格言・箴言 7月「小学の読み直し」@−失われた自己を取り戻す為にー
                 −小学は「人間生活の根本法則」 

安岡教学は、活学であり、現代人間に欠けてしまった、生きる上での基本を実に分かり易く教えておられる。私のもとに連絡の来る、若い人が意外と故安岡正篤先生の著作を読んでいるのに驚きと共に納得できるものを感じている。
現代人は、今こそ「小学」を学び直せと叫びたい。そこで安岡正篤先生の「小学の読み直し」を日々精力的に取り組みたいと決意した。
            
平成186月1日     徳永日本学研究所 代表 徳永圀典     

 1日 融通無碍の世界

真理とか道とか云うものは始めなく、終わりなしで、大にしては宇宙、小にしては一言一句、どこから始めてもよいし、どこで終わっても構わない、誠に融通無碍である。数学の岡潔先生がお見えになっておられる。

岡先生の数学は、それこそ融通無碍でありまして、科学でも、本当の科学というものは、哲学にも宗教にも相通ずるもので、ここからが科学、ここからが宗教などという区別は決してない。ただそれでは不便なので、説明の便宜上、知識とか技術とかと区切るだけのことであって、限界などというものはない。
 2日 全体と個 我々の身体でもそうであります。心臓とか肝臓とか色々あるが、他とのかかわりなく、全体とかかわりなく存在するものは何一つ無い。甲状腺にしても、ちょっと見れば単なる骨のように 見えるが、専門医に訊くと、ここからサイロキシン(チロキシン)というものを血液中へ放り出す。これが出なくなると、正邪曲直の判断とか、美観の感覚とか、或いは神聖なるものを敬うとか云うような機能が失われてしまう。
 3日 微妙な相関関係 ネズミの餌から完全にマンガン分を除去すると母性本能が失われてしまうという。これを聞くとすぐ慌てるものは、真・善・美はサイロキシンから出るのかと決めてしまうがこういう考え方は唯物主義というもので決してそんな簡単なものではない。 身体の機能は、実に微妙な相関関係にあって、どの部分をとっても、それからそれへと無限に連環しておる。道の世界、真理の世界でもでも同じこと。孔子を論じようとすれば老子も釈迦もみな関連してくる。それでこそ本当の真理の世界・道の世界というものである。
 4日

近頃、よく自己疎外などと言う言葉が流行りますが、要するに、内を離れて外に走ることで、枝葉末節になればなる程動きの取れぬ、融通の利かぬものになってしまう。

今日の一番の弊害は、この内的統一を失って雑駁になっておるということである。その最も悲惨なものは、自己の喪失・人間性の喪失ということである。
 5日 憂うべき現代社会 この失われた自己を取り戻し、内的世界・精神世界に還ろう、そういう機縁を作ろう、そういう道を開こう、そういう処にこの研修会の意義・価値があるのであります。 現代は色々の点で危険な状態にある。「繁栄の中の没落」という事がよく言われますが、今日はこの繁栄の中の没落に向かって暴走しておる、と言って少しも差し支えない。
 6日 青年と体力

暴走するのは決してトラックやダンプカーばかりではない。これはあらゆる先覚者達が夫々の立場から明瞭に指摘しております。例えばスポーツが盛んになって確かに身長は伸びました。俗眼で見ると、身体の格好はなる程良くなりました。殊に運動の世界から殆ど締め出されておった婦人の体格は目に見えて良くなって参りました。お母さんと並んで歩いておる娘は大抵お母さんより丈が高い。

然らばその娘達がお母さん達より生命的に、医学的に発達しておるか、と言うと決してそうではない。否、むしろ退化しておる、とさえ多くの医学者達が指摘しておるのであります。
スポーツによって体格は立派になりましたけれども、体力・生命力は弱くなっておる。これは女に限らず男も同じであります。丁度それは、色々の条件を整えられて飼育されている小動物と同じことで、天然自然の体力・生命力ではないのであります。

 7日

従ってちょっとの気候の変化にも或いは飢餓・苦痛といったものにも耐えることが出来ない。例えば東京でも最も野性的であるべき、本所・深川といった下町の青年達が、もう昔のような御神輿を担ぐことが出来ない。

戦災で大分焼けたとは云え、若干残っておる御神輿がみなほこりをかぶって、倉に放り込まれております。農村の青年でも、昔は足駄を履いて、米俵を両手に持って平気で歩いてものでありますが、今はそんな腕力・体力は青年に失くしてしまいました。
 8日

近頃話題のアフリカにしても、オランダやイギリスから渡って行った最初の移民の記録を読むと、獰猛な野牛の角を持って押

し返すくらいの力量を持っておった。今は、そういう力のあるものは一人もおらないそうであります。
 9日 精神力 これが精神力といったものになると、更に酷いもので、弱くなっておるばかりではなく、精神障害者がどんどん激増して来ておるのであります。 いつかもお話しましたが、コーネル大学の心理学者が八年かかってニューヨークのマンハッタン地区の住民を調べた結果によると、全住民の58.1%がなんらかの系統に於ける精神障害者であって、どの点から言っても障害の認められないというのは僅か18.5%に過ぎないという。
10日

これは世界の文明国共通の現象で、精神障害が激増して来ておるのであります。更に憂うべきは犯罪者、殊に悪質犯罪者の激増であります。日本は世界で最も多い部類にはいっておりまして、傷害致死・殺人と言った凶

悪犯罪の数はイギリスの13倍に達している。色々の点でよく似ておると言われる西ドイツと比べても、大人の犯罪で5倍、青少年の犯罪で3.6倍、とはるかに日本の方が多くなっているのであります。
11日 精神と物質 また、文芸・文学・芸術といったものが何を題材にしておるのか、社会的に考察しても、堕落してきておると言わざるを得ない。特に戦後は考え方が物質的になって、国家とか、神とか、いう様なものへの奉仕を忘れ、利益ばかりを追求するようになってしまいました。 精神よりも経済を重んじ、道徳や歴史的伝統というものを無視して、人間がせせこましくて小さなエゴになって参りました。こういうものを段々拾いあげて整理すれば、病院の患者と同じように一つのカルテが出来上がる。このカルテを見ると、今日の文明国、殊に戦後の日本の現状はそれこそ重態に陥っているということが出来る。
12日 先ず失われた自己を回復しなければならない どうすればこれを救うことが出来るか。これが今日の一番の問題なのであります。然し、こういう問題はジャーナリズムには取り上げられない。だからみんな意識しないのであります。病気でも無自覚症状ほど取り扱い難いものはない。どんどん病気が進行するばかりであります。 これを突き詰めて行くとね結局今失っておるものを回復する以外に道はない。その具体的方法は如何。例えば、この物質生活を真理に徴してして、真実自然の日常生活に改める。薬一つにしても、野放図もなく売り出されている新薬等を飲まないで、もっと生薬を活用する。食物にしても、無暗に加工したものや、季節を無視した冷凍物は止めて、出きるだけその土地でとれた新鮮な生命力のあるものを食べるようにする事が大事であります。
13日 己れ自身を知る 特に大事なことは、何万年、何千年来漸くここまで発達させて来た精神生活・心霊の世界を今一度回復することであります。ここ数百年来分析というものが一つの原型になって、科学が発達してきたのでありますが、あらゆる分析の中で一番発達した高等な分析はなにかと言うと、人間が自分自身を省み解明する分析である、とはすぐれた科学者の一致した見解であります。今一度回復することであります。「己れ自身を知れ」とはギリシャの諺でありますが、真によく己れにかえれば、自分の真生 命・真我を把握すれば、どんな自己でも、必ず独特の意義・価値を追求することが出来るのであります。教育にしてもそうであります。「好んで人の師となる勿れ」という名言がありますが、教育者に一番大事なことは、先生になることではなくて、学生になることであります。良教師は必ずよく学ぶ人でなければならない。今の教師は、人を教えることばかり考えて、自分自身学ぶことを忘れてしまっている。我々がここに集まったのは、単に教師としての知識や技術を拾い集めるためではない。失われた自己を回復して、これを解明する、又その機縁を作るためであります。
14日 志さえ立てば貧乏でも鈍才でも問題ではない。 そうして初めて真実の世界に立つことが出来るのでありますが、その真実の世界に還ってみれば、すべてが融通無碍であります。俗学と聖学とでは見解も自ら違ってくる。例えば功利主義者などて判を押した様に、勉強したくても金がないと申します。しかし貧乏だから勉強が出来ぬなどということは絶対にあり得ない。要するにこれは人間の問題で、その人自身志を立てさ えすれば、貧乏などは問題ではないのであります。昔から偉大な仕事をやり、又偉大な自己を作り上げた人で、おおよそ貧乏でなかった人は何人おるか。金に恵まれ、贅沢が出来て偉くなったというのは、それこそ本当に例外であります。大抵は貧乏で、しかも随分ひどい貧乏が多かったのであります。あの明治の西郷南州にしても、吉之助の少年時代は大変な貧乏で、家庭は困難を極め、いつも襤褸着物に破れ草履を履いて、それこそ惨憺たるものであった。
15日 貧乏 南州と言えば、勝海舟を思い出しますが、とても今日の我々には想像も出来ないような貧乏をやつております。当時の日記を読むと、飯を炊くにも薪がない。とうとう縁側を剥ぎ、柱を削って、これを燃料にして飯を炊いている。 「困難ここに至って又感激を生ず」、酷い貧乏やりながら、少しも苦にしておらないのであります。ここらが人間の別れ道であります。同じ貧乏をしても感激のある貧乏をやっている。感奮興起すれば貧乏も亦好いものであります。
16日 植林 植林をするにしてもそうであります。最初から肥えた土地に植えると駄目になる。先ず苗木を痩せ地に密植する。そうして適当な時期を見て、初めて肥えた土地に移植してやる。こうすれ ば苗木もぐんぐん成長する。だから貧乏などというものも、貧乏そのものが問題ではないので、これを如何に貧乏するかという、帰するところはやはり体力であり、生命力であります。
17日

頭が悪いとは

能力でも同じこと。近頃は、頭が悪いと言うことが出来ないので、脳が弱いなどと申しますが、弱いということ自体、これは精神力が衰えておる証拠であります。悪ければ悪いとはっきり言えばよいのです。そもそも頭が悪いから勉強が出来ぬなどと考えることが間違 いで志・一度立てば、頭の悪いことぐらい問題はないのであります。昔から立派な仕事を成し遂げた人で頭の悪い人が随分おります。なまじっか頭が良いと、却って安心して怠け者になったり、脱線したりする場合が多い。頭の悪い者が努力して、たたき上げたというのは立派なものであります。
18日

美人・美男子

書でも、書才というか器用な人の書は、筆先でごまかす為にも軽薄なものが多い。しかし、才能のないものが一所懸命習いこんだ字というものは、何とも言いようのない味を持っております。器量でも、余り目鼻立の整った女性に真の芸術的美人は少ない。どこかに欠点のあるのが美しい心情によって美化されたという美人こういう美人が所謂芸術的美人であります。 男でも、のっぺりした所謂美男子というのは本当の男性美ではない。

昔から名僧とか知識とか言われる人を見ても、醜に属する顔つきの人が多い。
その醜男が修養し抜いた美、醜の美というものは、それこそ秀男であって、のっぺりした美男子なとせの到底及ぶところではないのであります。
19日 鈍才 兎に角鈍才の叩き込んだというのは大きな力を発揮するものてであります。教育者として誰知らぬもののないペスタロッチにしても、生来の鈍才で、ニュートンなどは、学校はビリから二番目だったそうであります。私の親しくした人に伊沢多喜男という内務省の元老がおります。この人は高等学校から大学までずうっとビリで通した 人でありますが、中々これは出来ない芸当で、まかり間違えば落第してしまう。本人も「ずうっと一番を通すことよりはるかに難して事だ」と言って自慢話にしておりましたが、内務官僚として立派に成功しました。ナポレオンは八人兄弟の中で(13人の兄弟中5人死し、八人残る)ナポレオンを一番駄目だと思っていたという。鈍才少しも意に介する必要はないのであります。
20日 体力 その次に体力であります。これも身体が弱くて勉強が出来ないとよく言われるのでありますが、これも俗論であります。昔から病弱で、甚だしきに至っては致命的疾患を持ってさえ、偉大な仕事をした人がどれくらいあるか分からない。あの世界の奇跡と言われるヘレン・ケラーは、二つの時に胃腸を悪くして脳膜炎を起し、とうとう失明して耳も聞こえなくなってしまった。

然し、不屈の精進に加うるに両親の慈悲と、サリバンという立派な家庭教師等の力によってハーバード大学を卒業、数ヶ国語を話すと共に、偉大な思想家、偉大な社会指導者にまでなったのであります。
日本では塙保己一と言った例もあります。吉田松陰は肺病であったし、王陽明も亦肺病で喀血しながら学問に、教育に、行政に、或いは内乱の鎮定にそれこそ超人的な業績を残しておるのであります。

21日 多忙と勉強 また忙しいから時間がないとよく言うのでありますが、古来忙中激務の中に偉大な仕事をした人が沢山おります。例えば前大戦の時にイギリスの外務大臣をしておつたエドワード・グレーは、ルーズベルトを迎えて、森の中を散歩しな がら小鳥の説明をしたのは有名な逸話になってております。彼は小鳥の研究の大家でもあったそうであります。また私の好きな詩人にロングフェローという人がありますが、彼は毎朝、食事前の15分間を利用して、ダンテの神曲の大翻訳を完成しております。
22日

また大阪近郊の八尾というところに住んでおった黙叟飯田武郷という人は、春日潜庵等の志士達と交わりのあった国学者でありますか、当時大阪におられた有栖川家に仕えておった。

昼は宮家に出仕し、夜はお父さんの晩酌の相手をする。そして老父が寝た後大日本史を二巻宛借り、全部一応うつしとって、あらゆる文献を閲覧して、不撓不屈、とうとう大日本史を完成したのであります。
23日 理想追求の求道心 まあ、以上のような例でもおわかりのように、志がありさえすれば、貧乏でもも多忙も、病弱も、鈍才も、決して問題ではないのであります。立志は、言い換えれば我々の旺盛なる理想追及の求道心であります。この道心・道念を失うと、物質的な力、或は単なる生物的な力に支配される様になる。 この頃の人間は特にそれが甚だしいのであります。弱いから勉強が出来ぬ、となにも出来ないものばかり集まるから、益々何にも出来ない。出来るのは喧嘩だけで、何事も破壊しなければ気がすまない。これではいくら破壊しても本当のものは出来ないのであります。そこで一番大事な事は、先ず己れに還るということ、人各々をして己れに還らしめるということであります。ではっ、如何にして己れに反るか。我々はこれを知る為に、この4日間、小学を勉強しようというのであります。
24日 小学とは知識・学問を体現すること さてこの「小学」でありますが、昔は、少なくとも明治時代までは、これを読まぬものはなかったのでありますが、今日は、「大学」は読むけど、殆ど小学は読まなくなってしまいました。然し、小学を学ばなければ大学は分からないのであります。それは小乗を学ばなければ大乗が分からないのと同じであります。私の好きな大家の一人に章楓山という人がおります。明代の碩学で、王陽明とほぼ同時代に生きた人でありますが、ある時、新進の進士が訪ねて来て、私も進士の試験に及第しましたが、これから一つどういう風に勉強すれば宜しいのでしょうか、ご教示願いたいと頼んだ。 章楓山はこれに答えて“なんと言っても小学をやることですね”と言った。言われた進士は内心は甚だ面白くない。進士の試験に及第した自分に小学をやれとは、人を馬鹿にするにも程があるというわけであります。そうして家に帰り、なんとなく小学を手にとって読んでみた処が、誠にひしひしと身に迫るものがある。そこで懸命に小学を勉強して再び章楓山を訪れた。するとろくろく挨拶も終わらぬうちに章楓山が言った。「大分小学を勉強しましたね」と。びっくりして「どうしてわかりますか」と訊ねたところ、「いや、言語・応対の間に自から現れておりますよ」と答えたということであります。
25日 体現・体得 学問・知識などというものは、単なる論理的概念に止まっておる間は駄目でありまして、みれを肉体化する、身につけるということが大事であります。所謂体現・体得であります。西洋で申しますと、embody、或いはincarnateということであります。そうなると直ぐ顔や態度に現れる。よく謦咳に接するなどと申しますが、しわぶき一つにしても、よくその人を現すものであります。 信州飯山の正受老人は、あの白隠禅師の師匠でありますが、実に峻烈な人で、「終日ただ謦咳をきくのみ」、せきばらいをするだけで滅多に口など利かなかった。然し、そのせきばらいが弟子達にはなんとも言えぬ魅力であったという。体現してくると、謦咳にまで無限の意味を持つのであります。小学も然り。人間はかくあらねばならぬという原則を、この肉体で受け取る。これが小学というものであります。
26日 小学の三つの意味 小学という語には大体三つの意味があります。
第一は、初級の学校という意味で、昔、宮域の一隅に置かれた国立の小学校のことであります。
その後、別の意味に使われるようになって、漢代にはいると、色々の知識や学問の根底をなす文字・文章に関する学問のことを言うようになり、更に発展して、今度は仏教に於ける小乗と同じ様に、我々の日常実践の学問を小学というようになつたのであります。
27日 朱子の学風 そうして、我々の普通に言う小学というのは、朱子が先儒や偉大な先覚者達の迹を尋ねて、その中から範となるものを拾って、内外二編、二百七十四誌条目とし、これを兎角知識や論理の遊戯に走り勝ちな弟子に与え、名づけて小学と呼んだのであります。しかし、表向きは朱子の編者ということになっておりますが、本当は弟子の 劉子澄という人が専らその編纂の衡に当っさておるのであります。彼は元来、立派な役人であり、又学者ですが、朱子に会って、はじめて自分の今までやってきた学問が如何に浅薄であり、雑駁な知識・技術の学問であったかを悟り、そうして深く道の学問にはいって行った人であります。朱子も亦この人を単なる弟子としてでなく、道の上の親友として重く遇しておるのであります。
28日 朱子 朱子は名は()と言い、(あざな)元晦(げんかい)晦庵(かいあん)と号した。安徽省の出身でありますが、生まれたのは父の任地である福建省尤渓。父は韋斉と号し、これ又篤学の士であります。朱子の最も影響を受けたのは父の学友である李延平で、この人は実に超俗の人でありました。 李は山水の間に庵を結んで、学を楽しみ、書を読んで、生涯を終わった人であります。その延平の学んだのが羅従彦という人で、これも立派な篤学者。羅従彦の先生が名高い楊亀山で、実にスケールの大きい内容の豊かな人であった。亀山の先生が程明道(ていめいどう)であります。
29日 知行合一の学問 これらの系統を通じて見られることは、彼等の学問は単なる知識とか功利のためにする学問ではなくて、所謂体現・体得を重んじた知行合一の学問であったということであります。 これらの人々の人物・言行等を調べてみても、人間もここまでに至るものか、とつくづく感ぜしめられるような人物ばかりであります。日本にも徳川時代これらの学問をやった人に偉大な人物が多いのであります。
30日 精神革命なくして人間は救われない それを考えると、今日は決して昔より進歩しておるなどと言うことは出来ないのであります。世の中の法律や制度を如何に変えてみても、イデオロギーを如何に振り回して見ても駄目である。人間そのものをなんとかしなければ、絶対に人間は救われない。やはり人間革命・精神革命をやらねばならぬということになって参りました。 己れを忘れて世のため、人のために尽くすような、己れ自身が学問・修養に励んで、それを通じて人に感化を与えるような、そういう人物が出て来て、指導的地位に配置されるようにならなければ、絶対に世界は救われない、ということが動かすべからざる結論になって参りました。

要するに世の中を救う為には、先ず自からを救わなければならない。自からを救うて初めて世を救うことが出来る。広い意味に於いて小学しなければ、自分も世の中も救われないのであります。

その貴重な小学の宝典がこの朱子の小学であります。これをしみじみと読んで見ると、幾度読んでも、幾歳になって読んでも、実に感激の新たなものがあります。
明日から小学の本論に入る。