王陽明とは

では、王陽明とはどのよう人物であったかを知らねばならぬ。陽明は、幼児から熱情的、曲がったことの嫌いな性格、青年期に結核となり血を吐きながら全身全霊で物事に取り組んだと言われる。明王朝の役人となるが、宦官の権勢とか横暴を批判し僻地に左遷された。陽明は僻地で役人に学を講じ民生向上に努めた。一方で、官学の朱子学の説く「(せい)(そく)()」を批判し、「心即理」の原理を主張した。「事物の中に本質はある」とする説を批判し「人間の心こそが一切の真理の根源」だとの原理を主張したのである。宮廷に帰った陽明は、この「心即理」の原理を講義して多くの弟子を育成した。だが陽明の思想は権力者から異端視され、地方土賊の反乱鎮定のため地方に派遣された。

陽明は、反乱軍との戦いの中で地方豪族を教化し見事反乱を鎮定した。

職務遂行にあたり、人間と社会にとり善い事を実行するという、知識と行動を一致させて絶大な信頼を得たのだ。これが「知行合一」の思想である。

陽明は、再三、再四に亘り、地方の強力な反乱の鎮定を実現した。