はじめに
伝記作家の小島直記、彼の本を読んだ時に強烈な印象を受けた話がある。小島が平岩という東電の社長で財界の大物と酒席を共にした時、誰のどの作品が好きかと聞くと、平沼は、メリメの短編傑作「マテオ・ふぁるこーね」で年端もいかぬ自分の倅が、ダークサイドの道徳を犯したと云う理由で、父親が自らの手で銃殺してしまうという厳しい内容。
小島は、この一言で平岩が好きになったと言う。
その厳しさを通じて、魂のバイブレーションを観じあったのでありましょう。こんな話が最近は無くなった。
それは、お互いが、人生に対する、内的厳しさを心の底に持っていたからでありましょう。
「人生、一知己を得ば、以て恨なかるべし」である。
これは、人生の勝負どこでもあります。
中々、然し、「一知己」は滅多に得られるものではない。
東京裁判で無実であるが釈明と弁明をせず死刑となった広田弘毅元首相、城山三郎著「落日燃ゆ」には感動しましたね。
こういう相互に感動を共にする、共鳴振動しあうのは人間の気質が同じからでもある、物事の達成とか事業とか仕事の成功する大きな要員は正に天来の裳のと痛感するのであります。
人間的魅力も又、好きか、嫌いかの二者択一でありましょう。
その基準をどこに置くか、私なら、
人間である以上、なくて七クセ、と言われる程欠点は多い人間。だが、同じ欠点でも、許せる欠点と、許せない欠点がある。
許せない欠点とは、それは人間が卑しいということだ。
品性下劣な人間、これは容赦なく嫌いな人間に分類する。
なぜなら人間と動物の違いは、
尊敬する気持ちと恥を知ることの違いであります。
特に、廉恥心を失うのは人間として一つの資格を喪失することただからであります。
私は、出処進退、作法を重んじる。
平成23年7月4日
鳥取木鶏会 代表 徳永圀典