「平成に甦る安岡正篤先生警世の箴言」9

平成20年7月度

 1日 民主主義の危機 そのデモクラシーの本場であるヨーロッパやアメリカでも、今日では、もうデモクラシーは駄目だと言われております。 ギリシャ、ローマ時代にはデモクラシーという語は、好い意味にのみ使わず愚民政治というような意味にも使っておりました。
 2日 本当に今日の難局を打開するためには、矢張り大衆でありさえすれば好いのだ、七難しい人間は迷惑だ、という悪平等のデモクラシーは駄目で 国政というものは万民の生活、特に風俗、精神、文化に影響のあるものですから優れた指導者、エリートに待たなければなりません。
 3日 アリスタルキー デモクラシーの平等ということは、偏らずに国民全体の中から、自由に公平にエリートを出すこと、優れた人材を出すことであります。そこで今日のデモクラシーは、demotic aristarchyでなければいかんと言う学者もあります。それが少しも伝わらないのは日本だけでありまして、 大衆に実体をおきますから、デモティックではありますけれども、然しそこから優れた人材を出さなければなりません。その意味では昔のアリストクラシー(貴族政治)でもありません。貴族社会などもはやありません。要は人材を公平に選出・選抜するということでありますから、やはり精神的意味でアリスタルキーであります。
 4日 現代政治哲学の結論 日本でも選挙により選ばれた議員のことを選良と言いますから選挙は立派な良識のある人間を選ぶものであって、タレントでも何でもよいという

のではない。大衆という基盤から公平にエリートを出すものである。これが現代政治哲学の一つの結論であります。 

 5日 誤解・謬論(びゅうろん) こういう事はヨーロッパでは長い間の体験の結果、皆承知のことでありますけれども、何か日本ではそういうのは古い思想であるとか非民主的思想であるとかと、まことにくだらない誤解やら、謬論やらが横行しておりまして、何でも大衆性、大衆性と云って、大衆の票を多く獲得した者がエリートであるというよう な大きな間違いをしております。そもそも民主政治というものがこの頃は深刻な、そして厳正な批判を受けておりまして、今までの流行思想がいかに軽薄なものであり、間違いの多いものであったかということが、ぼつぼつ日本でも学者達の間から毅然として主張する人々が幾人も出てきております。
 6日 ルソー

民主主義というとすぐ引っ張り出されるのがルソーでありますが、そのルソーの「民約論」を見ますと、日本人が考えているような議論とは似ても似つかぬ議論をしております。

ルソーは、所謂、民主主義政治、民主制というものに私達が考えているのと全然反対の結論を出しております。そこでルソーの「政体論」について二、三紹介します。
 7日 ルソーの「政体論」

最もよい政体については、あらゆる時代に大いに議論されたが、どの政体もある場合は最善であり、他の場合は最悪のものであるということは考慮されなかった。

王制、貴族制、民主制を比較しますと、どの政体が恒久的に優れておるということはなく、どの政体もある場合には善く、或る場合には悪いという事をルソーは解明しておるわけであります。
 8日 民主制は小国に適す

王制が絶対である、最善であるということはありません。同様に貴族政治、民主政治というものもそうです。従って、都合の好いところだけ取り上げて都合の悪い点は触れないというのでは、これは本当の議論になりません。

一般に、民主制は小国に適し、貴族制は中位の国に、君主制は大国に適する。一般に民主制は、ギリシャのような小さい国に適し、それに対して貴族制はもう少し大きな国に、そして君主制は大国に適するという結論であります。
 9日 神々が国民なら民主制 もし神々からなる人民があれば、その人民は民主制をとるであろう。かかるが故にそれは現実の人間には適しない。 民主制の元祖と言われるルソーでありますが、人民がみな神様であれば民主制が一番良いが、神様でない人間には適しないというのです。一寸、想像もつかない結論であります。
10日 エリート不在 問題は民衆が偉い、民衆が主体というのではなく、その民衆の中から公平に民衆を代表するエリートを出すということで あります。そのエリートが何処かへ行ってしまって民衆、民衆ということになってしまつた。
11日 民主主義政治の条件

@小さい国で、人民を集め易いこと。

A習俗が単純で煩雑な仕事や議論が省けること。

B人民の地位や財産が大体平等であること。
C奢侈が少ないこと。

D人民政治は内紛・内乱が起り易い。その存続のためには警戒と勇気が要る。

12日 その第一 ルソーは民主制の条件として以上五つを挙げておるわけでありますが、先ず第一は、なるべく小さい国で人民を集め易いこと。もう何十万、何百万という人間になったら、どうにもなりません。 演説会にしても、会場に集るのはせいぜい数千人どまりで、何万、何十万という人間が一堂に集まって会議をするというようなことは到底できるものではありません。
13日 その第二と第三 次に第二の条件として、習俗が単純で、煩雑な仕事や議論が省けること。例えば煩い選挙事務だとか演説会だとかいうよ うなことをする必要がなく、実に単純で分かり易い。第三は、人民の地位や財産が大体平等であること。
14日 その第四 第四に奢侈が少ない。つまり人民がなるべく質素で堅実でなければなりません。贅沢を覚えた人民は、贅沢をしようとして虫のいいことを考える。或は怠ける。それではもう政治になりません。 中国古典の四書五経の礼記の中に「礼運」という一篇がありまして、その冒頭に大同小康の説というものがあります。日本の年号にある大同時代というのはここから取ったのです。
15日

公の精神

この時代は天下を以て公とした。つまり人間に利己心というものが無くて公共精神が支配しておったというのであります。 自由中国革命に成功した孫文は、この「天下を以て公となす」という語を常にモットーとしておりました。 
16日

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然し、その天下を以て公とした大同時代も、やか゜て段々()という思想・観念が生じましたが、それでも自分を律する道徳というものがあった。

自由と同時に自律を忘れなかった。これを大同に対して小康と申します。国民がよく反省し、道徳ということを知っておった時代であります。

17日 その第五 第五に、人民政治は多くの人民が集るのですから、内乱・内紛等が起り易い。 そこで民主主義政治を存続するためには、非常な警戒と勇気が必要であると説明をしておるのであります。
18日 マッチーニの名言 rogress of all  ,through all ,under the leading of the best and wisest.

デモクラシーとは何ぞや、という一番の名言は、このマッチーニの言葉であります。

19日 本当の民主主義 即ちデモクラシーというものは、国民の総てを通ずる、最良にして最賢なる指導者の指導のもとに、国民全般の進歩をはかってゆく。 一人或は一階級・一組合の進歩を図るのではない、国民総ての進歩をはかる、これが民主主義だというのであります。
20日 味読の必要性 これは今日に照らしても間違いのないことでありまして今、ルソーやマッチーニという優れた人々の定評ある名言を引用 して説明致しましたが、これらを味読して頂きますと、皆さんのお考え、見識が一層はっきりしてくることと存じます。
21日 スタシスとアメリカ、日本

スタシスと申しますのは、大体西洋では、ルネッサンス時代―中世時代によく使われた語でありまして、中世の歴史や思想学問の書物を読んでおりますと、よく出て参りますが、それが最近いつからかともなく西洋の、特に哲学、或は高等評論の中に盛んに引用されております。

然し、それらの日本語訳を見ても余りよい訳語がないと見えて、大抵はスタシスという語をそのまま使っております。それは争えない変化の時期を意味する語で、日本語の厄年という語を考えるとよくわかります。
22日 スタシス 日本では、四十一・四十二歳を特に厄年と申しまして、この年代となると、今まで意識に上らなかった我々の体質・健康というものに変化が起こって参ります。 急に肩が凝ったり、手が動かなくなったり、或は腰が痛くなったりして驚くことがあります。所謂変化の時期、転期でありまして、これなどはスタシスの典型的な例であります。
23日 アメリカの
「繁栄の中の没落」

要するに、どうにもならない変化の一つの時期・状態をスタシスという訳であります。例えば、アメリカを考えてみますと、今まで隆々として栄え、特に第二次大戦後は

世界の歴史に未だ嘗てない繁栄をしたというので、大自慢、大景気でありましたが、急にがたっときて、アメリカの識者は、「繁栄の中の没落」ということを言い出しました。 
24日 危険なスタシスの日本 日本も同様で、この間までGNPが世界二位になったとか言うて、未曾有の繁栄を謳歌しレジャーだのバカンスだの、と国を挙げて享楽を追っておったのでありますが昨今ガタが来て、国民が悲鳴をあげております。 これも一種のどうにもならない変化の期、スタシスであります。
そこでアメリカの流行用語が日本へ伝わり世界の識者から「日本は危険なスタシスに入った」とよく言われるのであります。
25日

乗り越えるには

従って、問題は、我々がこのスタシスをどう乗り切るか、これを如何に是正して健康を回復するかということであります。下手をしますと、回復ではなくて崩壊する危険があります。 日本の現状はどこから見ても実に危いと言わなければなりません。その第一が無経験であります。無経験であるから、無自覚です。 
26日ー

30日
無自覚な日本人

カーカップ氏の直言

(うらみ)
つまり一部の人々が騒ぎ廻っておるという状態であります。だから外人の間には、もう日本は無事に済まぬ、何か大きな混乱が起るのではないか、という見方をしておる人も随分居るようでありますが、何とかそうならずに打開したいものであります。 

現在、日本へ来ている外国人の数は大変な数で、報道関係の人間だけでも何千人とおりますから、日本に対する批評も厳しいものがあります。然し、この人達の多くは長年日本に滞在しておる為に、日本の教育、思想、言論等を知って、日本びいきであります。中でも、カーカップという人は、日本語もよく出来、日本文も書けまして、日本人が恥ずかしくなるような思想家・文章家です。その彼が日本に対して次のように直言しております。「経済的な大打撃、超インフレが、動きがとれない不況が、現代日本を救う神の恩寵になるかも知れない」。つまり、ここまで来ると、日本人は一辺大きく懲りないと眼が覚めない。日本の現状を憂う人から申しますと、極めて厄介で不幸な

ことであるけれども、そういう目に遭わないと駄目である。
その苦労が日本を救う神の恩寵かも知れないというのです。また、彼は「残酷なことだが、地震もその目的に役立つかも知れない」と、日本の親しい友人に語っております。元来、大自然の変動と言うものは人間に(うらみ)を残さない。人間は直ぐ諦めてしまいます。然し、内乱や革命は恨をつくる。だから地震と言えば日本は地震国と言われる位殊に多い国ですから、日本人は地震はいやですが、これは一番好いのではないかと言うわけです。そしてその考えの人はカーカップ以外にも随分と居るようであります。然し、このようなことは出来れば避けたいことは勿論であります。
こうして色々と注意しておりますと、どうしてこうなったか、どうしなければならないか、ということは昔の人が既に言い尽くしておるようであります。最近、ニュースとして新聞やテレビに大きく発表された中に、中国の古墳発掘がありますが、古代の墓から沢山の兵書が出て参りまして、考古学者が大変な興味をもって調べております。 

31日

兵書

そこで、私も改めて色々の兵書を紐解きましたが、その中にはまるで今日を直視しておるような文章が沢山ありますので、その一部をご紹介することと致します。 先ず「三畧(さんりゃく)」の上畧に、善と悪についてこういう風に言うております。(来月から始める)