第二章 女王・卑弥呼と邪馬台国の謎
褥耕文化と水稲文化の違い
平成24年7月
褥耕文化と水稲文化の違い |
褥耕は耕作技術という点では確かに水稲耕作より原始的だと言えるかもしれません。然し、その事を以て褥耕を行っていた縄文人が水稲耕作を始めた弥生人より原始的であったとか、貧しかったと即断することはできません。 |
寧ろ考えようによっては、食い詰めた人々が水稲耕作を採用したと見ることも出来るのです。逆に言えば、落葉広葉樹林体で生活していた縄文人にとっては褥耕だけで十分に豊かな生活ができたため、労力のかかる水稲耕作に中々手を出さなかったということも考えられます。 |
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実際、水稲耕作は縄文文化の希薄な、つまり狩猟採集生活には余り適していない西日本の常緑広葉樹林帯から浸透し始め、縄文文化の中心であった日本列島の北部では、実に弥生時代を超えて古墳時代の頃まで縄文時代風の生活が続いていたとさえ見られるのです。 | |
裏を返せば、落葉広葉樹林帯を本拠地とした典型的な縄文人たちにとっては、水稲耕作という食糧生産に手を出さずとも狩猟採集生活を中心とし褥耕を付随的に営むだけで水稲耕作民に劣らない食糧を確保できたともいえます。 |
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こうした、食糧事情の豊かさは、その精神文化や技術文化に於いても弥生時代の文化に優るとも劣らない多様性を齎したと考えられます。 |
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註 |
褥耕 主に鍬を用いた耕作。ジャガイモ、甜菜など褥耕を必要とする作物を取り入れたもの。 |
石斧 縄文時代に盛行し、弥生中期まで普遍的に見られる石器。裁断具、削具、土堀り具として使用。打製と磨製とがある。縄文初期から各種みられ、中期には打製石斧が多用される。弥生時代には磨製石斧が一般的。 |
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落葉樹 秋に葉が落ちて越冬し、翌春に至って新葉の萌え出る樹木。大部分は広葉樹で温帯に多い。四季の明瞭でない熱帯でも、雨季と乾季のある所では落葉樹林が成立する。紅葉・黄葉の美しいものがある。 |
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常緑樹 一年以上枯死しない葉を持つ植物。一年中緑色をしている、マツ・スギ・シイの類。 |
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精神文化の発達 |
褥耕の普及は、縄文文化に定着と集団生活の進展を促しました。そこで、ある程度の蓄積と社会的な権威とがこの時期に発生して、それが後の氏族制度の社会の発展につながっているのではないかと考えられます。 |
そのことを裏付けるものとして、縄文中期以降となると石斧と同時にいわゆるメンヒル(立石)としても用いられたと思われる石棒が出現します。 |
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メンヒルとは権威の象徴として立てる石で、長さ40センチ前後のものから、大きなものになると1メートル以上に及ぶものがあります。特に中期の極めて大型で自然石を多少加工したような粗製の石棒は、メンヒルと同じ意味のものと考えられます。それを立てるか飾っておくことは、恐らく何らかの権威のシンボルだったらしいと思われます。 |
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後期になると、石棒は特定の形に整美され、両頭か端頭か、いずれにしても精巧に研磨されており、美しい小型の石棒が盛んに出土します。中には携帯用と思われるものさえ出土しています。 |
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注 |
メンヒル |
石棒 |
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石棒・土偶の生産と呪術 |
石棒が何に使われたのかという疑問に対して、実用 |
石棒に関連するものとてし土偶があります。 |
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特に女性を表した土偶が多 |
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女性的特徴を写実的に表現したものが多いことから、 |
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こうした土偶とともに、それを象徴化した土版という |
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新潟地方に特に多く発見される三角形の土版には、乳 |
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縄文中期以降、石棒、土偶、土版という、おそらく豊 |
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人々は豊かな収穫を祈り、災 |
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石棒などの出土の多さは、それだけ褥耕が盛んであっ |
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そして、このように縄文中期以降、特に後期になって |
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註 | シャーマン 自らをトランス(忘我・恍惚)状態に導き、神霊・精霊などの霊的存在と直接に接触・交渉し、その力を借りて卜占・予言・治病などを行う宗教的職能者。 |
土偶 縄文時代の遺物である土製の人形、大きさは、30センチ前後、呪術または護符的なものと思われるが、その大部分が女性を形どっているので原始的な女神という説も行われる。東日本に多い。 |
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土版 長さ5-15センチ位の扁平な楕円形または長方形の土製品。表裏に文様が施されている。護符的なものとみなされる。縄文時代の後期・晩期に用いられた。 |