取木鶏会 二月例会  徳永圀典

1 歴史の鉄則

ナショナリズムを失った国は必ず滅亡する。

戦後80年、現代日本人から国史が消えている。

由々しきことである。

韓国は正に然り。今回の騒動の裏にシナの妄動があると言う報道があった。

日本も政権党の自民党にもシナの手が相当入っている。韓国の事は他人事ではない。

 

2 韓国歴史を考える

明が朝鮮と最初に言い始めた。シナへの貢物が少ないから「朝貢鮮少」から朝鮮となずけたとの説もある。史実としては、紀元前1世紀、司馬遷の史記に朝鮮と書かれている。シナサイドからの呼称であろう。

新羅、高句麗、百済と言われ朝鮮は忘れられていた。

1392年、実権を握った李成桂は当時の明国洪武帝に王朝の名前を下賜して欲しいと使者を送った。

そこで決定したのが朝鮮。国号ではない。明の一諸侯に過ぎなかった朝鮮王は陛下ではなく諸侯に過ぎない。だから毎年、シナの皇帝に多額の金銭物品を貢がねばならぬ。土地が痩せて貧相な国だからシナの求める金銭や物品が不足しており若い美女が送られた。

このように隷属関係あったシナへの隷属関係を断ち切ってあげたのが日清戦争です。

日清戦争に日本が勝利した。下関条約である。

それで日本は韓国を対等の独立国として

「日朝修好条約」を締結した。

その第一条にこうある。

朝鮮国は自主の邦にして、日本国と平等の権利を保有せり。

朝鮮史上初めて韓国王を皇帝にしてあげたのは日本です。扱いはシナと大違い。

日本は明国と下関条約1895年にこう記載してある。

第一章         清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。よって右独立自主を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼は、将来まったくこれを廃止すべし。

 

保護者が懇々と悪のガキに諭すようにしてあげたのだ。韓国は日本にこれだけでも永遠に感謝しなくてはなるまいに。

この時、さすがに朝鮮の国民は非常に喜び、過去のシナへの隷属のシンボルデあった「迎恩門」を取り壊した。

迎恩門とは、朝鮮のシナ隷属のシンボル。シナの勅使を迎える為の門です。

朝鮮の王は、シナの勅使が来るとこの門で迎えた。

そして三き九叩頭の礼で迎えたのです。

そしてこの門を取り崩し「独立門」を建てました、1897

だが、朝鮮人は、日本から独立した記念と間違えて思っていると言います。わざと混同しているのでしょう。

日本が朝鮮半島に介入したのは、南下したロシアが韓国の腐敗した皇后の閔妃、ロシアに急接近し、高宗はロシア大使館に保護され独立派を一掃し大韓国皇帝と自称するなどした為。日本はロシアと衝突することとなり日露戦争へと進むのはご承知り通りであります。

歴史は繰り返す。北朝鮮。そして韓国の現状は、歴史を繰り返しているのであります。

無知で、戦後の国史喪失。平和ボケ80年、国家観喪失日本。歴史は繰り返ししています。

   令和723

     徳永日本学研究所 代表 徳永圀典