ギリシャに思う
ヨーロツパ文明の祖・ギリシャのパルテノンの神殿を初めて見た時、私には単なる廃墟にしか見えなかった。それに比し、恰も生きて見守っておられるような伊勢神宮、ここ百年の明治神宮の鎮守の森、ここらに民族の叡智が潜んでおるように思える。森の無い所に文明は無い。森は生命の源なのである。誇り高きギリシャ、5年前EU発足時に国の財務を偽って加盟した。そして今日までに金融支援33兆円に累積、今回の結末に至った。そして国民代表の首相のあの居丈高な対EUへの姿勢には驚嘆する。日本人の通常の感覚では在り得ない。歴史的にこのギリシャにはかかる債権者泣かせの通弊がある、1829年の独立から現在までの半分の期間はデフォルトか支払い遅延にある。危機には先ず実態を直視する。大企業でも極限に追い込まれたら不用な不動産等を思いっきり処分し従業員にショックを付与しつつ本気で再生を企るのが危機の要諦である。あの高名な銀行でさえ本店ビルを売却した。
ギリシャに欠けているのは、SELF HELP、セルフ・ヘルプ即ち「自助」の精神である。「天は自らたすけるけるものを助く」は永遠の真理である。EUの場合、政治的意思は各国にありながら通貨・EUが盟主・ドイツに不当に有利になっておりその悪影響をギリシャが受けている問題点はあるが、それならギリシャの首相は、その前提に立ってギリシャ国民の生存対策を合理的に樹立しなくてはならぬ。虚偽の財務で加盟した態度こそ元々自立不可能であったとすれば悲劇は自ら招いたものであると思える。いずれにしても、基本的設計図が間違っていたら破綻は時間の問題。日本も以て他山の石としなくてはなるまい。
徳永圀典