日本、あれやこれや その51

平成20年7月度

 1日 エルトゥールル号事件 トルコの軍艦、エルトゥールル号が、日本からの帰国の際、和歌山県串本町沖で暴風雨に遭い座礁した。587名が死亡、生存者69名という大惨事であった。 この暴風雨の中、地元民は懸命な救助をし、懸命な介護をし、死亡者は鄭重に葬った。生存者は明治天皇の命により日本の軍艦2隻でトルコに送り届けた。
 2日 明治天皇 この事件に同情した山田寅次郎という民間人は、遭難者支援の援助をする為、全国各地を歩き回り義捐金を集めてトルコに渡った。トルコ側は感激してトルコ皇帝自ら寅次郎に会った。寅次郎はトルコの要請により滞留し日本語教師となった。その教え子の中には将来の 初代トルコ大統領となり建国の父と言われるケマル・アタチュルがいた。彼は一連の日本と明治天皇の行為に感動し机の上に尊敬する明治天皇の肖像を置いていた。帝国主義盛んで「他国の不幸は自国の幸福」の時代に類を見ない誠実な、純な日本人にトルコ人は感動したのである。
 3日 トルコの日本人救出

1985年のこと
このエルトゥールル号事件から100年後、イラン・イラク戦争が始まった。イラクのサダム・フセイン大統領が「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機があればそれを打ち落とす」と発表した。日本人はイランで働く人が大勢いた、直ぐ空港に向い脱出を図るが各国の航空会社は自国民を優先し日本人は弾き出された。 他国政府は救援機を出したが日本政府は対応が遅く、また安全が確保できないとして救援機を飛ばさない。日本人は窮地に陥った。刻々と時間は迫りこのままでは戦争現場に取り残される。その時、なんとトルコの飛行機がやってきた、そして日本人を乗せてイランから飛び立ったのである。タイムリミット1時間15分前のことであった。トルコは危険を顧みず日本人を救出してくれたのである。先祖のおかげである。  
 4日 トルコの恩返し トルコ国民は100年前のエルトゥールル号事件を忘れていなかったのである。 これはサンケイ新聞、平成7年1月9日、駐日トルコ大使・ネジャッティ・ウトカン氏が述べている。 
 5日 日本の恩返し 1999年、トルコに大地震があった。助けられた日本の企業の人々は、このご恩を忘れてはいけないと、義捐金を集めてトルコに寄付した。 まさに、これは先祖に端を発した「善循環」である。善い行いには善いことが帰って来る。因果応報である。 
 6日 大親日国・トルコ その理由は@エルトゥールル号での日本の真摯な態度。A10回以上の戦争をしてきた宿敵ロシアを、日本が日露戦争で打ち負かしたこと。B敗戦後、経済大国へ発展した日本への尊敬。 エルトゥールル号事件はトルコの教科書にも掲載されているが日本人の青少年は知らない。
日本人はこれらを知っておいていい事柄である。
 7日 江戸時代の農民

トルストイはロシアの大作家である。戦争と平和、アンナ・カレーニナ、イワンのばかなどの作品は著名である。トルストイ伯爵の息子、重農主義、無抵抗主義、宗教

的人道主義者として大きい影響力のあった人。
日本では内村鑑三、幸徳秋水、政宗白鳥、島崎藤村、徳富蘆花なども大きく影響を受けている。蘆花はトルストイに熱烈な手紙を送りまた訪問して感銘を受けた。
 8日 トルストイの日本農民観 土を耕し、他の力によらずして生活する者が国の力である。と言い農民を尊重した。 トルストイは、日本の農民について「人生理想的な生活を現実に求めれば、日本の農夫の生活がこれに近い」と述べている。
 9日 江戸時代の日本農民 「貧農」の言葉に代表されるように、日本の農民も貧困で悲惨なイメージがある。 農民は「生かさず殺さず」と言われた江戸時代、自由も無く、重税の年貢に、ただひたすら苦しいだけの生活という印象がある。果してそうなのか。
10日 慶安の御触書

朝は草を刈り、日中は田畑の耕作に励み、晩には縄をない、俵を編み、何事にしても夫々の仕事を念を入れて行うこと・・・・男は農業に精を出し、女は(はた)を織り夜なべをして夫婦ともに稼ぐこと」。

このように日常生活から耕作、食物、夫婦関係に至るまで、こまごまとした指示や制限を出している。然し、一方、「たばこはすってはならない」何故なら将来病気になるし時間も潰し、お金も要り、火の用心も悪く万事損になるからと農民を気遣っている。
11日 慶安の御触書2 更には「年貢さえ済ましてしまえば、百姓ほど心配のいらないものはないから、十分これらのことを心掛けしっかり働いて財産をかせぐこと」と仕事をして余剰の利得を 持つことまで奨励しているのだ。無論、幕府は年貢確保の政策でもあるが、それだけでなく、真摯に農民のことを考えていた。それは江戸時代の農民周辺事情を見れば明白である。
12日 伊達藩の事例 江戸時代、時代と共に新田開発は進んで農地は拡大した。例えば伊達藩は62万石だが実質は100万石に達したと言われる。然し、此処がミソだが、石高の変更は行わなかったので、五公五民でも、実際の年貢を取られる割合は減っていく。 100万石でも、62万石の五割の年貢でいいのだから、実質年貢割合は2割程度であった。
また、石高は、田畑のみを対象としそれ以外の山林、湖沼、河海での生産はそれに含まれていない。農機具も進歩し二毛作さえ出来たのである。
13日 シーボルトの見解 江戸後期に来日したシーボルトは「日本の農業の水準の高さは広く知られてオり、国際的にも高く評価されている」「農業は技術的にも殆ど完璧な水準に達している」と日本農業水準の高さを賛 嘆している。このように、農民が貧困に喘ぎ重税に苦しむことを多年続けていたのではないことがわかる。1788年には「倹約令」が出て「奢りに長じ」た農民に規制さえ出ているのである。
14日

恵果阿闍(えかあじゃ)()

空海の師匠、746年―805年の中国の名僧。真言密教第七祖、密教の正統を伝承する唯一の人。空海の渡航を待ち、弟子千人の間から日本人・空海が教えを伝授された。

「私は前より貴方(空海)が来ることを知って長いこと待っていた。今日会えて大いに好い、大いに好い。自分は寿命が尽きようとしている。然しながら法を伝えるにふさわしい人がいなかった。これから総てを速やかにあなたに伝えよう」
15日 空海

日本の仏教界の巨人、弘法大師、774年―83
3年。24歳で「三教指帰(さんごうしいき)」を著す。804年、30歳で遣唐使船で唐へ渡る、最澄、橘逸勢(たちばなのはやなり)と同行。

806年帰国、816年高野山に寺院建立し真言密教の普及に努めた。

嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に「日本三筆」。
16日 空海の詩 空海は恵果阿闍(えかあじゃ)()の一切を受け取った。以後、中国の密教は廃れておりきちんとした形で残っているのは日本だけである。恵果が入滅した時、門下を代表して碑の文章を空海は書いた。大詩人馬総(ばそう)はその詩を見て詠嘆した。 「何ぞ(すなわち)万里よ来れる。其の才を(てら)ふに非ざるべけむや。学を増して玄機(げんき)を助く。土人(とじん)(なんじ)が如きなるも稀なり」と。貴方は何の為に万里の遠くから来たのか。その才能をひけらかす為だったのではないでしょうね。益々学問に研鑽し、奥深い心の働きを極めるようにして下さい。貴方のような方は、全く中国でも殆どいないような人です・・・。
17日 両部を伝授された空海 空海は、中国の弟子を尻目に、一人だけ、金剛界、胎蔵界という両部の教えを授けられた。 大天才・空海は中国語もサンスクリット語も通じていた。
18日 御遺告(ごゆいごう)

空海の教育方針が書かれた本であり、僧侶の育成に関したものである。それには、「機会を均等に与え、その後は実力主義で、国王の子供でも差別しない」というものである。

実力の差によっては、それが国王の子だろうが、普通の国民であろうが、教育の仕方やレベルを変え、地位を与えて行くというものである。
19日 日本史上六つの危機 最初は「元寇(げんこう)」である。元(現中国)の属国にはならぬという意思を持ち、世界的帝国の元を二度も追い払った。 もし日本が征服されていたら今の日本とは随分違うものになっていたであろう。日本語も無くなっていた。
20日 第二の危機 第二の危機は「幕末」である。日本の植民地化を狙う欧米列強に対し、彼らの意図を見抜き、無血革命により政権交代を成功させた。 幕府から天皇への大政奉還という偉大なる事業を経て幕末の混乱に欧米勢力に乗じられることなく維新を成功させた。
21日 第三の危機 第三番目は「明治初期」である。開国後、欧米文明を見聞した日本人は、日本は古臭く旧態依然で文明化していないと思い込み、それまでの日本文化を蔑み、鎌倉大仏をも 地金で売り払おうとさえした。そのような事態を憂慮したのが明治天皇で、全国行脚してさの惨状を見て嘆き対策を講じる必要性を感じ教育勅語をつくり日本人崩壊の危機を食い止めた。
22日 第四の危機 第四の危機は、「日露戦争」である。ロシアとの将に「乾坤一擲」の勝負であった。 負ければ日本がロシアになるか属国となるか、正真正銘の一発勝負であった。
23日 第五の危機 第五の危機は「第二次世界大戦とその敗北」である。敗戦はしたが、植民地化などの日本解体は免れた。 だが、日本分割の危機もあった。北海道がソ連占領を要求していたことには戦慄を覚える。
24日 第六の危機は「内からの危機」 第六の危機は「現在」である。この危機も、第三の危機同様、内からの危機である。 日本人としての、日本人らしさ、アイデンティティ喪失という大危機である。今は、その刹那に来ていると言っても過言ではない。危機意識が欠如しているのが最大の危機である。このまま行くと「日本崩壊」は必定である。 
25日 第六危機の真因 真因は、色々とあるが、大きな一つは、日本人が「自分の長所・良さ・美風」に気づいていないことである。 自分の良さに気づかないと鎌倉大仏のように地金にして捨て去ってしまう。危険極まりなく日本は限界に来ている。
26日ー

30日
日本、あれやこれやの意図


レベルの高いのは古代から


日本の森林



自然を愛する日本人は21世紀の救世主
私は、この「日本、あれやこれや」を数年間毎日続けておるのは、少しでも、日本人が日本の歴史の素晴らしさ、日本人の素晴らしさを自覚して欲しいからである。早や、六年に喃々とする。
世界の偉人達が語る日本人や日本の素晴らしさは現在の日本人にも当てはまる。例えば「森林」、日本の森林面積は国土のぉうlもある。米国は25l、中国は18lしんない。樹木が多く美しい日本の理由である。

魏志倭人伝で漢人は日本人が嘘をつかないと感心した。道徳性の高さ、文化の高さ、頭の良さは現代世界でも日本人は光っている。民度も高かったのは私が過去に本欄で指摘した通りである。
礼儀、道徳、総て高い水準は自信を持っていいのである。日本人は生まれながらにして身につけている。アインシュタインも、「日本人以外にこれ程純粋な人間の心を持っている人はどこにもない。日本を尊敬し、愛すべきである」とさえ言った。ザビエルも、「日本の人々は慎み深く、また才能があり知識欲が旺盛で、道理に従い、その他様々な勝れた素質がある」と賞賛している。

「盗まない」ことについても魏志倭人伝の2000年前から特筆されているのである。

日本は「大文明国の一つだ」と発言したのは現代のサミュエル・ハンチントン教授である。それが世界の於ける日本の位置なのである。ギリシャのパルテノン神殿は単なる廃墟である。ユダヤのパレスチナも生きている姿には見えない。それがどうであろう、日本では太古からの神社、そして建物も恰も生きておわすようである。これは「世界でどこにも見ることが出来ない絶対的事実である」とはブルーノ・タウトの言葉である。

高いプライドのある民族だという日本人観も歴史の偉人の一致した見解と言える。「驚くほどの名誉心の強い人々で他の何よりも名誉を重んじる」とザビエルの言葉であった。「日本人の高潔さ、自尊心を褒め称えた」のはシュリーマンであった。

自然を愛し、植物を愛し、庭園作りの名人・日本人。自然と一体になった芸術センスは抜群の日本人、美観に恵まれている。

清潔であることも、世界の偉人たちは感動している。庶民の日用品に至るまで世界に勝れていたのだ。それは現代でも然りであろう。 

31日 日本人よ原点に返れ 欧米諸国の民は、宗教により日常生活を律している、それが彼らの道徳・倫理を身につける基本なのである。日本人は無宗教に近い、神道は自然への感謝・報恩で一神教のような戒律が無い。倫理道徳を教えるものではない。だが、日本の「武士道」が、庶民に至るまで浸透し倫理・道徳が身についていた日本人であった。 戦後になると、修身道徳を学校も親も教えない、社会も啓発しない。その上に武士道の教えを親も指導していない。それでは日本人は、からきし動物と同じになる。それが現今日本人の腐敗・頽廃の元なのである。だから、緊急に日本人に必要なのは、「民族の伝統の復活」しか無いのである。このままでは「間違いなく日本民族は滅びる」