没落をおそれることはない 井上章一 

私は京都の近くで生まれ、育ちました。もう半世紀以上にわたり、この街を眺め続けたことになります。

そして、日本が衰え行く今、敢えて言うことにいたしましよう。 

京都にも、昔は輝いた時代がありました。全国の富が集り、様々な文化を育んできたのです。

しかし、千年を越える歴史の中で、いろいろ辛い目にもあってきました。今は、首都の座を東京へ譲り渡し、一地方都市になっています。

ですが、京都に住んでいる人々が、さほど不幸だとも思いません。街としては華やぎがなくなりました。さまざまな指標も低迷しているでしょう。

でも人々は誇りをもって、持ちすぎているくらいですが、暮らしています。

没落の先輩として言い切りましょう。

没落をおそれることはありません。大切なのは、どうやって没落していくかという処にあります。

都市であれ、国であれ、一度栄えたところは必ず落ちてゆくのです。

そのことを、必要以上に怯えることはありません。

願わくば、ゆとりを持って堂々と落ちぶれたいものです。

まあ、日本は落ちてゆくことに、まだなじんでいないのでしようね。ヨーロッパへでも出向いて、先輩を見ならってはどうでしょう。手近に、京都を手本にするという手もありますよ。いかがですか。 

実は、京都もそれほど威張れもしないのです。明治の東京奠都(てんと)に際しては危機が叫ばれました。このまま放っておいたら京都は奈良になってしまう、と。今の日本と同じで怯えていたのでしょうね。 

でも、今、奈良で暮らしている人が特別不仕合わせなわけではありません。奈良になって何が悪いのでしょうか。京都も今は奈良への途中を歩みつつあります。日本も、こちらへいらっしゃい。