大過なかるべし 徳永圀典 論語 述而篇第七の六・・ 五十にして以て易を学ばば、以て大過無かるべし。 易を学んだ契機は安岡正篤先生との出逢いであった。 易経は大自然の法を含蓄を以て解明した哲学であると納得した。 容易に理解できるものでもなく挑戦して50年となる。 易を知るものは卜.ぼくせずの先生の言葉を守り、筮竹.ぜいちく、 算木.さんぎ等は 持っておるがやらない。 ただ一度、還暦の現役引退時、 己を卜.ぼくしたら「地天泰」の卦が出た、これ以上望むべくも 無き卦であり 以後卜さない。 「地天泰」の卦は 外が陰、内が陽、活発な健康力を持ち、外は控え目、 才能に富み、満々たる迫力を持つが外へ表わさず 穏やかに保っている 相である。 当時、これ以上の「卦」は無いと感激した! トインビーが 西欧原理で行き詰まり東洋哲学、中でも易により開眼した話がある。 これを私流に言えば、 易は森羅万象の混沌に生じ成長し繁茂し衰微衰滅するものの 過程を卦で表わすが、 六十四卦の最後は「未済」みさい、である。 未だ済まず、無終、むしゅうを意味し大自然の無限循環を示す。 これは大自然の原理だ! 安岡先生が昭和52年5月から昭和54年2月に亘り易学を幹部教育の 一環として近鉄㈱で講義され、 その草稿本を私は手に入れて 再三再四熟読玩味し 私の人生観は根本的な影響を受けた。 古来、日本では一定の年齢に達し人生経験を積むと、究極のものとして 道元禅師の「正法眼蔵」そして「易経」に関心を抱くのが 知性と志を持つ者の常であると言われた。 両者は極めて難解、私の正法眼蔵はしかんたざ「只管打坐」・ 「身心脱落」、しんじんだつらく脱落身心、脱落々々」程度で休憩中、 難解極まりない。 易は安岡先生のご講義もあり、厳粛な易の理法と無限の創造変化を 学んだがこれも至難、途上である。 易は至れり尽くして「変化の理法」を説く。 ドイツの哲学者 シュペングラーは「西洋の没落」で、 人類の歴史は文明を開花した民族の栄枯盛衰の 歴史だと喝破し 近代欧州文明も既に黄昏、その滅び去るを煩悶、打開の道を 開いたのが易学。易により彼は窮地を脱し活眼を啓、ひらいたと言われる。 窮すれば変ずは易の哲学・「未済、みさい」でる。 世阿弥の風姿花伝、ふうしかでんに語るものの成長の流れと似ている、 要するに造化の自然の流れである。 人生、自然に行き詰まりはなく永遠の創造により 人生を日々に新たにする ことが大自然なのである。 生まれ 成長し 極め 枯れ 衰微 やがて大自然に化す。 これが厳然たる真理である。 人間とて例外でない、それで良いのだ!! 易の最初の卦は 乾、けん。乾の総論は元亨、げんきょう利貞、りていの 四徳だ。 宇宙、人生、天地、人間を四徳目に要約し、 「天行は健なり、 君子以って 自彊不息」じきょうしてやまずだ。 天行、てんこうは健やか、天の歩み、万物生成化育の働きは 止むことなく、その徳をうけた立派な人間は自ら務め励み 一刻も休むことなく修養努力するという最高の卦である。 元の字がそれを総括する、元は「二」と「儿」から成り二は上の古文字、 儿は人が歩く活動を表わし自然と生物を要約した文字。 万物一元に帰す、時間的には「はじめ」、立体的には「もと」、 部分に対する全体、小に対する大、万物を創造育成する大きな力が 元である。 元気という言葉は人間の全体的な活力、生育の力で究極的なものは 太極たいきょく、これが大元である。 これに気をつけて元気、易から出た言葉だ、 人間、 元気がなければ何も出来ない、人物たる最高要件である。 命、めいは必然の作用を表わしそのもの自体は絶対。 人生は大自然の創造、進化の一つ。創造、進化して巡る運命は 動いてやまぬ、 固定的な命、めいは宿命。 大自然と人生は大いなる化、け、 化の根底は不変、不変がなければ 変化は生じぬ。 創造進化の原理に基づき変化してやまぬ中に変化の原理、原則を探求、 それに基き人間が意識的、自主的、積極的に変化していく、これが化成である、 人間が主となって創造していく。 動いてやまぬ創造、進化の中、動きの取れぬ宿命観に陥らず 「運命の理法」を探求し解明し、大自然あるいは宇宙、神、 そして 人間の思考と意思に基き自己の存在、生活、仕事を創造して行くのが「立命」。 運命は大きく分けて宿命観と立命観となる。 創造・進化には厳粛な理法あり、その理法に基づき造化と同様に限りなく 自己を創造、変化、即ち化成していく道、 その原理を説いたものが易経であり安岡教学の立命の活学である。 だが、生きねばわからぬ。 わかるとは生きることだ。 運命に順、したがって運命がわかる。 その運命は不断の化、けであり大化である。 その数理を学び、生きて化してゆくのが易学であり安岡教学の教えである。 令和7年2月19日 95翁 徳永圀典 大自然の存在物は、いかなる微物も、その本質、能力がどれ程かは量り知れず容易にわからぬ、 限りなく微妙である。人間を含め、万物にいかなる素質能力が伏在しているか、 それは偉大な課題である。 この歳になると大自然、天地、宇宙、虚空のあらゆるものに無駄はないと知る。 いかなる存在へも、慎みと敬を以て相あい対峙たいじし、 あいまみえるのがこの生享うけしものの根源的姿勢でなくてはなら