徳永の「古事記」その4 
「神話を教えない民族は必ず滅んでいる」

平成24年7月

稲羽(いなば)(しろ)(うさぎ)

スサノオと櫛名田比売(くしなだひめ)は後に八島士(やしまじ)()(みの)(かみ)を生む、この五代後に大国主神が誕生することとなる。その後、スサノオは大山津(おおやまつ)(みの)(かみ)の娘との間に、大年(おおとし)(がみ)宇迦之(うかの)御魂(みたまの)(かみ)を生んでいる。

スサノオの六代目の孫で出雲に暮らす大牟遅(おおなむちの)(かみ)(オオナムチで大国主神のこと)には、「八十(やそ)(がみ)」と呼ばれる多くの兄弟神がいた。その多くの兄弟が、稲羽(いなば)(因幡(いなば)、現在の鳥取市)に住む八上比売(やかみひめ)を妻にしようと求婚に出かけた。その時、オオナムチは荷物持ちとして同行した。
道中、八十(やそ)(がみ)たちは稲羽の()()(みさき)(鳥取市気高)で皮を剥かれて苦しむ一匹の兎に出会う。
八十(やそ)(がみ)たちは兎をからかい「塩水を浴びて風のよく通る高い場所で横になるがよい」と伝える。素直に聞いた兎は、更なる痛みに襲われ傷も悪化した。荷物を持っていた為に遅れて到着したオオナムチは泣いている兎に理由を尋ねる。「私は()(きの)(しま)に住むものです。
和邇を騙して海を渡りましたが、最後の所でばれてしまいまして皮を剥されました。先に通った八十(やそ)(がみ)にも騙されてこんなことになってしまいました」。それを聞いたオオナムチは言う「川へ行き、真水(まみず)で体をよく洗い、蒲の穂の黄色い花粉を地面に蒔いてその上に寝なさい」と。
元通りの体になった兎は言う「八十(やそ)(がみ)たちの望みは実現しないでしょう。八上比売(やかみひめ)と結婚するのはあなた以外にありません。と予言する。
その後、八十(やそ)(がみ)たちは八上比売(やかみひめ)に求婚するが「貴方達とは結婚しない、私はオオナムチに嫁します」と断る。八十(やそ)(がみ)たちの怒りはオオナムチに集中した。
報復として、八十(やそ)(がみ)たちは二度、オオナムチを殺害する。一度目は、伯耆(ほうきの)(くに)(鳥取県中西部)の山麓に呼び出し、赤い猪を捕獲せよと言い猪に似た、赤く焼けた大石で落命した。
然し、母親神の訴えで高天原からやって来た二女神の力でオオナムチが生き返った。それを知った八十(やそ)(がみ)たちは、大木の裂け目におびき寄せて圧死させた。再び母親神の力で息を吹き返し「このままでは完全に殺される」と心配した母親神の指示に従い、(きの)(くに)大屋毘(おおやび)古神(このかみ)の元へ逃亡した。
註 白兎海岸 大国主が稲羽の素兎を助けた場所とされるのが鳥取市の白兎海岸、200米沖に、岩の島・()(きの)(しま)が浮んでいる。 
須佐之男命が与えた試練 稲羽の素兎の伝承は、オオナムチが「大国主」の資質を持つことを示すものと言われる。だが、まだ様々な試練と苦難を経なくてはならなかった。
オオナムチは木国へ逃げ込んだが八十(やそ)(がみ)たちはまだ追跡する。オオナムチをかくまう大屋毘(おおやび)古神(このかみ)を弓と矢で脅して引渡しを要求する。すると、大屋毘(おおやび)古神(このかみ)は、オオナムチに「スサノオのいる根の堅州国へ逃げなさい」言った。
スサノオの宮に辿り着いたオオナムチは、宮から出てきたスサノオの娘・須勢理毘売(すせりびめ)(スセリビメ)ト出会い、互いに一瞬にして恋に落ちる。然し、父スサノオの試練は厳しいものであった。
スサノオからの試練を一覧表にしてみよう。
初日は蛇、2日目はムカデと蜂の巣の岩屋に幽閉。これを須勢理毘売(すせりびめ)から渡された「布」の呪力で乗り切る。
スサノオが放った矢を探せと命令され、発見したら忽ち周囲が炎に包まれる。ここはネズミの助けて助かる。
スサノオの頭を這い回るムカデ退治を命じられる。(むく)の実と赤土で退治しているとスサノオは眠る。
スサノオが眠っている間に、須勢理毘売(すせりびめ)を背負い、根の堅州国を脱出した。この時、スサノオの武力を象徴する、生命力溢れた武器「(いくせい)太刀(たち)」と「(いく)弓矢(ゆみや)」、そして神懸りの儀式で使う「(あま)(のり)(ごと)」を持ち出す。スサノオが追いかけるが間に合わず、別れ際に、持ち出した武器で八十神を倒して「大国主神と名乗り須勢理毘売(すせりびめ)を正妻にせよ」と伝えた。
根の堅州国への逃亡の契機となった八上比売は正妻に恐れをなしてオオナムチとの間の子を木の股に挟んで故郷の稲羽国へと帰った。
オオナムチの助っ人・スクナビコナ 少名毘古那(すくなびこなの)(かみ)(スクナビコナ)は、オオナムチが出雲の御崎に出向いた時、海の彼方から天の羅摩(かかみ)(ふね)(ガガイモで作った船)に乗って蛾の皮の衣を身につけてやって来た神で素性を知る神はいなかった。
するとヒキガエルが「案山子のクエビコなら何でも知っている」と言い、オオナムチはクエビコに尋ねた、曰く「これは天の神・神産(かみむす)()(ひの)(かみ)の子のスクナビコナである」と。
足はなく歩けないが何でも知っている神であった。オオナムチは高天原に確認した、神産(かみむす)()(ひの)(かみ)は、「私の子だ、手の指からこぼれてしまった」と話し、スクナビコナに対して「お前は、大国主神と兄弟になり国作りに励め」と命じた。この二つの神は、日本書紀はもとより出雲風土記、万葉集にさえ出てくるのだから、広く信仰のある土着神なのであろう。
海の向こうからの神がやって来るのは大陸との関係を思わせる。オオナムチが国づくりを始めた頃、「私御魂(みたま)を丁重に祀るなら協力する、私が協力しなければ国作りは完結しない」と近づく神がいた、それが大物(おおもの)(ぬしの)(かみ)であった。
(やまと)の青垣の東の山の上に(いつき)き奉れ」と答えた。この神が、御諸山・三輪山の上に鎮座する大物(おおもの)(ぬしの)(かみ)ある。これにより更なる進展があった。
参考、 日本書紀では、大物主神がオオナムチに対して、「私はあなたの(さき)(みたま)(くし)(みたま)です」と答える場面もある。(さき)(みたま)(くし)(みたま)とは実に素晴らしい言葉で、「平穏な幸せ、不思議な作用の霊魂」とでも言おうか。
大国主神と大物(おおもの)(ぬしの)(かみ)の国作りが終了すると、高天原では、本来は天つ神が治めるべきだとの傾向が強まった。アマテラスは八百万の神々を集めて協議する。
して(おもい)(かねの)(かみ)を中心にした神々の言う通り、地上に派遣されたのが、天菩比(あめのほひの)(かみ)だが、この神は大国主神に媚びるばかりで三年過ぎても一切の報告が無い。
そこで、(あめの)(わか)日子(ひこ)を遣わしたが前の使者より野心があり大国主神の娘と結婚する。そして、葦原中国を我が物にしようと画策し8年経過しても一切報告しない。
度重なる失敗、三度目に派遣されたのが鳴女(なきめ)という(きじ)であった。(あめの)(わか)日子(ひこ)に「どういうつもりか」と詰問させた処、(あめの)(わか)日子(ひこ)は侍女に言われるまま天の波士(はじ)(ゆみ)と天の加久(かく)()鳴女(なきめ)を殺してしまった。その矢が高天原まで届き、アマテラスと高木神(高御産巣日神で造化三神の一神)の足元に落ちた。
すると、高木神は、「(あめの)(わか)日子(ひこ)が命令に背かないなら、この矢よ、(あめの)(わか)日子(ひこ)に命中するな。もし邪心を抱いておれば、この矢よ、(あめの)(わか)日子(ひこ)に命中し、命を奪え!と矢を地上に向けて投げ返した。
結果は、矢は命中し(あめの)(わか)日子(ひこ)は死んだ。(あめの)(わか)日子(ひこ)の死後、地上では大国主命の子である下照比売(したてるひめ)が泣き暮らしていた。その声を聴いた(あめの)(わか)日子(ひこ)の父・天津国玉神と高天原に残された(あめの)(わか)日子(ひこ)の妻子は天から地上に下り喪屋を作り葬儀をし八昼夜続いた。
弔問にきた神々の中に(あめの)(わか)日子(ひこ)のそっくりな神がいた。神々は死んでいなかったと足元にすがりついて喜んだ。然し、間違われた神阿遅(あぢ)()()高日子(たかひこ)(ねの)(かみ)は「汚らわしい死者と間違えるな」と激怒し喪屋を倒した。
その場所が美濃の藍見川の川上にある喪山である。この阿遅(あぢ)()()高日子(たかひこ)(ねの)(かみ)は、下照比売(したてるひめ)の実の兄であった。
アマテラスと高木神は改めて八百万の神々と協議した。すると思金神が「天の岩屋におられる、伊都之(いつの)尾羽(おは)(ばりの)(かみ)か、その子供・建御雷之男(たけみかづちのおの)(かみ)がよいでしょう」という。