中華思想「一思考」
中華思想という言葉をよく耳にします。
徳永流に一口で表現すれば「彼らの願望や空想の所産」でありましょう。
その根底にあるのが
漢民族を世界の中心と見なす「中国即漢民族四千年の歴史」と称する彼らの、彼らの歴史観であります。
その背景に世界最初の漢字、羅針盤、印刷機の発明とか、易教とか論語等々の古代は大したものであります。
ただ、漢民族4千年とは史実の全く異なる。
それは彼らの願望や空想であります。
現代の中華思想は、
特に18世紀の阿片戦争以後の欧米列強、さらに日本のシナ大陸出兵で、彼らの「優れた文明が暴力で蹂躙された」という「被害者史観」なのであります。
それはいうならば、彼らの、近世の大きい後進性に基づくと私は見るのであります。
彼らの「コンプレックスとしての中華思想」であり、
これが彼らの「自己中心的な外交・内政」に表れておるのでありましょう。
現在の中華人民共和国がある地域は、歴史を調べますと、歴史的に
チュルク系、モンゴル系、ツングース系などの様々な民族が住み、栄枯盛衰を繰り返してきています。
チュルク バルカン半島南東部の歴史的地域名。現在は3か国に分断され、西トラキアがブルガリアの南東部とギリシャ北東部の一部に、東トラキアがトルコのヨーロッパ部分となっている。
ツングース系 ツングース系民族は、満州からシベリア・極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族。
モンゴル系、モンゴル高原(現在のモンゴル国と中華人民共和国の内モンゴル自治区を合わせたものにほぼ一致する地域)にバイカル湖~興安嶺の一帯とバイカル湖~アルタイ山脈の一帯を合わせた地域(中央ユーラシア)に居住するモンゴル諸民族。
中国王朝の系譜を辿ってみましても、
唐 建国は「鮮卑族」です。618年建国。
鮮卑族 古代、北アジアで活躍した遊牧民族。 五胡の一。2世紀中ごろ、匈奴の滅亡後に全モンゴルを支配したが、その後は諸部族に分裂。 五胡十六国時代に慕容(ぼよう)氏(燕)・乞伏(きっぷく)氏(秦)・禿髪(とくはつ)氏(涼)らが華北に建国、386年には拓跋(たくばつ)氏が北魏を建て華北を統一した。
元 建国はチンギスハーンを祖とするモンゴルです。1271年建国。
清 満州族即「女真族」です。1616年満州で建国。
宋の時代 960年建国ですが、
キタイ民族の「遼」と西夏民族の「大夏」と
並立しています。
大夏はチベット系民族です。
漢民族が多い、いわゆる中国人の好きな「中原」でさえ、漢民族は大半の時代で完全統治出来ておらなかったのです。
そのくせ、漢民族は、他民族を「夷狄」とし彼らを卑しめた。日本も「東夷」としましたね。
色々調べてきましたが、漢民族は4千年の大半の時代を抑えきれていないのです。
なぜか、それは経済です。彼らの憧れの中原、
中原 中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指すようにもなった。
古代「中国」や「中州」、「中土」と同義で、異民族から隔てられる文明の中心地という意味があった。その後、南方へと発展していった漢民族にとって中原は民族の発祥の地とされてきた。また周王のいたこの地域は権力の象徴とみられることがあり、天下を取るために争うことを「中原に鹿を逐う」という成語が生まれた。世界の中心となる場、という意味で用いられることがある。
彼らの憧れの中原は 歴史的に豊かな場所ではない。黄河流域は洪水が多発。不毛の地が広がっている。その上、人口過剰地帯。統一王朝下では、常に搾取されています。出土遺跡では、五胡十六国時代、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。 五胡十六国は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。
遺跡でみるとこの五胡十六国時代のほうが経済的に豊かであったとされています。
漢民族は、どうやら習性として、
異民族支配や、外国による侵略を常に「野蛮人」の軍事力に屈した」との表現が多いのであります。
ご存じのように中世の「清国」、満州族建国ですね、大清帝国、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝。
現在の中華人民共和国は、この清国の版図の回復を念願していると言われます。阿片戦争以前ですね。清国は三世紀続いたのですね。軍事力だけでは清国は続かない。漢民族でない遊牧民族は、中国を統治できる文化、経済力を持ち、多数派の漢民族に寛容であったとされています。
大体、漢民族とは何者であろうか。中国国内では北京語、広東語が全く異なるそうでありますが、言語や外見は、かなり違うのだそうですね。
北京語は満州語—ツングース言語群、漢民族の言葉の融合だそうです。言語学的には、チュルク、モンゴルを含むアルタイ系の要素が非常に強いのだそうです。
アルタイ系 アルタイ共和国は、アジアの中央に位置するロシア連邦内の自治共和国。隣接するロシアのアルタイ地方とは異なる。
日本人の誤解 それは江戸時代からかも知れません。なにせい論語や古典で感化され続けたままでしたから、明治時代には孫文の辛亥革命にどれだけ日本人が入れあげたか。
今考えると、日本人は、「漢民族の中国」という単一性だけを見てきたからではないか。日本は大陸かせ孤立しているし、漢民族が描く歴史の見てきたからではないでしょうか。中国は古来から、多数の民族が彼らの歴史書に登場している。多様性に富む歴史であったのです。
さて、今年は天安門事件から30年。アメリカも態度を激変させて激しく中国を非難し、人権問題を明確に取り上げました。潮流は変化しています。
ユーラシア大陸では、この間、ソ連崩壊、東欧の共産圏やモンゴルも民主化しました。
唯一、中国だけが武力で市民を弾圧、アメリカの寛大な政策で経済大国になつた中国が、期待の反して正常な民主国になるチャンスを失い5ジーをチャンスとして共産党資本主義の拡大と定着を企図している。
思うに、中国共産党首脳は、庶民を信用していないで中央集権邁進のみです。
これでは、満州東北部、香港など「地方」は特色を喪失して衰退を始めるのではなかろうか。
人権意識も無いから、新疆ウイグル自治区、チベットの同化政策は暴走するでしょう。弾圧は「終わりの始め」となるのではなかろうか。習近平は始皇帝になったつもりだろうが、中国の歴史を見ますと、寛容度や自由度の高い王朝ほど長続きがしていると言うが。
中国は資源を食いつぶしている。
富裕層は都市人民のみ、昔の中国は農民8億により食糧自活は可能であった。現在は、農民4億、大地は食い潰され、水は枯渇している。エネルギーは石油は殆ど輸入している。
アメリカは、石油も食料も自活可能である。
中国は、ホルムズ海峡封鎖で立ちどころに干上がる。だから一路一帯を作ろうとしている。
米中衝突はエンドレス、中国共産党が倒れるまで続くのではないか。
令和元年7月1日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典