現代宰相論―大将の器とは
平和22年7月
1日 | よく鳩山みたいなのが総理になったもんだーー金だね |
大きく出る訳ではないが、少々口幅ったいが、近年の日本の総理のオソマツな事は絶望的である。愚生は齢80歳に喃々とするから、まあ人間の古株だから言いたい事は言わせて貰う。 |
2日 | 八観六験の法 |
人物を観るのに「八観六験の法」がある。 |
3日 | 鳩山は幼稚すぎる |
鳩山は総理であり最高のポストである。そこに鳩山は止り、何をしたのか、印象的なことは、女房を夜な夜な連れ歩いて食べ、飲み、総理に群れてくる愚民を食事に饗応ばかりしていた印象が強い。少しも沖縄に足を運ばない。 |
4日 | 鳩山は金権総理 |
止れば、即ち日本のトップになったのなら寝食を忘れて、日夜国家経営について呻吟してこそ宰相の責任を感じたとなるのである。かかる観点で鳩山を観れば、落第以外の何ものでもない。八観の法の第三「富めば其の養う所を観る」で鳩山を観れば、金で犬を買ったことになる。平野を官房長官にしたが1千万円鳩山から貰ったし鳩山は金で総理を買ったも同然であり、とんでもない野郎であったのだ。これだけでも民主党の責任は実に大きい。 |
5日 | 鳩山は愚劣な人物 |
「大臣の六等」によると、第一等は「寛厚深沈 遠識兼照 福を無形に造し 禍を未然に消し、智名勇功無くして、天下・陰に其の賜を受く」とこなくてはならぬのである。鳩山には欠片もなかった。それ処か日本の国益を破壊した。鳩山はバカな小人物である。愚劣な人物であった。 |
6日 |
せめて大臣の第二等であって欲しいのだが、鳩山は、第二等の「剛明・事に任じ 慷慨敢えて言い 国を愛すること家の如く 時を憂うること病の如くにして 太だ鋒芒を露すことを免れれず。得失相半す」。にも全く該当しない。 |
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7日 |
では第三等を適用してみよう。「安静・時を遂い、動もすれば故事に循うて 利も興す能はず 害も除く能はず」。鳩山は害も除くどころか日本に害を与えてしまつたと申しても過言ではない。とんでもない総理であったことになる。鳩山は反省の色すら見られない、脱税犯罪者でもあるのだ、日本人は忘れてはならぬ。 |
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8日 | 鳩山は第四等に該当 |
鳩山が宰相として該当していると思われるのが第四等である。「禄を持し望を養い 身を保ち寵を固め 国家の安寧も略懐に介せず」。鳩山は国家の安全を心に持たなかったのは事実である。学べば学ぶ程、海兵隊の意義を知ったとほざいた。バツカじゃなかろうか。かかる総理を選出した民主党の無責任体質は犯罪的であるが反省の色もない。 |
9日 |
宰相観察「大臣の六等」=六等の法は、第五等そして第六等のランクもあるのだが、今回はこここまでにしておく。ここで、人の上となる者に就いての古文献を披露し参考に供したい。 |
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10日 | 人の上となる者は 1. |
暮夜、無知の四字は百悪の総根なり、人の罪は欺くより大なるはなし。欺く者は其の無知を利するなり。大姦大盗は、皆無知の心によりて之を充たす。天下の大悪只二種あり。無知を欺くと、有知を畏れざるとなり。無知を欺くは還て是れ忌憚の心あり。此れ誠偽の関。有知を畏れざるは是れ箇の忌憚の心も無きなり。此れ死生の関。猶ほ畏るる有るを知るは良心尚未だ死せざればなり。 |
11日 | 鳩山君 |
前日は、一口で言えば、「天知る。我知る。子知る。何ぞ知るものなしと謂はんや」。であろう、なあ鳩山君、というところだ。鳩山君は、畏れ慎む所がなかったのである。 |
12日 | 人の上となる者は2 |
「明者は人の避くる所を料り而して狡者は人の料る所を避く。是を以て相ともに是れ本真を賊うて而し奸偽を長ずるなり。是れを以て君子は寧ろ人の疑を犯すも而も己れの心を賊はず」。のように宰相たるものはならなければならぬのである。鳩山君、君は、このように学んだことはないのかね? |
13日 | 人の上となる者は3 |
「天徳は只是れ箇の無我。王道は只是れ箇の愛人」。「聖賢の学問は是れ一套、王道を行ひ、必ず天徳に本づく。後世の学問は是れ両截己れを修めずして只管に人を治む」。 鳩山君、宰相は、只管専念しなくてはならぬのだ。夜な夜な女房と連れ歩くのは宰相のなすことではなかった。まだ麻生の方が誠実だ、鳩山君は世間を欺いた。 |
14日 |
「百姓の凍餒之を国窮と謂う。妻子の困乏之を家窮と謂う。気血の虚弱之を身窮と謂う。学問の空疎之を心窮と謂う」。「天徳王道は是れ両事ならず。内聖外王は是れ両人ならず」。この中で、「内聖」とはね、己を深めることなんだよ。「王」は国民のことを真に思うことだよ。鳩山君、君にこれ等の自覚は皆無であったと判定している。君は口先のみであった。総理は不適格だったんだよ。 |
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15日 | 鳩山君 菅君 |
「心術・学術・政術・此の三者は弁ぜざるべからざるなり。心術は箇の誠偽を弁ぜんことを要す。学術は箇の邪正を弁ぜんことを要す。政術は箇の王伯を弁ぜんことを要す。総て是れ心術誠了すれば、別箇再つながら差はず」。鳩山君、菅君、王道とは「道義に立脚した没我の行」なのである。欠片も貴君等には感じられない。民主党にもだ。 |
16日 | 研鑽のない菅君 |
「学者の大病痛は只是れ器度の小なるなり」。鳩山君のことを指摘しているのだ。「人の上となる者は最も器局の小見識の俗なるを怕る。吏胥興阜も儘々能く人を笑う。慎しまざるべからざるなり」。鳩山君や菅君にはこんな研鑽は無さそうである。 |
17日 | 宰相の気宇 |
ここで、宰相たるべき者の気分を示した詩を提示する。 「険夷原不滞胸中 何異浮雲過大空 夜静海濤三萬里 月明飛錫下天風」。鳩山君、管君、宰相はこんな気宇壮大な人物でないと落第だよ。 |
18日 | もう一つ提示する。 |
程明道先生の作、「秋日偶成」。 「閑来無事不従容 睡覚東窓日巳紅 萬物静観皆自得 四時佳興興人同 道通天地有形外 思入風雲変態中 富貴不淫貧賤楽 男児到此是豪雄」。 どうだい、鳩山君、管君、宰相は、こんな豪快な気持ちでやらんかい。手練手管の管君とか、女房ばかり連れ歩いた鳩山君、君らには国家経営は無理だ。 |
19日 | 宰相は英邁でなくてはならん | 「政治と言うものは結局、「宰相次第」ということが鳩山君とか管君を見て分ったであろう。世論調査などいい加減なことで政権を作らされては国家・国民が被害を受けるだけである。宰相は英邁でなくてはならんのだ。でなければ世の中が治まらん。 |
20日 | 政治は人次第 | 宰相の学、つまり政治学であり政治哲学が確立した人物が議会に出なくてはならぬのだが、国民がそれを理解しないという時代になっているのだ。国民自身も政治に目覚めなくてはならぬ。つまり「政治は人である」。突き詰めると政治は宰相ということになる。 |
21日 | 政治は人物 | 更に突き詰めると「政治は人物」だということになる。「人間学」ということになるのであります。そうするとと「人物とは何ぞや」となる。中国の歴史が面白くなるのであります。治乱興亡が歴史そのものの中国、王朝だけでも21史5史というくらいに易姓革命、治乱興亡を続けている。 |
22日 | 日本と中国の違い | 日本は万世一系の天皇を戴いて、元来親子兄弟でも争うものであるから、日本でも随分争い戦乱もあったが、中国に比べれば本当に平和そのものの日本歴史と言える。中国の人民から見れば悲劇の歴史であろう。だから、日本人の想像以上に中国人には深い歴史、哲学、文学、人物学、政治学がある。 |
23日 | 宰相学 | 中でも中国に発達したのが人間学であろう。それに伴い宰相学は実に面白く現代の我々でも人物学とし大いに使えるものがある。 宰相とは何ぞや、大臣とは何ぞやということである。 |
24日 | 突き詰めると、宰相、大臣というものは、人間を支配し、人間の運命、民族、国家の治乱興亡を決定 |
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25日 | 民主主義の弊害 | 人間の中でも、人間を代表する、所謂人物、一山百文、十把一からげの人間ではなく、本当は、「人間らしい精神、内容、才能を持った人間即ちそれを人物」と言うのでありそのような総理を選出しなくてはならぬのである。それが福田とか鳩山の如き人物を選出したから日本は不幸であった。国民の見る目がないことが民主主義の弊害である。 |
26日 | 楠正成 | 人間とはどういうものか、治乱興亡の中国での人物に関するものは実に多々ある。然し、日本にも勿論ある。私は宰相に関して論述しているが要するに「大将」のことである。どんな人間が大将として相応しいか。 |
27日 | 大将たらん人は | 楠正成の伝記に桜井之書というのがある、その中から引用する。 |
28日 | 「大将は智慧をもって肝要とす。智慧なき者は万事にまどいあるものなり。智慧に大小あり。智慧大なれば、天下を治めても不足なく、智慧小きなれば、一国一城も治りかねるものなり」。 |
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29日 | 「然しながら大将は、大なる智慧も細なる智慧も、なくてはかなわぬものなり。智慧は生まれつきにありというも、その智慧を磨かざれば、正智いずることなし。智慧に自慢おごりて、みがかざる大将は、皆代々持きたる国を失い家を亡ぼすものなり」。 |
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30日 | 人間の判断はも相対的なものである。それ故に自分を評価する時は注意が必要だ。自分を至らぬものと考えつつ治世に臨むのが最高に大切であろう。それは宰相に限らぬ、課長程度でもそうなのである。上になればなる程華麗に変身して行く人はトップに上れる。 |
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31日 | 人間の集団というものは面白いもので、10人中7-8人が評価してくれていても、必ず2-3人はどこかで足を引っ張っている図式があるように思える。日本でも政治的に必ず共産主義的な人間が10l程度常に存在しているようなものだ。 |