安岡正篤先 「経世と人間学」 その七 

平成21年7月度

 1日 福者と貧者 二、「足ることを知れば、家は貧しといへども、心は福者(ふくしゃ)なり。
足ることを知らざれば、家は富めりといへども、心は貧者(ひんじゃ)なり。
ここをよく(わきま)へ、かりにも(おご)らず、物好(ものごの)みをすべからず。(ことわざ)()きが身を(ほろ)ぼすといへる心得(こころう)べし」。
 2日 ()る、不().満()

たる(○○)という字を()ると書かずに、足ると書くことに注意しなければなりません。足は人体の中で一番中心から離れ、重い上体を支えてこれを遠くまで運びます。その上、大地や床等に接するため不潔になりやすく、注意を怠ると腫物ができたり、傷をしたりして、不自由を感じる場合があります。

手の傷ですとそんなにも不自由を感じないのに、足の傷は大変です。乗物が発達したため昨今は昔の様に歩かなくなったので足が弱くなり、これが原因で色々な病気にかかって苦しむ人が多くなりました。これなどは足が十分でない、即ち「不()」が原因と申せましょう。そこで常に足を清潔にして鍛錬しておりますと、身体は健康で、その日常生活は極めて「満()」となりましょう。
 3日 好きが身を亡ぼす だから足るという意味がよくわかれますと、貧乏も苦労も苦にならず、心は金持ちでしょう。
足るということがわかりませんと、いくら金があっても心は貧乏であります。
このところをよく承知して、おごってはなりません。また好きだからと云って色々な遊びにこってはいけません。好きが身を亡ぼすという諺をよく心得ておくと宜しいーとまことに平々凡々であるが滋味(じみ)津々(しんしん)であります。
 4日 堪忍第一 三、
「家を(おさ)むるは堪忍(かんにん)を第一とす。(しゃ)をこらえ、欲を抑えて(ほしいまま)にせざるも、皆()れ堪忍なり。
(よろず)の事、心に(かな)はざることありとも、()の堪忍を用ひて怒りののしらざれば、家の(うち)(やわ)らぎ親しむべし」。
 5日 ならぬ堪忍するが堪忍 家をおさめるには堪忍が第一である。質素を旨とし、欲望をおさえて自制するのも堪忍の一つである。 不満があっても、堪忍の二字を戒めとして、怒り、ののしらなかったならば一家は実になごやかで楽しい。
 6日 人間の息の色々 人間の心理作用と呼吸や発汗の関係を研究した面白いアメリカの研究発表があります。これによると零下二百二十度位まで冷却できる装置に人間の息を入れると、その息が液化します。そうして出来た液に色がつき面白いことに、感情によって色が変化するというこ とであります。
大体、感情が平静なときは無色に近く、恐怖にかられている時は青くなる。また怒った時の色は褐色となる。興奮して人を殺したというような残忍な殺人犯の息をとって調べると、それは毒々しい栗色であって、これをモルモットに舐めさせると頓死したそうです。
 7日 和気は科学的事実 だから、つまらぬ事に腹を立てて、人を憎むとか呪うとかいうような事で怒るのは、いかに自分にも有害であるかということが理解できましょう。学者が感心している言葉ですが、日本では女房がやきもち(○○○○)やく(○○)と言いますが、これはまことに科学的で、この事実が証明しております。 嫉妬すると呼吸の色は焦げ色ですから、文字通り焼くでありまして、生理的にもよくないことであります。「あいつの毒気にうてられた」と申しますが、これも本当です。性の悪い奴はやはり毒気を実際吐いておるわけです。だから、これと反対に和やかに楽しくしていると、極めて健康的だということになる。和気は道徳訓ではなくて科学的事実であります。
 8日 義が利の本

四、「無理に利を(むさぼ)れば(かえ)って財を失ひ、(わざわい)(きた)るの(もと)なり。家業怠らず、(おご)らざれば、自然に家は(まった)し」。

前に幕末の哲人経世家、山田方谷(ほうこく)を講じたときに申しました義が利の本であるという精神であります。家業を怠らず、そして見栄(みえ)をはったり贅沢しなければ、自然に家は豊かになるということでありまふべからず。
 9日

私害(しがい)

五、「人の()しき事を告げ知らすものありとも、(みだり)に取上げ用ふべからず。聞かざるが如くするもよし。是れ家族の多く暮すものの心()べきことなり」。

誠に善い教訓であります。とかく人間は他人の悪いことを聞いて喜ぶという悪癖があるものですが、これは善くない。
公害に通ずる私害です。
10日 誉れ 六、「富める家に貧なる親類の親しく出入りするは、主人の愛厚き人なれば、其の誉と心()べし」。 これも非常に善い教訓であります。どうも少し金ができたり、地位が出来ると、貧しい親戚や友達などの出入りすることを嫌がり、道であってもそっぽを向く、などという人間が案外に多いものです。これを戒めた実に人情の機微に触れたよい文章であります」。
11日

岡目八目(おかめはちもく)

七、「何事も思慮ある人と相談して取(はか)らふべし。我身の事は身勝手のある故、心得違ひあり。岡目八目(おかめはちもく)ということをよく心得べし」。

どのようなことでも、思慮深い人と相談して実行するが宜しい。どうも独断でやると、自分の身勝手が加わるため、誤ることがある。事の外に立って事を眺めるとよくわかる。所謂、傍目(おかめ)八目ということを考えなければなりません。
12日

陰徳

八、「金銀多く子孫に残し与へんより、財を捨て、広く善事を行ひ、陰徳を(つみ)()くべし。(その)(とく)(ぜん)子孫にめぐりて子孫の幸となる」。
天保八年夏四月 玄通(げんつう)居士(こじ)六十九歳。

西郷隆盛の「子孫の為に美田を買わず」に通ずる考えであります。
金銀を多く子孫に残すより、広く善事を行い、陰徳を積むと、その徳がめぐって子孫の幸福となる。
玄通居士、即ち平尾厚康六十九歳の作であります。
13日 本当の具現者(ぐげんしゃ) このように藩士・藩民の家というもの、家庭生活というものをいかに立派にするかを根本にして、藩政の改革、つまり財政の行き詰まりを実によく救済しました。 財政・経済を財政・経済とは別の問題として、多面的に根本的に取り扱い、救済をやっておりますが、これは単なる事務家でなく、本当の意味の具現者・見識者であります。
14日 直江兼続 関が原の合戦に敗れた上杉藩が会津の百万石から米沢三十万石に減らされたのですから大変なことですが、その時に直江兼続という英傑がおりまして、身を挺して藩の改革・大救済をやっております。 兼続がやりました事の一例。まず係に命じて増産計画を立てさせました。そして係の提出した計画に書き込みをして「自今田圃(たんぼ)に娘達を出し白手拭であねさんかぶりさせて、赤い蹴出(けだ)を用いること」 
15日 心理作戦 また「亭主が夕方野良より帰った時は、女房達は走り出て、その亭主の泥足を洗ってやれ」という箇条書を入れ、これによって非常な増産の実績をあげました。村の娘達が白手拭のあねさんかぶりに 赤い腰巻(こしまき)を出して田圃へはいりますと青年はみな田圃へ行きましょう。また一日苦労して亭主が泥足で帰った時に、女房が飛び出して「お前さんご苦労だったわね」と言って足を洗ってくれたら亭主はごきげんでしょう。
16日 事務と政務の相違 「それ増産だ、何パーセント増収しろ」などと言うよりも、この方がどれ程効果あるかわかりません。
こういう所に事務と政務の相違があり、人間は一寸した心がけによって非常に違ってくるものです。
ともすれば人間がコンピューターに負けそうな世の中ですが、このようなときほど、このような学問をしなければなりません」。

(昭和四十五年六月四日講)
17日 事務と政務の相違 「それ増産だ何パーセント増収しろ」などと言うよりも、この方がどれ程効果あるかわかりません。こういう所に事務と政務の相違があり人間は一寸した心がけによって非常に  違ってくるものです。
ともすれば人間がコンピューターに負けそうな世の中ですが、このようなときほど、このような学問をしなければなりません」。
(昭和四十五年六月四日講)
18日 専門家の警告 この頃騒いでおります公害問題でも決して急に起こったことではあれません。騒ぎは今年の春から急に大きくなりましたが、これはシンギュラー・ポイントに達したというだけのことで、少なくとも十年遡りますと、 各界の専門家がちゃんと警告してきたことであります。文献を調べてみると、こういう人が、こんなに早く、こんな警告をしておるが、どうしてもっと気にとめなかったのか、と感を深くすることが多いのであります。
19日 公害シンギュラー・ポイント ところが、この正月、ニクソン大統領が声を大にして公害対策を政府機関に号令してから急にこれが日本をも刺激し公害シンギュラー・ポイントに達したわけであります。そうなりますと、これは非常に厄介で、処置が

難しいばかりでなく、今度は思わぬ弊害が出まして、たちの悪い人間になると公害を利用して騒ぎたて、自分の仕事にするという者も出て、益々始末が悪くなり、思い切った改革をしなければ尋常一様の手段では防げなくなりました。 

20日 複雑で且つ困難 この様な事態になりますとこれを処置するには色々の苦痛や犠牲を払わなくてはならぬことになるわけでありまして、然も手遅れになればなる程、問題がこじれて騒ぎが大きくなり悪循環になります。 こうならぬうちにうまく処理していくのが学問・研究・政治の世界の最も微妙な問題であります。そしてこの問題は物質界ばかりでなく、生命の世界、特にその最も発達した人間界のことでありますから、問題は複雑で且つ困難であります、
21日 旡妄(むもう)に動く そこで、私は当講座で前にも申しましたが、佐藤一斎の「期せざる所に(おもむ)いて、(てん)一定(いちじょう)す。旡妄(むもう)に動く、物皆然り」の語を思うのです。 人間を含めた自然界のことは、あらかじめ予想しないところへおもむいて、そして決着点へぴたりと定止(ていし)する。そして旡妄(むもう)(易の六十四卦のうちの(てん)(らい)旡妄(むもう)の卦で、例えば急に雷鳴って落ちるというような災害、不慮の事件を表現する)に動く、万事万物皆そうであります。
22日 現実の政治とは ナポレオンが政治というものを語って、「政治というものは政府が予め政策を定めて、その政策すなわち予定計画に基づいて、一つ一つ実現していくというようなものでなく、 現実の政治というものは、常に予想もしなかつた事件や出来ごとが生じて、当局者は慌ててその対策に苦労せねばならぬ。これが現実の政治だ」と申しております。
23日 日本は
大混乱の予測
これは政治ばかりではありません。皆さんが従事しておられる事業にしても、思わぬ事故に遭遇して、こりゃ大変だと慌てることが極めて多いものです。いわんや舞台の広い天下の事となると、ますます複雑で、危険であります。 二十一世紀と云っておる間に、旡妄(むもう)に動き出し、時局はとんでもまない処に赴いて、どうなるのかわからない。今日になっては、余程思い切った方策を講じないと、つまり改革・革新をやらないと、二十世紀末は混乱に陥る、ということを意識するようになってきたわけであります。
24日 動揺変化 大きな一例を申しますと、この間から大騒ぎしております中共承認問題と、台湾問題であります。ここに毛沢東と蒋介石という二人の政治家があるのですが、どちらも既に老齢であってこれが万一の 場合に及ぼす影響は計り知れないものがあると思います。
日本でも今度は佐藤総理の四選で一応は落着くでしょうが、佐藤さんが退かれたあとは,と考えると、政界は動揺変化を禁じ得ないと思います。
25日 日本の弱み

政界ばかりでなく、経済界もまた然りであります。我が日本が豊富な資源をもち、その上健全な富の蓄積があり、また合理的・道義的な経済が行われて余裕がある、というのであれば心配ありませんが、元来資源な乏しく蓄積もない。

無理な経営、或は過当競争もやらなければならん。国際貿易が発展することは誠に結構ですが、資源国から輸入する、それが弱みになってその面からしぼられ今度は製品にして輸出する、それも競争となるほど、売り先から叩かれるということで益々やりにくくなる。
26日 これでよいのか日本は その辺のことを考えて、経営の合理化・賃金等を理性的・道義的にやってゆくとよいのでありますが依然として太平ムードでインフレも進行しております。経済のわからぬ一般人でも常識で考えて「日本はどうなるのか、これでよいのか」 と心配する様になりました。そこで当局者は勿論、日本人の総てが自覚して自から緊縮しなければ、そのうちに大変なことになる。と経済の面においても改革・革新の必要に迫られておりまして、かって例の無いほどのことであります。
27日 大見識 処が、問題がこのようになってきますと、急に改革・革新の実をあげていくということは大変難しいことで、結局これに当る人物が必要であります。こういうことを考えて本日は、ごく専門家の間に常に尊重されている一文献をご紹介して勉強していただこうと思います。作者は幕末、山形・上の山藩士であった金子得処であります。

この藩は三万石の小藩でありますが、ここに長岡の河合継之助と併称された人材・金子与三郎が出たのであります。薩摩屋敷の騒動の際に流弾にあたって斃れましたのは痛惜にたえない大きな犠牲であります。その見識・教養・才幹をもって、もし大藩に出たならば、英名を天下にはせたに相違ありません。この文章は彼が三十三歳、江戸出役中の作であった安政二年であります。そして現代の政治にも切実な反省を促す大見識であります。 

28日 心の儘 ()弱冠(じゃっかん)の時、四とせがほど、仙台の儒臣・大槻(おおつき)(おう)の門に遊べり。ある日うちつどひ輪講(りんこう)なんなし(はべ)るとき、大学の「徳は本なり。財は末なり」の章に至り、予・翁に問ひけるは国・窮乏し、既に浮沈にも及びぬらんとする時、いかほどいみじき才徳の人を得たりとも、財なか らんには、仁も徳も施してんや。
かくある時は、財は本にして、徳は末ならんかと。翁笑うていへらく、国・天下を治むるに、一日片時(かたとき)も財なきことあたはず。()其財(そのざい)をいかにして生ずると思へるや。徳をもて生ずるにあらざるよりは、皆さかりている(逆入)の財なるべし。徳といへば財は其うちにありとこたへられしも、今を去ること早や十有五年の昔なり」。
29日 解説 「私は子供の頃、四年ばかり仙台の大槻磐水(ばんすい)先生のもとに遊学しました」。磐水は学徳ともにすぐれた傑物で、蘭学に志し、杉田玄白(げんぱく)門下の逸材であります。―この人はつきあえばつきあうほど、誰もが敬慕の念を深くせしめられた人で、論語に「子曰、晏平仲、善与人交・久而人敬之」 子曰く、晏平仲(あんへいちゅう)善く人と交わる。久しうして(しこうし)て人これを敬せりーー

(さい)の名宰相晏氏を孔子が評して言った言葉ですが、この久敬(きゅうけい)という語は極めて味わいの深い言葉であります。
30日 本当に偉い人とは

人間はそれぞれ色々な弱点や欠点を持っております為、離れておると分かりませんが、久しくつき合っておると、アラが見えて兎角気まずくなるものです。つき合えば、つき合うほど、年を経れば経るほど、敬意・敬慕の念を抱かしめられるというのは、それこそ本当の人物というものであ

ります。
人間は互いに敬意を持ち合った中でなければ本当のことは出来ません。大槻磐水(ばんすい)先生はそういう意味で非常に偉く、また出来た人物であることは、色々な文献を見ますと間違いありません。名高い磐渓はこの人の息子であります。親子とも偉い人でありました。
31日 財が本ではないかと質問 その大槻翁の門に遊学して、ある日楽しく輪講(ゼミナール)をやっていました。その時、大学の章句の中の名高い一節である「徳は本なり。財は末なり」の章にいたり、私は大槻先生に、「国が窮乏してもはや浮沈の瀬戸際 になろうとしている時に、どんな優れた才や徳のある人がおつても、肝腎の財が無ければ、才だの徳だのと言ったってどうにもならぬのではありませんか。それを考えると財が本で徳が末だと言えないでしょうか」と質問しました。