72日 内面的に徹する

 近代の人は、楽しみというものは都会でなければないように思うが、本当の楽しみというものは田園にある。また無欲恬淡でないというと田園にあったところで、忙しいせかせかした人間になる。本を読むことには真実の趣味があるが折角の誦読(じゅどく)、読書も熟読玩味しないとただ野卑な人間におわってしまう。山水というものは真実に賞することができる。しかしその山水を本当に解しないというとただの漫然たる遊びになる。詩を吟ずる、歌を詠ずるということも得るところはあるけれども解脱しないというとマンネリズム、型のごとき陳腐なものになる。結局我々が如何に内面的に如何に徹するかということが問題である。  暁鐘