鳥取木鶏研究会 7月例会 

     一学究の「救国論

  日本国民に告ぐ      藤原正彦 

   閉塞感に包まれているこの国はいったいどこで道を   誤ったのか。 

1807年、ナポレオン占領下のドイツで哲学者フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という講演の中で、打ちひしがれた国民に祖国再生の熱いメッセージを送った。熱き思いを共有する私は、フィヒテのひそみに倣い、その柄でもないことを顧ず以下を認めた。 

日本が危機に立たされている。何もかもがうまくいかなくなっている。経済に目を向けると、バブル崩壊後20年近くにもなり、その間ありとあらゆる改革がなされてきたがどれもうまくいかない。グローバル化に沿った構造改革も社会を荒廃させただけで、デフレ不況は一向になおらない。

財政赤字は世界一となり、なお増え続けている。一人当たりのGDPもどんどん低下するばかりだ。失業率は増え続け、自殺者はここ12年間毎年3万人以上を記録し、世界トップクラスの自殺大国となっている。 

政治に目を向ければ相変わらずの「政治とカネ」ばかりである。自国の防衛さえしょうとせせず、アメリカへの屈従と引き換えに防衛を請う有様である。とても独立国とは言い難いから、中国の首脳にいみじくも「アメリカの(しょう)(こく)」と呼ばれてしまう。そう呼ばれてもさほど恥ずかしいとも思わない。

日米同盟を柱とするのは正しいが、集団的自衛権を行使しないという片務的状況を恥ずべき姿とも思わない。日米の駆逐艦が並んで走っていて第三者に日本艦が攻撃されればアメリカ艦は助ける義務があるのに、アメリカ艦が攻撃されても日本艦は助けない、というのだから子供が考えてもおかしい。 

アメリカに一方的に守ってもらうという弱味を持っているから買いたくない米国債を買わされ続け既に世界一、二を争う残高となりながら、売ることさえままならない。

なぜか、これについて政府もマスコミも触れようともしない。 

「年次改革要望書」などという内政干渉に近い要求まで拒めなくなる。郵貯簡保の340兆円をアメリカへ差し出す為に行われた郵政民営化、世界で最も安定していた日本の雇用を壊した労働者派遣法改正、WHOに世界一と認められていた医療システムを崩壊させた医療改革、外資の日本企業買収を容易にするための三角合併解禁など、みな「年次改革要望書」で要求されたものだった。

 

誰もがモラルを失いつつある国

政治を正すためにはよい政治家が必要となるが、大量の小泉チルドレンと選挙の半年前までは国政など考えたこともないような素人が登場し、質は低下するばかりである。

我が国にも国政に参加したいという志を持つ優秀な人材はいくらでもいるが、カネもコネも地盤も持たないが故に諦めている。従って政治家は大半は相も変わらぬ世襲議員、トップに目を付けられた素人、そしてスポーツやテレビなどで顔の売れた人ということになる。 

期待の持てそうもない政治家が「政治指導」などと言ってことさらに官叩きに走る。日米関係を傷つけた普天間基地問題の無意味な迷走なども、外務省や防衛省の官僚を外し政治指導で突っ走った挙句のことだ。

大半の政治家に比べ、中学、高校、大学、国家公務員試験という難関を潜り抜け、門地貧富を問わず選抜された官僚の方が。知識、経験、そして見識についても上のことが多い。 

政治家は、優秀者にありがちな傲慢狡猾に十分な警戒をしながら官僚を智慧袋として利用しなくてはならないのだ。

これまでの政党に飽き足らない議員がどんな新党を結成してみても、今後どんな政界再編があろうと、質の劣化した政治家達の区分けが変わるだけのことであり、質の向上にはつながらない。濁った水はどう分けても濁ったままである。 

政治や経済の大崩れに追い討ちをかけるように、深刻な少子化が進みつつある。若者が20代で結婚したがらない。やっと結婚しても産みたがらない。晩婚となれば産んでもせいぜい一人か二人ということになる。ここ5年間の出生率は1.34程度で人口維持に必要なのは2.08だからある時から相当急激な減少が始まることになる。ゆつくり減るのはよいことだが、急激なのは様々な歪みを生むことになるはずである。 

それ以上に深刻なのは、モラルの低下である。政治家や官僚のモラル不足だけではない。子殺し親殺し、それに「誰でもよかったが殺したかった」という無差別殺人など、かってありえなかった犯罪が(しき)りに報道されるようになった。世界で図抜けていた治安のよさも、かろうじてトップレベルという所まで落ちてきた。 

子供たちりモラルも一斉に崩れ、学級崩壊は日本中の小中学校で広く見られるようになった。陰湿ないじめによる子供の自殺が普通のこととなった。

数世紀にわたって恐らく世界一だった子供達の学力は10年ほど前に首位を滑り落ちその後も落ち続けている。ケータイ病におかされた子供達は今や世界で最も勉強しない子供達とさえ言われる。

一生懸命勉強して将来何かをしたい、という志を持つ者さえ國際統計によると極めて少ない水準にある。外国へ出て大きな未来に挑戦しようという青年が少なくなったからアメリカの大学への日本人留学生は中国や韓国より少なくなった。身近な幸せに安住しケータイやインターネツトに興じている。視線が内向きになっている。 

それに学校にはモンスターペアレンツ、病院にはモンスターペイシャンツと、不満が少しでもあれば大げさに騒ぎ立て訴訟にまで持ち込む人々が多くなった。人権を始めとしてやたらと権利を振りかざす人間が多くなった。かってこういう人間は「さもしい」と云われたものだが。 

政治、経済の崩壊から始まりモラル、教育、家族、社会の崩壊と、今、日本は全面的な崩壊に瀕している。それぞれの分野で、崩壊に気づいたそれぞれの分野の専門家が懸命に立て直そうと努力しているものの、どんな改革もほとんど功を奏さない。

この国の当面するあらゆる困難は互いに関連し絡み合った糸玉のようになっていて誰もほぐせないでいる。部分的にほぐしたように見えても大ていは一時的なものに止まり全体の絡みには何の影響も及ぼさない。我が国の直面する危機症状は、足が痛い手が痛いという局所的なものではなく全身症状である。即ち体質の劣化によるものなのである。 

漂流し沈下しつつある日本はどうなるのか。日本人は今、深淵に沈み行くことを運命と諦めるのか、どうにかせねばと思いながら確たる展望もないままただ徒に焦りもがくばかりである。古くより偉大なる文芸芸術を生み、明治以降に偉大なる経済発展をなしとげ、五大列強の一つともなった優秀で覇気に富んだ日本民族は一体どうなったのだろうか。祖国再生の鍵はどこにあるのだろうか。

一般に多くの困難を解決しようとする場合、一つ一つ着実に解決しようとするのは、誰でもまず考えることであるが、大ていの場合、労力がかかるばかりで成功しない。多くの困難が噴出しているというのは、それら全てを貫く何か一つの原理が時代や状況にそぐわなくなっていると言うことを意味する。従って、この原理を変えることで諸困難を一気に解決する、というのが最も効果的なばかりか容易でもあるのだ。 

それでは我が国は戦後、どのような原理で動いて来たのであろうか。それを考えるには日本人とはどういう民族であったかという所から始めなければならない。 

独立文明を築いた日本

ハーバード大学の国際政治学者サミュエル・ハンチントン教授は、その1990年代のベストセラー「文明の衝突」の中で世界の文明を七つに分けた。中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教会文明(ロシアなど)、西欧文明、ラテンアメリカ文明である。 

この中で日本文明以外はすべて、多くの国にまたがるものだ。いかなる分野でも、学者が何かを分類しようとする時、なるべく簡明なものにしょうとする。複雑な区分けはもはや分類と呼べないからだ。 

当然、日本という小国だけに存在する日本文明を、中華文明に組み入れようとする。処が世界の文明を分類しようとする現代のどの学者も日本文明を独立したものとみなすのである。

一万年前も前の縄文時代からあった土着の文明に、西暦二世紀頃から中華文明が混じり、16世紀末からは西欧文明の影響を受けたものの、主に日本という孤島で独自の発達を遂げた文明と見なさざるを得ないからである。明瞭に中華文明に含まれる朝鮮半島などと異なり、日本文明と中華文明は何から何まで余りにも隔たっているからである。 

日本人は古来、新しい進んだ文明に触れると、繊細な民族性だけにすぐに劣等感を持ち、それを見習い取り入れてきた。

 

漢字も仏教も西欧の技術もそうだつた。処が不思議なことに、その劣等感をバネに、それら新文明に必ず独創を加え自分達独自のものに変えて行くのである。

漢字が来れば間もなく万葉仮名、片仮名、平仮名を発明し、漢文の訓読を始める。

仏教の方も伝来して間もない奈良時代には神仏習合という離れ技をなしとげ、遣唐使の終了した平安末期の頃からは日本独自の仏教を創始した。

禅や儒教は中国では庶民にまで広がらなかったが、日本では武士道に取り入れたのを皮切りに遂には国民精神にまで広めてしまう。

鉄砲が種子島に伝えられれば、その30年後には工夫に工夫を加え、織田信長が世界最優秀の鉄砲を3000丁も量産していた。先進中国のものであっても君主専制や科挙や宦官は取り入れないなど、国柄との適合を念頭に、取捨選択と換骨奪胎を繰り返しながら自らのものとしていたのである。 

それでは、日本文明とは一体どんな文明なのだろうか。これは難しい問題である。とりわけその中で暮らしている日本人には見えにくい。空気の中で暮らしている人間が空気の存在に気づいたのは17世紀になってトリチェリが真空の存在を発見したからであった。人類誕生から数百万年もかかっている。

自らの文明は自らは認識しにくく、異質の文明との比較によってようやく見えるものと云ってよい。幸いにして明治にかけて来日した欧米人を中心とする多くの論者が様々な考察をしてくれた。

彼らは長い航海の後、アジア各地に寄りながら日本にまでやってきて「日本人はなぜこうも他のアジア人と違うのか」ということに驚愕しつつ、日本とは何かについて自問自答を繰り返したのである。

多くの欧米人が日本を訪れ新鮮な目で日本を見つめ、断片的であろうと、個人的印象に過ぎないものであろうと、多くの書物に残してくれたことは実に幸運であった。日本文明が成熟を見た江戸時代の直後だった、ということは尚更幸運であった。

彼らの言葉をいくつか、「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社ライブラリ)を引用し参考にしつつ考えてみよう。 

日米修好条約締結のために訪れたタウンゼント・ハリスは、日本上陸のたった二週間後の日記にこう記している。

「厳粛な反省?変化の前兆?疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」。彼らは「衣食住に関する限り完璧に見える一つの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊」することを懸念したのである。 

ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。「この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供達の愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことが出来なかった私は、おお神よ、この幸運な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない」。

また日英修好通商条約を締結するために来日したエルギン卿の秘書オリファンとはこう記す。「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人が全く幸福で満足しているように見えることは驚くべき事実である」。 

多くの欧米人が色々の観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。だからこそアメリカ人のモースは「貧乏人は存在するが貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。

欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、この国では全くそうでないことに驚いたのである。 

明治6年に来日し、日本に長く生活したイギリス人のバジル・チェンバレンはこう記す。「この国のあらゆる社会階級は比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・本物の平等精神、我々はみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」。 

イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは明治22年に東京で開かれたある講演で日本について、こうまで言っている。「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国だ。・・・その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質は更に美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんど全てのことに於いて、あらゆる他国より一段高い地位に置くものである」

無論、ここには詩人らしい誇張も含まれているだろう。然し実に多くの人々が表現や程度こそ異なれ類似した観察をしているのである。