安岡正篤先生「東洋思想十講」
      第六講 仏教について()続編


平成25年7月

1日 人間の五交

このようにして次第に人間が社会的に出来てゆくわけでありますが、それに従って今度は人間同志の交わりが生じて参ります。儒教はこの人間の交わり、交遊についての研究・観察がまた非常に発達して、一つの立派な学問を形成し、これに関する文献も実に豊富であります。その交遊に関する学問の中で特に面白いいうか、興味深いのは、これを「素交(そこう)」と「利交(りこう)」の二つに分けていることであります。

2日 素交とは

「素交」とは、素は白い生地という意味ですから、地位だの、名誉だの、何だのと言った、いわゆる為にする所のない交わり、人間そのものの自然なつきあいも一切の手段。修飾を取り去った裸のつきあいであります。これは儒教に限らず、仏教でも神道でも非常に大切にします。その素交の中で一般によく知られておるのが「忘年の交」「忘形の交」であります。但し、世俗はこれをやや誤解し偏用しております。例えば忘年会ですが、忘年をその年の憂さを晴らすことのように思っております。本来の忘年は、そうではなくて、文字通り年を忘れることです。先輩・後輩の年齢差を超越して心と心とのつきあいをする。これが「忘年の交」であります。同様に「忘年の形」は、地位や身分などを忘れて交わることです。

3日 利交

それに対して、何か求むる所のある交わりを「利交」と申します。文選(もんぜん)という古い書物の中に、これを五つに分けて説明しております。この書物は平安朝以来、日本人が大変愛読したもので、なかなか名論卓説がたくさんあります。中でも面白いものに「絶対論」があり、実は「利交」のことも、この中に論ぜられておるのですが、読んでおって本当に考えさせられたり、笑わせられたりで興味の尽きないもののがあります。

4日 その五つとは

さて、その五つとは、
第一に、「勢交」。勢力のある人と交わってゆく。それからある目的達成の手段に金品を贈ってつきあう「賄交」。話相手、イデオロギーでつき合うのも「談交」。窮をまぎらす、同情するなどでつき合ってゆくのは「窮交」。最後は「量交」と云って、これは打算的につき合うことです。

5日 素交会

以上の五つは全て「利交」であるから、こういう交を早く絶つ方がよいというので「絶交論」であります。人間は素交を尊ぶのであります。素交会というのを我々の同人が東京でつくって、老若男女が二ヶ月に一度くらい集りますが、地位だの名誉だのというものを一切抜きなした、忘年忘形の集りでありまして、いつも和気藹々で実に楽しいものです。こういう生きた人間とその生活、行動の学問が儒教では非常に発達しております。老荘また然りであります。

第八講 儒教について()
6日 時務の学 儒教を一言にして申せば、修身(しゅうしん)斉家(さいか)治国(ちこく)(へい)天下(てんか)の学問であり、中国の歴史を通じて常に本流をなす思想・学問であります。と同時にわが日本もまた歴史的に深く関連し影響されている大切なものであります。皆さんは、これを専門に研究されるのではありませんから教養に資するという意味で、お話を進めて参りたいと思います。たまたま時局において、中国問題が最も切実な舞台にさしかかり国民の関心も大変高まっておりますが、残念ながらこれに対する認識が甚だ不足していて、混沌とした状態でありますから、いささか本流から離れるかも知れませんが、これに関連して皆さんのご参考に資するお話も申しあげたいと思っております。
7日 時代と教養

それについて先ず何よりも大切なことは我々のそういう「時代と教養」という意味から申して、活きた学問、いわゆる「活学」をすることであります。儒教ではそういう意味の学問のことを「時務の学」と申します。即ち、現代に如何にあるべきか、如何になすべきか、と言うことを時努と言い、一々の事務と異なるものです。これがまた儒教の大きな問題でもあります。先ずこの問題から採りあげてゆきたいと存じます。

8日 シンギュラー・ポイント、ハーフ・ウェイ

ここで改めて玩味して頂きたいのは、例のシンギュラー・ポイント、ハーフ・ウェイという語であります。これは我々にとって痛切な問題であるばかりでなく、日中問題についても、甚だ切実な意義を感じさせるものであります。病気にしても、何の問題にしてもそうですが、人間の通性として何かよほど刺激を感じるようにならないと意識しないものです。然し、刺激や異常というものは、突然に起こるものではなく、必ず久しい以前から馴致(じゅんち)されたもの、養成されたものであります。処が、それが初めのうち、よく分らない。相当期間、無自覚で、ある段階になって初めて異常を覚える。この時点をシンギュラー・ポイント=特異点というわけです。このシンギュラー・ポイントにならないと人間は異常を意識しない。 

9日 まだまだと思っているうちに手遅れ

経済現象もそうです。久しく伏在しておったものが次第次第に或る情勢を馴致し、それが何かのきっかけで刺激を起す。アメリカの大統領選挙が終わってニクソン政治体制が確立すると、それまで久しく馴致されていた経済情勢というものが、ここで一つのシンギュラー・ポイントに達して円の切り上げというようなことが起こってくるのは必定であります。日中問題にしても、やはり久しく馴致されていたのが田中内閣の成立と共に俄然シンギュラー・ポイントに達したわけです。
然し人間というものは、シンギュラー・ポイントに達して、おやっと、これは大変だ、ということになっても早速にこれに対応する措置は中々取れぬもので、余ほど練達の人でない限りは、そのうちに何とかなるだろう、などと言うことでぐづぐづ時をすごす。処がシンギュラー・ポイントまでは案外時間がかかるけれども、一時シンギュラー・ポイントに達すると後のハーフは加速度で進行しますから、まだまだと思っているうちに手遅れということになりかねません。

10日 特に日中問題において然り

老獪でイデオロギーに長けた中国

今日の時局がやはりそれと同じであります。あらゆる面から見て、日本を取り巻く世界の情勢、特に政治情勢というものは、急速度で後のハーフが進行することは明瞭であります。そして、それに伴って色々の困難、違算、失敗が続出して大きな異変が起こり易くなると言うことは十分考えられるところであります。然し、今更過去の緩慢・怠慢を幾ら後悔しても何にもなりません。大事なことは早くこれに対する処置を取ることです。特に日中問題において然りであります。処が、相手はなにしろ始末の悪い共産主義政権であります。これは儒教から申しますと、最も嫌う権謀術数、即ち兵家(へいか)の学、具体的に申せば(そん)()六韜(りくとう)三略(さんりゃく)などの現代版が中心をなす考え方、老獪(ろうかい)なイデオロギーに()けた国でありますから、到底、アメリカのような民主主義国を相手にするようなわけには参りません。

11日 日・中の
国体・民族性の相違
元来、日本人はとかく単純すぎます。それは幸いにして日本が四面海をめぐらす島国であり、歴史的に万世一系の天皇を戴いて、同一民族、同一言語、一度も外からの侵略を受けることなく、平和と統一に恵まれて発達してきたからであります。ところが中国は全く正反対で、絶えず周辺の異民族の侵略・征服を受け、これに対して叛乱・革命をやるとう治乱興亡の歴史を数千年に亘って繰り返して参りました。だから中国は戦争とか謀略というものに大変に長じております。なかなか奸悪(かんあく)というか奸佞(かんねい)というか油断も隙もない人物が多い。
12日 「生」と「老」の違い

日本と中国の国体、民族性の違いを最も簡単明瞭に表せば「生」と「老」であります。日本は「()の文明」、「(なま)の民族」であるのに対して、向こうは「老の文明」・「老の民族」であります。老は年をとる、練れておる、なれておる、と言う意味で、善く言えば老練・老熟、悪く言えば老獪であります。

これに対する生は、善い意味に於いては「()一本」であるが、それだけに「なま未熟」であるという弱点を持っております。酒でも、向こうは老酒(らおちゅう)と云って、まったりと練れて、飲むほどにほんのりと酔いがまわってきますが、日本は灘の生一本などと申して、飲むと、きゅっときて刺激は強いが、その代わり醒めるのも早いのであります。

13日 日本人はぎくしゃくした所があります

とにかく、日本と中国とは前にも論及しましたが、あらゆる意味に於て実にはっきりしたコントラストをなしておりまして、勿論政治においてもその例外ではありません。中国の政治思想は「王道」でありますが、書経にはこれを説いて「王道蕩蕩(とうとう)」と言うておりす。日本人は蕩と言えば「放蕩」の蕩で、悪い意味に解しますが、中国では本来そうではありません。蕩には三つの意味がありまして、第一はスケールの大きいこと。第二は、よく練れている、なれている。日本人はこの点でよく誤解するのです。例えば、蕩人・蕩児などと言う語があります。これは一には良い意味で、よく練れて大まかで、スケールの大きな人間ということです。放蕩もそれから考えればよくわかります。第三は、これは少し悪い方の意味で、とろける、兎角、崩れてだらしがない、と言う意味でい。これに対する日本は「気骨稜々」と申しします。稜はかど、圭角で、日本人はぎくしゃくした所があります。「生」であるから新鮮で、刺激は強いが、それだけに角があって熟達、練達していないか危いところがあります。

14日 中国人は老獪

儒教は中国に発達したものですから、「王道蕩々」思想であることは言うまでもありません。論語にも「君子は坦蕩々」と言うてあります。坦は大道が真っ直ぐに通っているように平らかであるという意味です。大まかで鷹揚で、よく練達しているわけであります。然し、物事には必ず善と悪、裏と表の両面があります。蕩々が悪くすると老獪になる。つまり悪賢くなるわけです。
だから、日本人はあまりこういうことを知りませんが「笑中刀あり」とか、「腹中毒あり」というようなことが向こうでは当たり前のことになっております。
人間同士のつきあいにしても、日本人は嫌な奴だと直ぐ顔に出してそっぽを向いたりしますが、中国人は老獪で、仲の悪い人間に対しては却って慇懃丁重であります。そういうことを知らぬ為に、戦争中も随分日本は向こうを見誤ったわけであります。

15日 兵家の学問は
老獪な理法

処が、そういう事が極端に作用しますと、人間関係が険悪になり、闘争になる。その大なるものは戦争でありますから、所謂、兵法が発達して参ります。兵家の学問はこの老獪な理法・戦術の学問であります。孫子には「兵は(いつわり)を以て立つ」とはっきり書いております。また或る時には「利を以て動き」、「分合(ぶんごう)を以て変を為す者なり」と言うております。これが兵法というものであり、孫子に限らず呉子(ごし)六韜(りくとう)三略(さんりゃく)、その他あらゆる兵書を通ずるところの原則であります。

16日 相手を詐を以て誤らし、あらゆる手段で錯誤に陥れるのが中国の兵法

唐の太宗と言えば、唐朝建国の英雄であるばかりでなく、中国暦朝の中でも最も偉大な天子でありますが、その太宗と家来の李靖とのやりとりにした「李衛公問対」という有名に兵書もあります。その中に、太宗ともあろう人が堂々と「わしは、あらゆる兵書を勉強したが、要するに相手を詐を以て誤らしめる、あらゆる手段で錯誤に陥れる、この一語で十分だ」と言うております。中国にはこういう文献が沢山ありますが、そういうものを見ますと、中国の政治、或は戦争、政治戦の実体が本当によくわかります。、この一語で十分だ」と言うております。中国にはこういう文献が沢山ありますが、そういうものを見ますと、中国の政治、或は戦争、政治戦の実体が本当によくわかります。

17日 戦争及び政治の有力な原理

日本でも、戦国の武将はこれらの兵書を随分研究しました。日本ではこれを軍学と称し、山鹿素行なども有名です。武田信玄も軍略家・戦略家として有名であります。武田の旗印と言えば「風・林・火・山」で有名ですが、これはその原則の次にそれを形容した「其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く」の四句からとつたものであります。然し、本当は六句ありまして、その後に「知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し」と書いてあるのですが、長ったらしいので切ったわけです。これが中国では、今日もなお戦争及び政治の有力な原理になっておるのであります。

18日 深刻な政治戦・謀略戦

特に今日は戦争が兵器の発達によってだんだんやり難くなりました。核兵器なとせ使用すると人類の滅亡になりかねませんから、うっかり戦争は出来ません。そこで、これを背後の威力にするために、着々研究し整備するけれども、専ら戦争は政治戦でやっておるわけであります。国では平和だの友好だのと言うけれども、その実は深刻な政治戦・謀略戦であります。そうなってくると、日本は洵に不得手でありましても到底、老練な中国の敵ではありません。ソ連も同様です。こういう所にも今日の日本の大きな悩みがあるわけです。

19日 中国の歴史的変遷と人物 さて、その中国がそういう権謀術数の色々な歴史過程を経てゆくうちに、やがて春秋戦国の時代となりますと、然らば如何にしてこれと対応するか、と言うことが問題にされるようになって参りました。そうして、こういう兵学、つまり戦術・戦略・政戦・政略に騙されたり弄ばれたりしないと同時に、これを圧倒してゆくのは何かというと、結局は道徳より外にないと云うことになったのです。ここが大切なところであります。如何なる詐術・詐略・権謀術数も、やはり人間である以上最後は道義に勝てない、こういう結論に中国の先覚は到達したのであります。そして、それらのことを十分に踏まえた上に、修身・斉家・治国・平天下の道義的思想・学問・教養・人物を養うことを第一義として発達させたのが儒教であります。
20日 文武の功臣を全て粛清

これを地で行ったのがスターリンや毛沢東

その儒教を国教に採りあげたのが前漢の武帝や後漢の光武皇帝であります。光武皇帝は転覆した前漢を回復して、後漢王朝を開いたのでありますが、本当に男惚れするような人物で、英雄にして頗る道を好む人でありました。とにかく、大変な人物で、為政者・知識階級に思い切った儒教道徳、学問を奨励したのであります。その光武帝の道徳主義政治の効果により、後漢百年の政治社会は幾多の人材を生んでおります。例えば、一般通俗に知られておる人物では、「三国志」の名高い曹操、劉備、孫権の三大英雄であります。中でも一番の英雄は曹操でありますが但しこれは聖雄ではなくて奸雄です。中国幾千年の歴史の中でも奸雄の典型的な人物と言われるその曹操でさえ、武帝が鼓吹した儒教の影響の感化を享けて、どうしても自ら王室を倒して天下に皇帝を称する革命が出来ず摂政の位で甘んじたと言われるぐらいであります。それを引き継いだのが唐の太宗でありまして、これがまた大いに儒教による政治を行いました。その後乞食坊主から成り上がった明の太祖がやはり儒教政治をやっております。が、この人は、豊臣秀吉を中国流に鷹揚にしたような人物で、天下を取るまでは洵に英邁でありましたが、氏・素性が争えないというか、天下を取ってからはだんだん猜疑心が強くなって、これはという

その儒教を国教に採りあげたのが前漢の武帝や後漢の光武皇帝であります。光武皇帝は転覆した前漢を回復して、後漢王朝を開いたのでありますが、本当に男惚れするような人物で、英雄にして頗る道を好む人でありました。とにかく、大変な人物で、為政者・知識階級に思い切った儒教道徳、学問を奨励したのであります。その光武帝の道徳主義政治の効果により、後漢百年の政治社会は幾多の人材を生んでおります。例えば、一般通俗に知られておる人物では、「三国志」の名高い曹操、劉備、孫権の三大英雄であります。中でも一番の英雄は曹操でありますが但しこれは聖雄ではなくて奸雄です。中国幾千年の歴史の中でも奸雄の典型的な人物と言われるその曹操でさえ、武帝が鼓吹した儒教の影響の感化を享けて、どうしても自ら王室を倒して天下に皇帝を称する革命が出来ず摂政の位で甘んじたと言われるぐらいであります。それを引き継いだのが唐の太宗でありまして、これがまた大いに儒教による政治を行いました。その後乞食坊主から成り上がった明の太祖がやはり儒教政治をやっております。が、この人は、豊臣秀吉を中国流に鷹揚にしたような人物で、天下を取るまでは洵に英邁でありましたが、氏・素性が争えないというか、天下を取ってからはだんだん猜疑心が強くなって、これはという文武の功臣を全て粛清しております。これを地で行ったのがスターリンや毛沢東であります。

21日

スターリンは別問題として毛沢東は実によく明の太祖・朱元璋に似ております。彼も太祖のように貧乏小僧上り、革命の同志でこれはと思うものを次々と抹殺しました。然し、ああいう無理な粛清を重ねると、人材が払底し内政が混乱・不安に陥ることは当たり前でありまして、そのために中共政府は今、財政・経済が極度に窮迫しております。と言うて自力では解決できない。どうしても外債を借りて窮迫をカバーしなければならない。それが今まで罵詈雑言を加えていたアメリカに対する接近となって現れたわけです。処がアメリカのニクソンとしても、秋の大統領選挙を控えて何か大きなスタンドプレーをやる必要がある。それにアメリカと中国との間にはソ連・中国間のような深刻な問題がない。そこでニクソンの訪中となつたわけですが、流石に老獪同士のやり方であります。

22日

その後を受けて日本は生一本でのこのこ出かけて行って、まるで蝶々が蜘蛛の巣にでもひっかかっているようになっておる、と言うのが今日の実情であります。然し、こういう老獪な国を相手にして両国間の関係を打開しようというのには、余程こちらも練達・老練で且つ見識、手腕、度胸を兼ね備えた人間でないと勝負にならないことは明白であります。日本も少し善い意味で、即ち老獪ではなく老練・練達の政治、叉そういう政略・政策が欲しいものであります。

23日 利は義の和

従って、両国間の貿易にしてもそうです。財界人というものは事業が主でありますから、儲けさえすれば良いというので、そういう政治戦を無視してかかりますと、これまた注文通りにうまく運ぶ筈はありません。儒教では「利は義の和」であり、「義は利の本」であるという牢固たる信念・見識があります。如何にすることが義かということを積んで行って初めて本当の利を得るということです。そして利に()って(ほしいまま)行えば怨み多し」、利を主としてゆけば必ず矛盾衝突が起こると言うのです。そういう信念・見識が中国の歴史・思想・学問にはっきり現れております。財界人等の特に心得ておかねばならぬ点であります。 

24日 大初()の真理と(ゆい)(しん)維新の道

儒教はやはり我々にとって意義あり、価値あり、権威あるものです。然し、これを前世紀の骨董的思想・学問であるかの如く思う、まことに軽薄・浅薄な思想家も現在なお決して少なくありません。先日も或るイギリス文化の研究家が英国史上名高いニューマン枢機卿の「人はその終りの到らんことを恐るる勿れ。むしろ未だ曾って始めを待たずして終らんことを恐れよ」という名言を引いて、ここにイギリスの強みがあると言うて礼讃しておりました。つまり人間は、悪い終りになることを恐れてはいけない・それよりも、未だ曾って本当の意味の「始」、始らしい始を持たずに終わってしまうことを恐れよというのであります。正にその通りでありまして、我々は幾歳になっても「これから始めるのだ」という気持ちを失ってはいけません。

25日 (ゆい)(しん)の道の大精神

そもそも「大いなる始の心を以て好き」というのは、日本の古神道--(ゆい)(しん)の道の大精神であります。始めは、一日で言うならば朝・暁、一年でいうならば元旦でありまして、「元旦や神代のことも思わるる」とい名句があります。我々は常に始の気持ち、(たい)()(たい)(しょ)の精神でやってゆくことが大事であります。従ってニューマン卿に感激するならば、日本(ゆい)(しん)の道・古神道にも驚嘆の眼を開かねばなりません。それをカビの生えたような信仰・学問のように思う錯覚・浅解の者が現在の日本には余りにも多すぎます。

26日 孔子の偉大さ

儒教もまたそうでありまして、専門的に言うてこれぐらい深遠・広大なものはないのであります。せめて「論語」を本気になってお読みになれば儒教というものがしみじみわかります。と同時に孔子の偉大さも分って参ります。恐らく世界の偉人として歴史に伝わっている中で、人間として一番徹底した人、出来た人はやはり孔子ではないか、というのが世界の色々な学者達の一致した見方であります。ソクラテスにしても、非凡な偉人であることは間違いありません。然し何と言っても三十代の若さでああいう非命に倒れた人です。熟達とか練達という点において釈迦や孔子に較ぶべくもありません。

27日 釈迦も

その釈迦も仏教の開祖として実に偉大な人でありますが、然しその在世中に故国が滅亡するという悲劇を味わっておるのであります。その時釈迦のもとに、故国が隣国の侵略で滅亡に瀕しておるということが切々と伝えられたのでありますが、釈迦は動じなかった。けれども色々の経典を渉猟しておると、釈迦は毅然として自己の求道に徹したけれども同時に人間として、やはり故国・肉親が滅びゆくことに無限の沈痛・痛恨を抱いていたことがありありと伝わって参ります。

28日 孔子

その点、孔子は、本当に人間に徹した人であり、また従って人間教育、人間を養うことが理想政治の根本でありますから、政治に徹してそれに精魂を傾け、全身全霊を打ち込んで生涯を終った人であります。その孔子の面目が論語の中に十分と云ってよい程滲み出ております。

29日 孔子と曾参との問答 ()(いわ)く、(さん)や、吾が道は(いち)(もっ)(これ)(つらぬ)く。曾子(そうし)曰く、(はい)()()づ。門人問うて曰く、何の(いい)ぞや。曾子曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」 
30日 一以てこれを貫く

或る時、孔子が弟子の曾参に向かって「参や、吾が道は一以てこれを貫く」とおっしゃった処が、曾参は「はい、如何にも左様でございます」と答えた。そして、孔子はそのまま出で行かれた。外の弟子達には、さつぱり何の事か分らない。そこで曾参に「一体、何のことですか」と尋ねると、曾参は言った「先生の道は要するに忠恕である」。

31日 忠とは

「忠」とは中する心であります。人間が依って立つ現実というものは決して単純平易なものではなく、色々矛盾・撞着を含んでおります。その矛盾・対立を統一し解決して、少しでも高い次元へ進歩向上させる働きが「中」で、忠はその心であります。相対する両点を結んでその真ん中を中と謂いますが、これは平面上のことでありまして、本当の中とはそんな単純な意味ではありません。