大塩平八郎

大阪町奉行の与力である。吟味役として民生の向上に業績を挙げて名声を得た。1793-187、江戸時代後期の儒学者、号は中斎。大塩平八郎の乱で有名、天保8年、大坂で平八郎らが起した挙兵と反乱、これは前年に天保の大飢饉に際し、平八郎らは大坂町奉行に献策をする一方、自分の蔵書を売り難民を救済した。然しも無為無策の大坂町奉行、飢饉につけこむ豪商等に憤慨して、同志らと挙兵した。大坂の町の豪商を襲撃し、米や金を農民に与えた。だが一日で鎮圧され、後に平八郎は自決した。著名な学者であり旧幕臣であったことから事件の影響は大きく、生田万の乱の引き金となり幕府体制を揺るがすことになった。