"強い企業"の一考察

昭和63年6月号 ふそう銀行誌bP54号 
             (現山陰合同銀行)

つくづく恐ろしいなと思う。昨今の政治情勢は歴史にみる興亡の原理原則通りに動いていると思うからである。即ち一つの民族が知力と勤勉と勇気で社会や文明を築き上げた人間集団は、その精神エネルギーが頂点を極めると精神が歪み始め、歪みが蓄積されて成熟と爛熟の果て究極的には必ず破綻しているからである。
わが国の経済は昨年を中心に世界最高の状況で物質文明は繁栄の極にある。バングラデェシュの大統領は、極楽とは日本のことと見えると言った。かかる時にリクルート事件にみる如く、繁栄の極みの中で権力の腐敗は深く全身に及んでいた。獅子身中の虫の譬えの通り衰亡は常道通り内部から発生していたのである。
ローマを滅ぼしたのはローマである。シュペングラーの言った[繁栄の中の没落]を目のあたりに見る思いである。
余談だが米国を見ると人類に例を見ない物質的繁栄に恵まれたが意外に早く歴史に示す型の如く頽廃して今やどおにも取り返しのつかぬ状態とみる。これを救うには真剣な規律と犠牲の精神が必要だが彼らに耐えられるかどおか。米国はヨーロッパ諸国の如く治乱興亡といった民族としての深刻な精神体験が無い。彼らの記憶は成功と繁栄と享楽だけではないか・・・。
さて、現代はこのような爛熟の時代で物質的資産はカネさえあれば何でも手にはいる。かかる時代こそカネでは買えないものに最高の価値観をおかなくてはならないのではないか。見えざるものに敏感にならねばならぬ。企業人である我々にも同様の事は言える。見えない経営資源にこそ我々はもっと注目してよいのではないか。例えば企業風土という資産は買うことは出来ない。自ら創っていくしかない。企画力、イメージ作り、情報収集力、或いは集中力(危機管理力)といった資源は数字ではとらえられない企業内部の精神的なものと言える。その見えない資源の中で最も重大な要素が社風という企業の日常生活様式である。企業内の思考パターン、行動規範、仕事上の役割の決め方、責任権限についての考え方、利益とかコストについての意識とか行動、公式非公式の人とのつきあい方など企業全般の生活様式といった事であろうか。優れた企業ほど行動様式がよいのである。そこで社風は吹く風のごとく漫然と伝えてはいけないのではないか。意識化が必要である。[初めに社風ありき]と言った観点で企業の日常様式を研修を通じて継承する必要を感じる。当行は普銀となり歴史的には中興、創業の時である。強い企業をめざして時代にふさわしい社風を今こそ確立する千載一遇の好機ではあるまいか。
普銀転換も完了した。やれやれと思った時が最も危険であることも歴史が証明している。ハングリー精神をいかにもち続けていくかが肝要である。[現状打破]の精神が見失われてゆく時、人も企業も確実に衰退の道をたどるのが歴史の法則である事も改めて噛み締めたい。
 
常務取締役 徳永圀典