儒教が喧しいー思想に就いて

ケント・ギルバード、ヘンリー・ストーク、黄文雄、いずれも儒教のせいで韓国も中国も、不幸であり知的普遍性に欠けると本に書き、ベストセラーズになっております。

 

それは、中国と韓国の儒教による事大主義、己を高しとする態度、が近代合理性、人権平等主義に反すると視ておるからでありましょう。

 

さて、話題は転換します。

人間とは普通、一つの思想を信じている。

思想は、人間を生かし、人間に希望を与えるものである。

 

だが、その思想が時代遅れになる時、思想は人間を生かすどころか、人間を殺す、或いは滅ぼすものになる。

これは多くの人間が、持っている思想の為に「死に」、あるいは「滅んで」おります。

 

それは個人のみならず、氏族や国家も同様であります。

つらつら歴史を想起しますと、

ある氏族は一定の思想と役割を持ち歴史に登場する。

でありますがその氏族の思想が古くなり、その古い思想を必要としない時代が来る、その時、その氏族は滅んでいます。

 

日本の古代史を見れば端的な例があります。

物部氏、物部氏は、神道と武力を持ち朝廷に仕える豪族でした。当時は神道のマジナイを中心とした神道が古くなって行く。

この時代、新しい文化的宗教である仏教が日本に入ってくる。それを蘇我氏が取り入れた。

ここで、まあ一種の宗教戦争が起きたわけです。

やはり新しいものが勝つのです。新しい当時の国際宗教と申していいでしよう。古い国民的宗教の神道に勝利してしまう。

だから物部氏は、いうならば古代神道と共に、「つまり一つの思想」と共に滅んでいったと言えます。

 

蘇我氏に於いても同じことが言えます。

蘇我氏は仏教の保護者でした。古代最大の宗教戦争である「物部氏との戦い」に勝利した蘇我氏、政治的実権を一手に収めます。仏教立国の理想が着々と実現されてゆきました。

この理想に応じて現れたのが聖徳太子です。

だが、蘇我氏の仏教立国が聊か行き過ぎたのであります。

日本には、古くから土着の「神々の権威」が残っていた。

この古い神々が天皇の権威と強く結びついていた。こうした神々を否定したことは天皇の権威を否定することになります。

古い神々が天皇家の人々と共に立ち上がったのは当然でした。神々の巻き返しです。

日本書記が語るように、物部氏を滅ぼしたのが新しい神である仏の祟りとすれば、蘇我氏を滅ぼしたのは「古い神々」ということになります。

 

こうして古代日本を代表する二つの豪族、物部と蘇我氏は共に滅び「天皇親政の世」がきたと言えるのであります。

 

一つの思想が栄え或いは滅ぶ姿を描写してみました。

 

近代では、共産主義という思想、イデオロギーはソ連崩壊で終止符を思想上では打っていると言えます。

 

ここで「徳永圀典の宗教イデオロギー論」によりますと、古代の思想、儒教も同様であります。世界を見渡しても古代から中世、そして現代も欧州そして中近東と宗教戦争ばかりじゃありませんか。

古い思想を信じたままでは危険過ぎるということに至るのであります。日本の神道は大自然の原理と同根でありますから絶対間違いないことになると帰結するのであります。

         徳永圀典