五箇条の御誓文


我国未曾有(みぞう)の変革を()さんとし、朕()を以て衆に先んじ、天地神明に誓ひ、(おおい)(この)国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆(また)(この)趣旨に基き協心努力せよ。
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日本文化の研究者・ドナルド・キーン氏の著書"Emperor of Japan"の中で、五箇条の御誓文を次のように英訳している。

Oath in Five Articles


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1868年3月14日、明治天皇は、神々に誓約するという形で新しい国家の方針を表明された。その前年、第15代 将軍の徳川慶喜は大政奉還を行い、続いて王政復古の大号令が発せられた。政権の奉還が成り、王政復古を宣 言された明治天皇は、理屈の上からは、専制君主となって独裁政治を行うこともできた「朕は国家なり」と称 したフランスのルイ14世のように…。
しかし、明治天皇はそれを望まれなかった。
ここで誓われた言葉は「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」であった。
日本は、独裁国家ではなく、立憲君主国家としての道を歩むことを宣言したのである。