大衆の善導が必要

そして、大衆社会の現今、国家・大衆の善導のためにこそ、エリートが必要だと断言された。

大衆は、その場、その場、その日の生活、生活そのものの中に生きている。他人とか、全体との関係、国際的視野、未来への展望などの思想も見識も視野も持たない、大衆を放任してはいけない、大衆心理により動物的となり闘争、破壊、退廃の坩堝(るつぼ)へ陥ると言われた。

そのような大衆の為に、秩序を立て、規律を作り、混乱や破壊から救済しなくてはならぬ。そして新しい価値観や、未来への光明を与える必要がある。それには、真のエリートが必要だと言われた。このエリートが輩出しなくては社会や国家が大変なことになる。本物のエリートが出なくてはならぬのである。第二等までの指導者を育成しなくてはならぬ、この六観の法で洞察して欲しい。