企業経営と哲学
近年、企業の過失を謝罪するトップの言葉を観察して強く思うのは、「かかる過失を起こし企業として恂に恥ずかしい」と言わぬことである。それを突き詰めると「企業が哲学を喪失した」ことにあると指摘できる。利益至上主義、成長主義の結果であろう。昭和時代までは企業経営にはそれなりの哲学があり、その伝統を受け継いだ職員がいたが平成に入り急速にそれらを失い、上述のようなトップ発言になったのであろう。
私の勤務した世界最古の財閥「住友財閥」には「苟も浮利に趨り軽進すべからず」がある。
その古法を我々は大切にしてきた。それは定年退職後にまで及ぶ、否、その求心力は終生続く。
住友グループ各社・部店長以上一部の者は退職と同時に住友老荘会員となり、年数回集まり交友し、京都東山の住友有芳園、園内物故堂、泉屋博古館を参拝し見学、最後は住友家菩提寺の京都嵯峨は清涼寺のお墓にお参り、住友家から粗菓を頂戴する等々、住友精神の涵養を伝承したのである。
住友銀行退職者は毎年、全国各地に参集し交流を深めている。
これらを総括すると「創業の古法」即ち創業哲学の伝承であろう。現在の企業を俯瞰するに、物わかりのよい上司ばかりではなかろうか。「伝統に沿いきちんとやる」ことを指摘する企業哲学・規範を教え込む者がいなくなり、精神性の無いマニュアルという表面技術的なものに依拠し企業哲学喪失へと拍車され哲学不在となっているのではないか。利益と平等主義のみ強調され真の企業エリートが居なくなったのであろう。
企業は倫理哲学を確立しないと社会的責任を果たすまでには至れないのではないか。
徳永圀典