田母神俊雄と石原慎太郎の対談から
欧米の植民地支配の実態
石原
――喰うか喰われるかしかなかった。日本は幸いに、喰う方になつたけれど、喰われた方がどれだけ悲惨だったか。
オランダだってインドネシアで何百万人も人を殺した。
イギリスもそうだし、アメリカにいたっては、フィリピンの独立を抑圧して、マッカーサーのお父さんが、あそこの総督をしていて、四十万人餓死させている。
そういう事実を彼等は謝罪もしないし「ギルティ」だと思ってもいない。
田母神
――私は歴史というのは、戦勝者が作るものだと思うんです。
石原
――まさにそうですね。
田母神
――日本は戦争に負けて、戦勝者側から見た一方的な歴史を押し付けられた。
戦後、GHQによって巧妙に、日本の社会の中に「自己崩壊システム」みたいなものがビルトインされて、アメリカが去った後も、それがどんどん増殖していくような形になっていたと思うんです。
どこかの時点で、「日本人自身の歴史」を、我々が取り戻さないと、どこかで衰退しちゃうと思うんです。
石原さんが言われたように、歴史の評価は相対的なものだとするならば、日本の方がずっと穏健な、朝鮮半島や中国大陸に対する対応をしたと思うんです。
石原
――私もそう思いますね。福田赳夫さんは、韓国の公式訪問を必ず最初にすると言ったけれど、結局大平さんに負けて出来なかった。
それで朴正煕さん(大統領)が国賓として呼んでくれたので私も一緒に行きました。
ゴルフをやった後に皆で歓談した時に、あの頃の韓国の閣僚はみんな兵役の経験者で、酒を飲んでくると勢いもついてきて、日本の統治に文句を言ってきた。
すると朴さんは、「まあまあ」と云ってなだめた。流暢な日本語でしたよ。
「私は世界で日本人はまだマシな植民地統治をしたと思うよ。実は私には経験があるんだ。私の家は貧農だから猫の手も借りたいから子供が学校へ行くのも嫌がった。処が、日本人がやってきて、子供を小学校に入れないと親を刑務所に入れるぞと脅した。親は嫌がつたけれど私は小学校に行きました。
すると、小学校の日本人の先生が「お前、良く出来るな。もっと上に行きたいだろう」と言うから「ハイ」と言ったら、上級の近代教育を受けたいなら師範学校に行きなさい。
師範学校に行ったら、またそこの日本人の先生が「お
前は優秀だなあ。この時代、先生も必要だが、やっぱり軍人だぞ」と云って軍人になるために、満州の軍事学校に行った。
そこの教官が見込んでくれて、「お前がここらいるのは惜しい」と云って市ヶ谷の正式の軍官学校へ行った」。
田母神
――日本では戦後、朝鮮半島や中国大陸、満州で平和に豊かに暮らしているところに日本軍が入っていった為に、彼らの生活がかき乱されたと歴史を教えていますが、全く逆なんですね。
石原
――朝鮮ま人達の本意が不本意かと言えば、本意ではないでしょう。でもあの時、朴さんはこう言いました。
「考えてみろ。あの時の朝鮮に力があったか。ほっといたら中国の属国になって、清朝はすぐ滅びてもっと混乱しただろう。清朝でなくロシアに統治されたら、北も南もないぞ。半島全体が共産化された」
WILL 田母神全巻より。