鳥取木鶏研究会 平成21年7月 易 レジメ
個人生活から次第に社会生活に進みますと、色々の意味で似た者が集まる。例えば、同じ学校を出たとか、同じ職業に従事しておるとか、或いは志を
同じくする等によって集まります。
これが「同人の卦」であります。第六講でも述べましたように、今日のこの席も近鉄の同人の卦であります。互いに手を携えて行くと社運が隆盛するという意であります。
この席にお集まりの人々が共同されますと、そこに個人の持たないエネルギー、即ち色々の意味の力と内容を持つようになる、これが「大有」であります。
処が、多くの人が集まり勢力も出来ると、兎角人間は、よい気になるものである。そこで次に「謙」の卦を置いて戒めております。即ち盛運を抑制して、永続する努力をせよと教えているのであります。
一貫した勢力が行われ、発展隆盛しますと、のぼせるというか、つけあがるというか、よい気になります。その時によく反省をして謙遜でなければならぬ、教えるのがこの「謙」の卦であります。
易の六十四卦は、夫々私達に、戒めの言葉を与えてくれますが、中でも内外六爻(こう)を通じて、凡てよい言葉を連ねてあるのは「謙」の卦だけであります。そういう意味で、この卦は非常に美しい、円満な卦であります。
謙 その二
人間も謙遜な人というのはゆかしいものです。殊に知能、才能、徳義の優れて立派な人程、謙遜であるとゆかしい。少し才能とか能力或いは金力があるとそれをひけらかす人がありますが、これぐらい浅ましいことはありません。
反感と軽蔑を覚えます。然し、人間というものは情けないもので、一寸成功すると、すぐ偉らそうになり、女房子供まで威張りちらす。そういうことが一番よくないと痛い程の教えであります。
同人が大有になり、謙の徳を養うと「豫」の卦が出来る。豫はあらかじめという字であります。
言い換えますと、先が見え、準備ができる。つまり余裕が出来るのであります。余裕が出来ますと物事を楽しむこともできる。そこで豫の字はたのしむとも読みまして面白い卦であります。
ゆとりが出来ると、人々が魅力を感じてつき随ってくる。人ばかりではなく天下の万物、金までつき随ってきます。これが隨であります。
この時に大事なことは、好い気になって共に遊んでおってはいけません。時がくれば退いて有益な書物を読んで自分を修めなければなりません。でないと、とんだ問題を生じ易い。そこで易経も次に「蠱」の卦を配して戒めています。
蠱は木皿に虫がくっておるという字で、腐敗、壊乱を意味します。厄介な障礙を排除して進まなければならぬことを教えております。
謙から豫、隨、そして蠱へ進む、易の配列は、憎らしい程機微に通じ、勘どころを押さえた、至れり尽くせりのものでありまして、しみじみと感嘆致します。
余裕ができると、人も金もついてくる、すると悪い虫がつく、そこでこの悪い虫、即ち障礙や難事をよく排除すると又新しい天地が開けて喜ぶことが出来るという卦であります。
私達が何げなく「それじゃ臨席します」と言いますが、あれは誤りです。易からいうと、臨は、その人が出てくれることによってその場が大いに華やかになる、値打ちが出るという意味でありますので、人に対して「御臨席を願います」というのはよいが、自分が臨席するというのは不当、無礼であります。
よく修養して人格の出来た人が現われ、座につきますと、参列の人々が粛然としてこれを観る。これが観であります。観に二つの場合がありまして、一つは俯瞰と言って高い所から見わたすことであり、他の一つは仰観と言って下から仰ぎみることであります。
また、観世音の観などというのは、大変よい文字でありまして、これはただ見るのではなく、心のこもった、精神の高まった心でみるという観であります。この卦は、自らを修めて人の範となり、人々から仰ぎ見、慕われるようにならなければならないという戒めの卦であります。