近江聖人

中江藤樹は、陽明学を実践した第一人者であろう。藤樹は、武士であったが、敢然として武士を辞退した。武士のシンボルの刀を売り、その金で小さな酒屋を開いた。また貧しい村人に低利で融資した。そして「真の人間として、いかにあるべきか」と自らに課して修養し、村人たちにも講義し教化した。


藤樹は「人を信じる」ことが厚く、講義中に酒を買いに来た者には自由に酒を量らせ、お金を置いていかせた。また店頭にいる時、買い手に応じては、「お前は余り飲まないほうがよい」とか「お前はこれくらいがいい」とか言った。村人は藤樹の人徳に心服し、自然とその徳に感化されていった。近江小川村周辺では?や詭弁を言うものは一人もいなかったという。近江聖人と言われる所以である。江戸初期の儒学者であり、日本の陽明学の始祖である。伊予の大洲藩加藤家に仕えた。母親への孝養の為に辞職を申し出でたが許可されず、脱藩して近江に帰郷し講学に努めた。当初は朱子学であったが、陽明学に転じた。弟子に熊沢蕃山がいる。