佐藤一斎「言志晩録」その十 岫雲斎補注
平成25年7月1日-31日
1日 | 251. 適材適所 |
人才には、小大有り、敏鈍有り、敏大は固より用う可きなり。但だ日間の瑣事は、小鈍の者卻って能く用を成す。敏大の如きは、則ち常故を軽蔑す。是れ知る、人才各々用処有り、概棄すべきに非ざるを。 |
岫雲斎 |
2日 |
252. |
人情、吉に趨き凶を避く。殊に知らず、吉凶は是れ善悪の影響なるを。余は改歳毎に四句を暦本に題して以て家眷を警む。曰わく、「三百六旬、日として吉ならざる無し。一念善を作す、是れ吉日なり。三百六旬、日として凶ならざる無し。一念悪を作す、是れ凶日なり」と。心を以て暦本と為す。可なり。 |
岫雲斎 |
3日 |
253. |
吾が家の葬祭は、曽祖以来儒式を用う。但だ遺骸は之れを僧寺に託せり。国法に従うなり。既に之れを託すれば、礼敬せざるを得ず。儒者多く僧寺を疎遠にするは、是れ祖先を疎んずるなり。不敬なること甚し。 |
岫雲斎 |
4日 |
254. |
後図は宜しく奉先に在るべく、孫謀は念祖に如くは莫し。 |
岫雲斎 |
5日 | 255. 初起は易く収結は難し |
凡そ事、初起は易く、収結は難し。一技一芸に於ても亦然り。 |
岫雲斎 |
6日 | 256. 仕事始めも慎重を要す |
収結は固と難しと為す。而れども起処も亦慎まざる容からず。起処是ならずんば、則ち収結完からじ。 |
岫雲斎 終りを全うすることはもとより困難であるが、仕事の始めも慎重でなくてはならぬ。仕事始めが正しくないと最後の締めくくりも全うしなにい。 |
7日 | 257. 老少の述懐 |
余は少壮の時、気鋭なり。此の学を視て容易に做す可しと謂えり。晩年に至り、蹉跌して意の如くなる |
岫雲斎 |
8日 | 258. 宜しく一日を慎むべし |
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎う。 人生百年此くの如きに過ぎず。 故に宜しく一日を慎むべし。一日慎まずんば、醜を身後に遺さん。恨む可し。 羅山先生謂う、「暮年宜しく一日の事を謀るべし」と。 余謂う「此の言浅きに似て浅きに非ず」と。 |
岫雲斎 |
9日 | 259. 少年は少年らしく、老人は老人らしく |
少にして老人の態を為すは不可なり。老いて少年の態を為すは尤も不可なり。 |
岫雲斎 |
10日 | 260. 老人は酷に失せず、慈に失す |
老齢は酷に失せずして、慈に失す。警む可し。 |
岫雲斎 |
11日 | 261. 老人は忘れっぽくなるが義を忘れるな |
人は老境に抵りて儘善く忘る。惟だ義のみは忘る可からず。 |
岫雲斎 |
12日 | 262. 老人は少壮者と謀って事を為すべし |
吾れ壮齢の時は、事々矩を踰え、七十以後は、事々矩に及ばず。凡そ事有る時は、須らく少壮者と商議し以て吾が逮ばざるを輔くべし。老大を挟みて以て壮者を蔑視すること勿くば可なり。 |
岫雲斎 |
13日 | 263. 人事は皆これ学 |
多少の人事は皆是れ学なり。人謂う「近来多事にして学を廃す」と。何ぞ其の言の謬れるや」
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岫雲斎 |
14日 | 264 目が見え耳が聞こえる限り学問をする |
老来目昏けれども、猶お能く聞く。荀くも能く聞睹すれば、則ち此の学悪くんぞ能く之れを廃せんや。 |
岫雲斎 |
15日 |
265. |
人事の叢集するは落葉の如し、之れを掃えば復来る。畢竟窮已無し。緊要の大事に非ざるよりは、則ち迅速に一掃して、遅疑すべからず。乃ち胸中綽として余暇有りと為す。 |
岫雲斎 |
16日 | 266. 老人は言を慎むべし |
老人の話は多く信を取れば、尤も言を慎むべし。 |
岫雲斎 |
17日 | 267. 学人は生きて聖人たらんと努めよ |
尋常の老人は、多く死して仏と成るを要む。学人は則ち当に生きて聖と作るを要むべし。 |
岫雲斎 |
18日 | 268 孝弟は終身の工夫 |
孝弟は是れ終身の工夫なり。老いて自ら養うは、即ち是れ孝なり。老いて人に譲るは亦是れ弟なり。 |
岫雲斎 |
19日 | 269 良医に託す可し |
親に事うる者は、宜しく医人の良否を知りて以て之れを託すべし。親没する後に至りては、己れの躯も亦軽きに匪ず。宜しく亦医人を知りて以て自ら託す |
岫雲斎 |
20日 | 270.
良医には恒心がなくてはならぬ |
「人にして恒無きは、以て巫医と為る可からず」と。余嘗て疑う「医にして恒有って術無くば、何ぞ医に取らん」と。既にして又意う、「恒有る者にして、而る後に業必ず勤め、術必ず精し。医人は恒無かる可からず」と。 |
岫雲斎 |
21日 | 271.
誠意が無ければ何事も成らず |
事を做すに誠意に非ざれば、則ち凡百成らず。疾に当りて医を請うが如きも亦然り。既に託するに死生を以てす。必ず当に一に其の言を信じて、疑惑を生ぜざるべし。是の如くは我れの誠意、医人と感孚して一と為り、而して薬も亦自から霊有らん。是は則ち誠の感応なり。若し或は日を弥り久しきを経て、未だ効験を得ずして、他の医を請わんと欲するにも、亦当に能く前医と謀り、之をして其の知る所を挙げて、与に共に虚心もて商議せしむべくして可なり。是くの如くにして効無くなば則ち命なり。 |
岫雲斎 |
22日 | 272.
医者を精選し信頼せよ |
人家平常託する所の医人は、精選せざる可からず。既に之れを託すれば、則ち信じて之れを聴いて可なり。人の病は、症に軽重有り。効に遅速有り。仮令弥留して効無きも、亦疑を容るる可からず。則ち医人の心を尽くすも、亦必ず他に倍せん、是れ医を用うるの道にして、即ち人を用うるの道然るなり。或は劇症、大患に値い、傍人故旧往々にして他医を勧むる有るも、亦濫に聴く可からず。医人の技倆、多くは前案を翻す。幸に中れば則ち可なり。不らざれば則ち卻って薬に因って病を醸し、太だ不可なり。究に之れを命を知らずと謂う。 |
岫雲斎 |
23日 | 273.
養生につて三則 その一 |
親を養う所以を知れば、則ち自ら養う所以を知り、自ら養う所以を知れば、則ち人を養う所以を知る。 |
岫雲斎 |
24日 | 274.
養生につて三則 その二 |
人寿には自ら天分有り。然れとども又意う。「我が躯は則ち親の躯なり。我れ老親に事うるに、一は以て喜び、一は以て懼れたれば、則ち我が老時も亦当に自ら以て喜懼すべし」と。養生の念此れより起る。 |
岫雲斎 |
25日 | 275.
養生につて三則 その三 |
凡そ生物は皆養に資る。天生じて地之れを養う。人は則ち地気の精英なり。吾れ静坐して以て気を養い、気体相資し、以て此の生を養わんと欲す。地に従いて天に事うる所以なり。
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岫雲斎 |
26日 | 276.
貴人の老いて子を得るを戒む |
貴介の人多く婢妾を蓄え、耆年を踰えて児を得る者、往々にして之れ有り。摂養の宜しきに非ず。老いて養うこと知らず、之れを不慈不幸に比す。 |
岫雲斎 |
27日 | 277
再び、養生について四則 その一 |
心思労せず、労せざるは是れ養生なり。体躯を労す、労するも亦養生なり。 |
岫雲斎 |
28日 | 278.
再び、養生について四則 その二 |
「晦に嚮えば宴息す」万物皆然り。故に寝に就く時、宜しく其の懐を空虚にし、以て夜気を養うべし。然らずんば枕上思惟し、夢寐安からじ。養生に於て碍と為す。 |
岫雲斎 |
29日 | 279.
再び、養生について四則 その三 |
口吐呑を慎むも、亦養生の一端なり。 |
岫雲斎 |
30日 | 280.
再び、養生について四則 |
養生の工夫は、節の一字に在り。 |
岫雲斎 |
31日 | 281.
一飲一食も薬餌となすべし |
一飲一食も、須らく視て薬餌と為すべし。孔子薑を撤せずして食う。多食せず。曽晢も亦羊棗を嗜む。羊棗は大棗とは異なり。然れども亦薬食なり。聖賢恐らくは口腹の嗜好も為さざらん。
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岫雲斎 |