を去る、ということである。ということは公に帰するということである。私心・私欲を去って、自己を空しうして、公のために、天下・国家のために尽くすということである。」 

日本民族のために崇高な歴史的な仕事をされている西尾幹二氏や藤岡信勝氏は、多分、この安岡正篤先生のお言葉に尽きるのではないか、どんな立派な仕事をしても、この心を欠いてしまっては臥竜点晴に欠けてくるものだと切実に思い、日本のために誠に残念に思う者である。 

的外れの所見であれば非礼を詫びる。 

平成18523

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典