徳永講話 7月  鳥取木鶏会

1.  神道の戒名

徳永圀(とくながくに)(すけの)(みこと) 徳永圀(とくながくに)(すけの)(みこと) 

 「命を知り、命を 立つる人を「みこと」と言い

  「命」という字を使う。

  このような人は尊い人だから「みこと」また尊とも書く。

 日本人の祖先はみな「命」であり「尊」である。

 日本の神様はみな「みこと」である。

2.  ついでですか、命。いのち、とは「一刻、一呼吸、一呼吸ごとが生命であります。一呼吸が生命で生命は常に変化している。宇宙の本質は「変化」であります。造化であります。我々も常に進化してゆかねばなりません。一刻の停滞も生命に反するのであります。

3.  世界で一番ぶれないのが日本歴史

 世界から日本は「万邦無比」と言われた。易姓革命の中国とは違う。市民革命後に王政ができ、それから共和制へ移行した欧米諸国とも違う。

 韓国は戦後70年前にできた国、中華人民共和国は1949年に過ぎない。

 日本は主体性が強い。

 遣唐使を中止して以来、自由意志により鎖国と開国を繰り返している。これは中々、どこの国でも出来ることではない。韓国を見ればよく判る。

4.  オランダのことを想起した。

台湾はオランダ所有の時もあった。戦前は、オランダは世界一の植民地保有国――インドネシア。

短い期間だが世界の覇権国ともなった時期がある。

オランダと言いますが英語ではネダーランド、ネーデルランド、要するに低地の意味であります。

海面より低い小さな国でありますが、植民地大国であった。なぜでありましょうか。オランダは世界進出の尖兵でした。日本は徳川時代の鎖国の時は長崎だけ開港して出島にオランダのみ交際していたのはご記憶がありましょう。

ヨーロッパ大陸にはライン川、マース川のデルタ地帯の低地が現代まで重要な役割を果たしてきています。内陸と海域の交易が盛んでした。16世紀にいち早くオランダがヨーロツパの経済や文化の中心になっていたのです。16世紀オランダのアムステルダムは世界の金融・貿易の中心地でした。海外への進出が早かった。国境を越えた所謂「大航海時代」の尖兵でした。17世紀にはオランダの世界進出が始まった。大商船隊を繰り出して南アフリカ、インド、東南アジアに植民地を獲得したのです。この時期に台湾もオランダの植民地でした。37年間、17世紀です。徳川幕府がオランダだけ開港したのが理解できますね。

17世紀にオランダは黄金時代を迎えていた。だが、17世紀後半から18世紀になると、スペインそしてイギリスと覇権国家が移行しますね。

オランダの首都はアムステルダムですね。それでオランダがアメリカに作った、自分国の首都の名前を使って植民都市「ニューアムステルダム」です。がイギリスに奪われて「ニューヨーク」になったのです。オランダは後発のイギリスに次々と貿易拠点や植民地を奪われていきます。

最後に残ったインドネシアは日本の敗戦により独立しました。オランダは一小国になった。

5.  宗教改革

 ヨーロツパの歴史に宗教改革というのがある。マルチンルッターです。16世紀です。これでキリスト教はカトリックとプロテスタントに分かれた。私は昭和21年頃は熱心なキリスト信者、東京赤坂の霊南坂教会の有名牧師に洗礼を受けていた。東京山手教会創立者です。この宗教改革で欧州の中世は崩壊した。宗教というのはいつの時代でも難儀なものです。12世紀頃はイスラム世界が欧州より先進国であった。現在も世界各地で宗教に根ざす紛争が絶えない。

欧州では、人間はローマ教会を媒介としなくては神と交流できなかったのです。ルッターの宗教改革でそれが聖書を通じて直接神と対話可能になった、プロテスタントです。これでヨーロツパ政治は宗教権力から解放された。これが近代化を促進する、オランダが真っ先に繁栄してゆくのはプロテスタントの一派がオランダを建国したからです。カルバンです。