命を大事にする国を 柳田邦男 作家 

1.   民主党政権に失望するところは多々あっても、「何も出来ない政権」と言う一刀両断の設問では、死臭に群がるハイエナの噛み付きに過ぎなくなる。

出来ないこと、出来ていることをキチンと分けて論じないと、議論そのものが生産的でなくなる。 

ちなみに、国民の命の日常的危機管理に欠かせない様々な事故・災害の原因究明と対策に被害者の声、視点をしっかりと位置づけすると共に、被該者支援も公的課題にして、安全・安心な社会づくりをしていくという画期的な取り組みが、この二年間の間に積極的に進められるようになっている。これは自民党長期政権下では排除されてきた問題だ。 

これに対し、集中砲火を浴びせられている領土問題、沖縄問題、財政危機、と消費税、少子化高齢化対策等々の問題は、何十年前からまさに政治が日本の未来に拘わる問題として、戦略的に取り組むべき課題だった。

それがここにきて、同時多発的に政治イッシューとして炎上したのは、それらが遂に構造的破綻の局面を迎えたことと、国際環境の激変(帝国主義の時代さながらに国々がエゴむき出しにする時代の到来)、というダブルパンチを受けたからだ。 

四分五裂しつつある政党・政治グループのどこが、政権の座に就こうが、世界史的な大転換の中では、ずばっと解決という期待を持てるほど容易な状況ではない。確固とした展望を示している政党もない。

誰が総理になっても、足の引っ張り合いに終始するだろう。

政治が真に機能するには、他者を攻撃することによって存在感を示すのでなく、当面の苦難を転換期の試練ととらえ、状況を徹底分析することを通して、10年後、30年後、50年後の日本の姿を描く戦略を打ち出す政党が出現するしかない。理想を示さない政治は真の政治ではない。 

メデイアも、権力闘争の「政局」報道に明け暮れないで、政治家と国民に考えることを促す「政治」報道にこそ力を入れるべきだ。 

2.   日本を五里霧中の状態に陥らせたのは、政治・行政が経済を絶対的価値基準にして、1990年代にアメリカの弱肉強食につながるグローバリズムと新自由主義を無批判に受け入れたこと、人間性破壊の派遣労働を原則自由化したこと、2000年代になると、人間への負の影響に対するアセスメントなしに、IT革命を猛烈に進めたこと、地方の衰退を加速させたことなどによる社会の構造的な破綻以外の何物でもない。

 この際、日本の最高の識者を集めた、日本のあるべき姿を考える一大国民会議は作れないか。 

3この国の未来につなげるべき財産の筆頭は、「命を大事にする心」だ。戦争を体験していない世代が政治を動かす時代になり、命の重さを身体で感じないで理屈のレベルでしか考えない政治家が大勢を占めていることを、一昨年夏、脳死問題や水俣病問題の国会審議を聞いて感じ、愕然とした。

その伝で、戦争の是非を論じられたのでは、たまらない。

(1)         戦争の惨禍に露呈される非人間性を国家として伝承する、

(2)         経済的繁栄の陰で生じた公害・薬害・事故・災害等の負の遺産を安全・安心社会建設の基盤として伝承していく文化を創るなど、世界に類例のない「命を大事にする文化」を持つ国を建設することを、右の一大国民会議のメインテーマにすべきだろう。