佐藤一斎「言志後録」その十五 岫雲斎補注
平成24年7月1日から7月31日
142. 折に精神を振起せよ |
時時に堤撕し、時時に警覚し、時時に反省し、時時に鞭策す。 |
岫雲斎 |
143. 聖人は無為、無欲 |
聖人は無為なり。固と徳を以て感ず。然れども其の為す可き所は則ち之を為す。聖人は無欲なり。固と私心無し。然れども其の欲す可き所は則ち之を欲す。孟子曰く、其の為さざる所を為す無く、其の欲せざる所を欲せざる無し。此くの如きのみと。 |
岫雲斎 |
144
読書もまた心学 |
読書も亦心学なり。必ず寧清を以てして、躁心を以てする勿れ。必ず沈実を以てして、浮心を以ている勿れ。必ず精深を以てして、粗心を以てする勿れ。必ず荘敬を以てして、慢心を以てする勿れ。孟子は読書を以て尚友と為せり。故に経籍を読むは、即ち是れ厳師父兄の訓を聴くなり。史子を読むも亦即ち明君、賢相英雄、豪傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして以て対越せざる可けんや。 |
岫雲斎 |
145. 理は一か |
李延平曰く、「理は其の一ならざるを患えすず。難き所は分の殊なるのみ」と。李谷子之れに反して曰く「分は其の殊ならざるを患えず。難き所の者は理の一なるのみ」と。余は則ち謂う。「二先生の言、各々得る所有るに似たれども、然れども恐らくは究竟の語にあらじ」と。其の実、真に能く理の一なるを知る者は、則ち能く分の殊なるを知る者なり。未だ理の一なるを知らず、焉んぞ能く分の殊なるを知らむ。真に分の殊なるを知る者は、則ち能く理の一なるを知る者なり。未だ分の殊なるを知らず。焉んぞ能く理の一なるを知らむ。今難易を以て之を言うは、是れ猶未だ透らざるなり。 |
岫雲斎 |
146. 子弟の業と草木の移植二則 その一 |
草木の萌芽は、必ず移植して之を培養すれば、乃ち能く暢茂条達す。子弟の業に於けるも亦然り。必ず之をして師に他邦に就きて其の?籥に資せしめ、然る後に成る有り。膝下に碌碌し、郷曲に区区たらば、豈に暢茂条達の望有らんや。 |
岫雲斎 |
147 子弟の業と草木の移植二則 その二 |
草木の移植には必ず其の時有り。培養には又其の度有り。太だ早きこと勿れ。太だ遅きこと勿れ。多きに過ぐること勿れ。少きに過ぐること勿れ。子弟の教育も亦然り。 |
岫雲斎 草木の移植にはタイミングがある。また培養の肥料の度合もある。時期が早すぎても遅すぎてもよくない。肥料が多すぎても少なすぎても宜しくない。子弟の教育も同様なのである。 |
148.
修身の意義 |
修身の二字は、上下一串す。心意知物、次第有りと雖も、而も工夫は則ち皆修身内の子目にして、先後無きなり。家国天下、小大有りと雖も、而も随在に皆修身感応の地にして、彼此無きなり。 |
岫雲斎 |
149 晩年自警の詩 |
人は五十以後に至りて、春心再び動く時候有り。是れ衰徴なり。将に滅せんとするの燈、必ず乍ち焔を発す。此れと一般なり。余往年自ら警むる詩有り。曰く、「晩年学ぶ莫れ少年の人を、節輒ち荒頽して多くは身を誤る。悟り得たり秋冬黄爛の際、一時の光景陽春に似たるを。頒白誰か憐む遅暮の人、自ら知る三戒の終身に在るを。看るを要す枯樹、閑花発くも、也た是れ枝頭一刻の春なるを」 |
岫雲斎 |
注 三戒 |
論語、季氏編「孔子曰く、君子に三戒あり。少の時はこれを戒めるに色あり。その壮なるに及びてや、血気まさに剛なり。 |
これを戒むるに、闘にあり。その老ゆるに及びてや、血気すでに衰う。これを戒むるに得(欲張り)にあり」とある。 |
150
文学は必ずしも文籍に非ず |
武事は専ら武芸に在らず。文学は必ずしも文籍に在らず。 |
岫雲斎 |
151. |
瞽目(盲人)は能く耳を以て物を視、聾唖は能く目を以て物を聴く。人心の霊の頼むに足る者此くの如し。 |
岫雲斎 |
152.
気質は土気と習気からなる |
人の気質は、土気習気を混合す。須らく識別すべし。土気は其の地気に由りて結聚する者、竟に是れ主気なり。習気は其の習俗に縁りて滲染する者、原と是れ客気なり。客は遂う可くして、主は遂う可からず。故に変化し易き者は習気にして、変化し易からざる者は土気なり。土気は止だ之を順導して、其の過不及を去るのみ。 |
岫雲斎 |
153.
風俗も人気 |
風俗も亦人気なり。故に土俗有り。習俗有り。習は変ずべくして、而も土は変ず可からず。是れ亦止だ之を順導し、其の及ばざるを掖くるのみ。政を為す者の宜しく知るべき所なり。 |
岫雲斎 |
154.
草木の気質 |
草木の気質には、清濁、軽重、寒温、堅脆、酸甘、辛苦、諸毒の同じからざる有り。医書に之を性と謂う。則ち皆土気なり。人の気質も亦然り。然れども其の同じく生々の理を具うるは則ち一なり。 |
岫雲斎 |
155.
山水の景観 |
仰ぎて山を観れば、厚重にして遷らず。俯して水を見れば、汪洋として極り無し。仰ぎて山を観れば、春秋に変化し、俯して水を見れば昼夜に流注す。仰ぎて山を観れば、雲を吐き煙を呑み、俯して水を見れば、波を揚げ瀾を起す。仰ぎて山を観れば、巍として其の頂を隆くし、俯して水を見れば、遠く其の源を疏く。山水は心無し。人を以て心と為す。一俯一仰、教に非ざる莫きなり。 |
岫雲斎 |
156.
冠婚葬祭に関して |
邦俗の葬祭は都べて浮屠を用い、冠婚は勢笠の両家に依遵す。吾が輩に在りては則ち自ら当に儒禮を用うべし。而れども漢土の古礼は、今行うべからず。須らく時宜を斟酌して、別に一家の儀注を創むべし。葬祭は余嘗って哀敬編を著わし、冠礼にも亦小著有り。努めて簡切明白にして、人をして行い易からしむるを要するのみ。独り婚礼は則ち事両家に渉り、勢、意の如きを得ず。当に漸と別とを以て要と為すべし。 |
岫雲斎 |
157 |
邦俗にて、養子もて後を承くるは已む得ざるに出づと雖も、道に於ても亦太だ妨けず。堯は舜を以て婿と為し、後に天下を以て之に与う。祭法に曰く「有虞氏は??を祖として堯を宗とす」と、則ち全然養子もて以て後を承くると相類す。蓋し亦天なり。 |
岫雲斎 |
158 |
生々にして病無きは、物の性なり。其の病を受くるときは、必ず療すべき薬有り。即ち生々の道なり。然れども生物には又変有りて、偶々薬すべからざる病有り。医の罪には非ず。譬えば猶お百穀の生々せざる無けれども、而も時に稗有りて食う可からざるがごとし。農の罪には非ず。 |
岫雲斎 |
159 |
子を教うるには、愛に溺れて以て縦を致すこと勿れ。善を責めて以て恩を賊うこと勿れ。 |
岫雲斎 |
160 |
忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。子を教うるも亦此の意を存すべし。厳にして慈、是れ亦子を待つに用いて可なり。 |
岫雲斎 |
161. |
子を易えて教うるは、固より然り。余謂えらく、「三つの択ぶ可きもの有り。師択ぶ可し。友択ぶ可し。地択ぶ可し」と。 |
岫雲斎 |
162. 人生と乗除算 その一 |
乗除は一理のみ。福幸は乗数なり。患難は除数なり。之を平数に帰すれば、則ち福幸無く。患難無し。故に乗数は、只だ是れ屈伸省長の迹のみ。 |
岫雲斎 |
163. . |
人は患難憂懼に遭う時、当に自ら反りみて従前受くる所の福幸を把りて、以て之を乗除し、其の平数を商出すべし。可なり。 |
岫雲斎 |
164.
学は実際ならんことを要す |
吾人の学を為すには、只だ喫緊に実際ならんことを要す。終日学問・思弁し、終日戒慎・恐懼するは、便ち是れ見在篤行の工夫なり。学は此の外無きのみ。若し見在を去郤し、別に之を悠渺冥漠に?めなば、則ち吾が儒の学に非ず。 |
岫雲斎 |
165.
史を読みて感あり |
余、史を読むに、歴代開国の人主は、開気の英傑に非ざるは無し。其の孫謀を胎すも亦多し。守成の君に至りては、初政に得て晩節に失う者有り。尤も惜しむ可し。蓋し其の初政に得れば、固と庸器に非ず。但だ輔弼の大臣其の人を得ざれば、則ち往々に其の蠱する所と為り、好みに投じ欲に中て、以て一時の寵を固うす。是に於て人主も亦自ら其の過を知らず。意満ち志懈り、以て復た虞る可き無しと為し、終に以て国是を謬れり。是の故に虞、夏、商、周は、必ず左輔、右弼、前疑、後丞を置き、以て君徳を全うせり。その慮を為すや深し。 |
岫雲斎 |
166
不才な君子と多才な小人 |
君子にして不才無能なる者之れ有り。猶お以て社稷を鎮む可し。小人にして多才多芸なる者之れ有り。?に以て人の国を乱るるに足る。 |
岫雲斎 君子ではあるが才能の無い人物がある。それでも国家を守ることは可能である。小人、即ち人格の出来ていない人物で才能の優れた人がいる。このような人物は国家を乱すだけである。正に、菅直人、鳩山由紀夫を連想する。 |
167 |
唐代の三患は、外冦と為し、藩鎮と為し、宦官と為す。人主も知らざるに非ざれども、然も終に此れを以て斃れぬ。宰輔の其の人に非ざりしを以てなり。鑑む可きの至なり。 |
岫雲斎 |
168. |
能く人の言を受くる者にして、而る後に与に一言す可し。人の言を受けざる者と言わば、翅に言を失うのみならず、?に以て尤めを招かん。益無きなり。 |
岫雲斎 |
169. |
人情は水の如し。之れをして平波穏流の如くならしむるを得たりと為す。若し然ずして、之を激し之を壅がば、忽ち狂乱怒涛を起さん。懼れざる可けんや。 |
岫雲斎 |
170. |
凡そ事を処理するには、須らく平平穏穏なるを要すべし。人の視聴を駭かすに至れば、則ち事は善しと雖も、或は小過に傷つく。 |
岫雲斎 |
171. |
王政は只だ是れ平穏のみ。平天下の平の字味う可し。 |
岫雲斎 |