アメリカと中国を考える
アメリカと中国の出会いは幕末のペリーより70年古い1784年です。米国船「中国皇后号」が広州へビジネスであり清国は受け入れています。
船主はアメリカのワシントンとかジェファーソンと並ぶ米国建国指導者の一人のモリスでした。
中国から米国への大量留学は1901年に遡る。
あの義和団の乱、日本も欧米も酷い目に合わされた。これは列強即ち欧米と日本に対する農民の排外運動ですね。
義和団の乱で日本も欧米も賠償金を清国から貰ったのですが、アメリカは賠償金の一部を中国人の米国留学費用として使っています。これはアメリカの「徳」となるのですね、敵対だけでは無いものが残っていました。
この米国の費用で、米国留学生の為の英語予備校が中国北京の名門大学・精華大学であります。
処で毛沢東は20世紀初頭、米国に留学した知識人・胡適を通じて哲学者デューイの実用主義に傾倒しております。
毛沢東は当時から、列強と異なる米国のモンロー主義、相互不干渉や門戸開放に共鳴していますが習近平は毛沢東崇拝者です。
これこら以後ニクソンの訪中1972年まで、対中封じ込め時代を除きまして、米中関係の基本は、「通商優先の共生」のように思えます。
グローバリゼーションの今日、両国の経済的な結びつきは益々強化されています。
トランプのブレーンのナバロとは真反対の見解となるのですが、まさに「米中の未来は、両説の間で激しく揺れています」。
その谷間にいるのが日本、外交も安保も、であります。
トランプは、経済中心、脅しとハツタリも金次第で転換していますね。
安倍総理は、6月に入り中国の「一路一帯」に理解を示しました。トランプの動向の保険と言われています。
どう進むのか知れませんが、米中の握手の予防線と思われます。
1905年、「桂・タフト協定」があります。
日露戦争末期、明治37年頃、桂太郎総理とアメリカのウイリアム・タフト陸軍長官の交わした密約です。
それは、
米国が日本の韓国併合1910年、を黙認する代わりに、日本はアメリカのフィリピン支配に口出しせぬ、との取引でありました。
日本は、韓国併合を、足掛かりにして中国へ進出、アメリカも植民地支配に参入しました。
これが、今日に至る「中国と韓国の対日不信」の根拠と言われます。
フィリピンのドゥテルテ大統領の反米の根拠となっています。
キッシンジャーの秘密外交で日本はショックを受けました。
1971年、中央公論で、
「少なくとも日本とは違う関係が、アメリカと中国との間には存在する。今も予測は難しい。アメリカの出方に関わらず日本は東アジアの和解に努める時ではないか」と主張した松尾文夫という人間がいました。
今年5月日本記者クラブ賞を貰った松尾文夫83歳ですが、
彼は「米中は平和共存、少なくとも戦争回避である」と言っています。
傾聴に値する意見でもあります。
難しい局面、安倍総理、どう舵取りするのか。
日本の立ち位置は難しい、その重責を担える存在は、現時点では安倍総理を措いてない。
国論の一致団結こそ国難には不可欠なのでありますが・・・・・。
平成29年7月1日
鳥取木鶏会 会長 徳永圀典