吾、終に得たり  岫雲斎圀典
      
            --釈迦の言葉=法句経に挑む

法句経 
(真理の言葉)
 法句経(真理の言葉) 二十六品 423

多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。
                     平成25年6月1日 岫雲斎圀典

平成26年7月

1日 388句

悪しきを去るがゆえに 婆羅門というなり 行ずること均正なれば 沙門といわる おのれの 垢を棄てたれば そのゆえに 出家とはいうなり

悪しきがないから婆羅門という。反省と静寂を備えているから沙門という。己れ自身の穢れを除去するから捨家(しゅっけ)という。

2日 389句

婆羅門を うつなかれ されど婆羅門は これに怒を放つなかれ 婆羅門をうつものに わざわいあれ されど うたれて怒るものに さらにわざわいあれ

決して婆羅門を打つな、だが婆羅門は打たれても怒ってはならぬ。婆羅門を打つものに災いあれ。さらに大きな禍いあれ打たれる者に。

3日 390句

愛するものより 心を遠ざくる こり婆羅門にとりて 少なからぬ勝事なり (ひと)(そこな)(おもい)の 消ゆるごとに くるしみは 滅びゆくなり

婆羅門がもしその心を人生享楽から離れせしめたら、彼はこれにより享ける利益は少なくない、他人を害する気持ちがなくなるほど苦しみは漸減する。

4日 391句

身に (ことば)に (おもい)に 悪を()すことなく この(みっつ)の処に 心ととのうるもの われ彼を 婆羅門と謂わん

動作、言葉、意志、すべてに於いて悪いことをしない。即ちこの(しん)()()を慎み守る人こそ婆等門と私は呼ぶ。

5日 392句

(ただ)(しく)覚者(さとれるもの)の 説き給える法を さとるものあらば 婆羅門が 火の神を 礼するがごとく 彼を(うやうや)しく 礼すべし

完全な自覚に達せられた仏陀の説かれた教えの通りに学び実行すれば聖火を(とおと)び祀るようにその方を敬うべきである。

6日 393句

(まげ)()うによりて ()により (うまれ)によりて 婆羅門というにあらず 人に真理(まこと)と (のり)とあらば 彼は(さい)(わい)なり されば 彼は また婆羅門なり

頭髪を編み結んだとて婆等門に非ず。家姓がよくても婆等門に非ず。自分の出生がいいからとて婆等門に非ず。人が実相を見る力がありまた教えを理解しているならば祝福されており婆等門と言える。

7日 394句

おろか人よ 髷を結いて(なんじ)は何するぞ 羊の皮衣きて 爾は何するぞや 爾は内に けがれをいだき ただ外をのみかざるなり

頭髪を編み結び 一体お前に何の値打ちがあるのか、皮衣着たとてお前に一体何の値打ちがあるのか。お前は内心に愛着ありただ外見を飾るのみだ、おお愚かな人よ。

8日 395句

たとえ拾いあつめて作れる 見苦しき衣をきるとも 身は痩せ 脈管(ちのすじ)あらわなるも ひとり林中に 心しずめたるもの われかかる人を 婆羅門と謂わん

ボロの衣を身につけ身体は痩せて静脈が皮膚に表れ、しかも唯一人森の中で静思する人、この人こそ私は婆羅門と呼ぶ。

9日 396句

出でしその(はら)により 生まれその母によりて 我は婆羅門と()ばず 彼もし(わが)(もの)の思いあらば 彼はただ「心の傲る者」 といわるべし 我有と(むさ)(ぼり)の思いなき かかる人をわれは 婆羅門と謂はん

母が婆羅門だからと言って子供を婆羅門とは呼ばぬ。財産ある者とて差し支えない。何も持たず何も執着のない者こそ私は婆羅門と呼びたい。

10日 397句

一切(すべて)の (まつわり)を断ち こころ (おそ)れなく (ぢゃく)を去り (つな)を離れたるもの われ この人を 婆羅門とよばん

一切の関係を断ち切って、心にその恐れも無く、あらゆる執着と繋がりから離脱した人を私は婆羅門と呼びたい。

11日 398句

怒りという紐と 愛という帯と もろもろの迷いの縄と その付属(つきもの)とを断ち 無明(おろか)という壁をこぼち ついに覚悟せるもの われかかる人を 婆羅門と呼ばん

皮の紐とわなの縄や付属するものを断ち切り、更にカンヌキまで破りし智者こそ婆羅門と呼びたい。(怒・着・誤見・煩悩・無明を滅すること)

12日 399句

罵詈(ののしり)も打ちゃくも はた監禁にも いかることなく これに忍び 忍ぶ力を具して 心たけき人 われかかる人を 婆羅門とよばん

罵りも体罰も牢獄にも怒ることなくこれを耐え忍び、忍苦の精神に強く、しかも心、勇健な者、私はかかる人をこそ婆羅門と呼びたい。

13日 400句

怒りなく つつしみあり 戒をまもり 欲なくして 心ととのい 最後(さと)()に達せるもの われかかる人を 婆羅門と謂わん

怒りなく、自己の義務を遂行し、道徳を守り、欲望から自由となり、慎んだ心で生活し堕落することのないものを身につけた人こそ婆羅門である。

14日 401句

蓮の葉の上なる 水のごとく (きり)の端なる ケシのごとく 諸欲に染む ことなきもの われかかる人を 婆羅門とよばん

蓮の葉の上の水のように、錐の尖端にるケシの実のように、いかなる情欲にも染まらない人、かかる人こそ婆羅門と呼びたい。

15日 402句

おのれの苦しみの ここに 尽くるを知り 重き()をおろし 繋縛(まつわり)を離れたるもの われかかる人を 婆羅門とよばん

己れの苦しみをの終焉を知り、人生の重荷を降ろして束縛を払いのけた人こそ婆羅門と呼びたい。

16日 403句

深き智慧を()ちて 心さとく 道なること 道にあらざるとを わきまえ 最上(さと)()に到達れるもの われかかる人を 婆羅門とよばん

智慧は深く 賢く どれが正しい道か不正の道かを分別し最高の道義を身につけた人こそ婆羅門と呼ぶ。

17日 404句

家に在るもの 家になきもの 二つながらに 交るなく 家なくして遊行(ゆぎょう)し 願うこと少なし 我かかる人を 婆羅門とよばん

家庭生活者、家を出た人、この二つの人と交わることなく、家なくして遊行し又願い求めること少ない人こそ婆羅門と呼ぶ。

18日 405句

弱きにも 強きにも 生命あるものに (つる)()を加えず 自らも殺さず 他をも殺さしめず 我かかる人を 婆羅門とよばん

弱いものにも強いものにも 生きとし生きるものに刀剣を与えることもなく害うこともしない このような人こそ婆羅門である。

19日 406句

争う人の間に 争うことなく (あら)き人の間に 心なごみ 執着(とらわれ)ある人の間に とらわれざる われかかる人を 婆羅門とよばん

争いの間にいて自らは争わず、暴力の中にいても心は平らか、執着多い人々の間にいても自らは貪りもない、このような人こそ私は婆羅門と呼ぶ。

20日 407句

錐の端なる ケシをおとすごとく (むさぼり)(いかり)と (たかぶり)(とらわれ)とを 共におとせるもの われかかる人を 婆羅門とよばん

錐の端にあるケシの実を落とすように、貧り、怒り、誇り、偽りなどを共に払い落とした人を私は婆羅門と呼ぶ。

21日 408句

(そあら)ならざる 義わけ()をふくめる 実語(まこと)を語り そのことばによりて いかなる人々をも 怒らしめざるもの われかかる人を 婆羅門とよばん

荒々しくなく、他人を思う真実の言葉を語り、それにより決して他人を怒らすことのない人々こそ婆羅門と呼ぶ。

22日 409句

長きも短きも 小さきも大いなるも (きよ)きも浄からぬも およそこの世にて 与えられざる 取ることなき かかる人を われ婆羅門とよばん

長いものも短いものも、小さいものであれ大きいものであれ、また善いものであれ悪いものであれ、与えられないものを取ることのない人を婆羅門と呼ぶ。

23日 410句

この世にも 後の世にも (ねが)いなく ()(ぞみ)なく 繋縛(まつわり)を離れたるもの かかる人を われ婆羅門とよばん

この世にも来世にも、何らの欲望を持たず、愛着することもなく、束縛から離れた人、このような人を婆羅門だと私は呼ぶ。

24日 411句

彼には 愛着なく (まこ)()を知りて 疑うところなし 不死(さとり)極致(きわみ)に いたれるもの われかかる人を 婆羅門とよばん

何物にも愛着することなく、智慧あり疑惑なく不死の境地に到れる人こそ婆羅門である。

412句

この世にて 功徳(とく)罪悪(つみ)との 二つの(まよい)を伏し うれいを去り (むさぼり)をはなれ こころ清浄(きよら)なるもの かかる人を我は 婆羅門といわん

この世で、善のを行い、罪の行いの二つから超越して、憂いもなく、執着もない、そして心の澄んだ人こそ婆羅門である。

25日 413句
414句

曇りなき月の こころきよく 思い澄みて (まよい)の愛 すでに尽きたる われかかる人を 婆羅門とよばん

曇りのない月のように、心清く澄んで享楽と執着の心のない人、これが婆羅門である。

この泥道(どろみち)(けわしい)(みち) 輪廻(りんね)(おろかき)を わたり越えて 彼岸にいたる 心は禅しず(ぜん)かにして 欲なく疑いなし (わだかまり)なくして 安穏(やすらか)なり われかかる人を婆羅門とよばん

この泥のような人生路、生から死への悩み多き連鎖、人生への無智を乗り越えて悟りの境地に到達し、思い静か、欲望を離れ、疑惑を去り何物にも執着せず何物も求めない人が婆羅門である。

26日 415句
416句

この世にて 諸欲を去り 家なくして 遊行(ゆぎょう)し ()(よい)を尽せるもの われかかる人を 婆羅門とよばん

この世のあらゆる欲望を棄て、家なくして遊行し、もはや欲望の存在の無い常態の人こそ私は婆羅門という。

この世にて 愛欲を去り 家なくして 遊行し 愛欲を尽せるの われかかる人を 婆羅門とよばん

この世にてあらゆる生活の欲を棄てて家を無くして遊行、もはや渇欲の消えうせた人こそ婆羅門という。

27日 417句
418句

人の世の (とらわれ)を断ち 天上の 縛を断ち ありとある 縛より離れしもの 我かかる人を 婆羅門とよばん

この人間社会の束縛を超越し、さらにありとあらゆる束縛を超越し離脱した人こそ婆羅門である。

楽なるをすて 楽ならざるもすて 清涼の境に住し 再生の(もと)なく すべての世間に 克つ勇者 われかかる人を 婆羅門とよばん

悦楽も悦楽ならざるも共に捨て、かくして心清涼となり自由の境地に達し、あらゆる世間的悦楽に打ち勝てる勇者こそ婆羅門と言える。

28日 419句
420句

すべての有情の 亡ぶると また 生ずるとを知りて 著する思いなく 善き逝をもつ覚者 われかかる人を 婆羅門といわん

命ある全てのものの滅亡、それらが全て再現することも併せて知り、愛着を離れて真理に到達した智者こそ婆羅門である。

もろもろの神も 人間も ガンダバも 彼の行跡を 知るに由なし かかる(まよい)の尽きたる 聖者を われは 婆羅門とよばん

諸々の神もその人の生活の跡を知らず、いわんやガンダバも人間もこれを窺い知ることの出来ぬような欲情を制圧しきった聖者こし婆羅門と呼ぶ。

29日 421句
422句

過ぎたるにも 乗らんにも はた 現在も いささかの (わが)(もの)というものなし (まつわり)なし われかかる人を 婆羅門とよばん

過去の生涯でも又、来るべき世においても、また中間の現在にても、何物も己れの所有とせぬ、所有観念がなくそれでいて何物をも願い求めぬ者、このような人こそ婆羅門と呼びたい。

最上 最勝の人 勇者 大賢 自己に克てる人 欲なくして 成しとげたる 覚者 われかかる人を 婆羅門といわん

力強き最勝の勇者、偉大な賢者、勝利に輝く人、無欲にして完全な智者、こうした人たちこそ婆羅門と呼びたい。

30日 423句

宿()(かし)と 天界(かみのよ)()(しき)とを見 また生の滅尽(はて)に到り 智の円満を えたる(かしこき)(ひと) みたすべきを みたしたるもの われかかる人を 婆羅門といわん

前世の存在を知り、天国と地獄とを併せ見、生存の終極に到達した、智見の完全な智者、すべて完全になすべきことをした人、私はかかる人こそ婆羅門と呼びたい。

31日 424句
一、     双要、不放逸、心意、華、闇愚と賢哲、阿羅漢、述千と、悪行、刀杖と、これらは十なり。
二、     老耄、自己と世間、仏陀、安寧、好喜と、憤怒、塵垢と、住法、道行と 二十なり。
三、     雑、地獄、象、愛欲、比丘と婆羅門、これら二十六品は、太陽に親しきもの、釈尊によりて説き示されたり。

 法句経 おわり

法句経は数多い仏典の中の論語みたいなもので、人生訓をまとめている。

 

平成25682歳で翻訳開始し平成26723日、午前510分、完全に翻訳完了す。1年と2ヶ月弱かかった。 
有難うございました。

徳永岫雲斎圀典