日本、あれやこれや その27  7

平成18年7月

 1日 憲法の国民的矛盾1. この憲法は戦争状態の延長線上と言える占領中に作成されたものである。米国が日本の弱体化を狙って占領軍の押し付けたもので日本の為のものではない。 @日本建国精神が欠けている。
A日本古来の歴史と伝統を否定している。
B国民の安全を守る自衛隊を日陰者にしている。
 2日 憲法の国民的矛盾2.

C.亡国への道のように基本的人権を過度に保護している。

D.非常事態の於ける規定が皆無である。
E.左翼とか暴力革命家のほくそ笑む内容を持っている。
 3日 憲法の国民的矛盾3. 人類の人権と、個人の人権の理想をうたっているが、中間の家・社会・国家に関する配慮が欠けている。 日本の伝統である家族制度を破壊する目的としている。
 4日 米国式発想憲法

憲法第18条、奴隷的拘束、苦役からの自由、或いは第36条の、拷問と残虐刑禁止事項は、日本の古来から無い制度を指摘している。

自衛隊の活動、PKОの海外協力なども満足に果たしえないし、環境問題などにも触れない欠陥憲法である。
 5日 なぜ憲法が改正できないか 東京裁判と、日本国憲法は表裏一体で仕組まれたものだからである。 昭和27年平和条約が締結され独立国になった以後も、日本政府は軍事裁判の不当性、無罪、冤罪性を指摘し、無効宣言を行っていない。東京裁判の判決は現在でも友好に生き続いている。
 6日 なぜ憲法が改正できないか2 戦後、世界各国は何度も憲法改正している。米国は18回、ドイツは43回スイスは119回、ノルウェーは139回と言われる。 日本は60年前のままの世界最古の憲法であり世界の物笑いの愚かな憲法である。
 7日 なぜ憲法が改正できないか3. 憲法改正できないのは国民が、戦争犯罪の原罪のトリコになっているからである。 原罪とは、東京裁判により刷り込まれた「侵略戦争の罪」、「植民地支配の罪」そして「残虐性の罪」の三悪である。この原罪の罪の償いとして与えられた憲法というバイブルである。
 8日 マッカーサー原罪 先述の三悪原罪は「マッカーサー教」によるものである。三悪は全てデッチアゲであると証明すれば原罪から脱出できる。難しいことではないのだが、戦後日本には、左翼偏向の共産党・社民党・進歩的文化人、日教組、そしてマスコミが護憲を叫んで、頑固に反対を叫び続けると いう奇妙な社会である。
彼らは、改正賛成派に、右翼とか、戦前の軍国主義、いつか来た道に戻るとか、危険思想のタカ派とか、右翼と決めつけてブレーキをかけてきた。近年はそれも通用しなくなっているがまだ誑かされている人々が多い。
9日 マッカーサーのマインドコントロール 憲法前文には、今後日本は一切悪はしませんと世界に誓いの言葉がついている。この憲法が、自己の悪さを反省し、償い、誓いの謝罪憲法となついるのである。第九条ほど侵略者にとり都合のい条文はあるまい。外敵から国を守れない憲法になっているからである。

中国・韓国にとり好都合のものであり、だから彼らは内政干渉してまだ憲法改正を阻止するプロパガンダをする。憲法改正に反対する勢力はみなそのような反日グループと断定してよい。

10日 謝罪を国是とする国の末路 戦争相手の米英が賠償金も取らずに、密かに謝罪している。日本が戦後一貫して謝罪し続けているのは、日本の四人組である。特に日本の反日マスコミが以上の事実を知っていたが国民に 知らせる義務を怠っていることにある。彼ら四人組、社共両党、進歩的文化人、労組、マスコミは占領憲法のままが中国等左翼に好都合だからである。彼らこそ糾弾しなくてはならぬ。
11日 パール博士 インドのパール博士と言えば東京裁判でその非合法性を指摘し全員無罪とした方である。博士は広島原爆碑の前に立ち
「あやまちはくりかえしません」という誓いの文字を見て、これはアベコベではないか、ワシントンのホワイトハウスの前に立てるべきだと警告して去られたという。
原爆を落としたのは明らかにアメリカ、日本では原爆を作ることも、使うこともしていない被害者であるのに反省かるのは不可解であり滑稽でさえあるのに気付かぬ日本人。
12日 世界の物笑い 同様に日本各都市で「平和年宣言」「平和の誓い決議」もおかしい。被害者の日本でいくら誓っても、侵略者が反省しない限り、全く無意味で空しい行為である。 泥棒や強盗にやられた被害者が、泥棒に謝っている姿は、世にも不思議で世界の物笑いである。
13日 占領政策の転換

マッカーサーの日本占領政策の「日本無力化」が突然、日本育成・協調政策に転換したのは、昭和25年に突如発生した朝鮮動乱からである。

日本に自衛隊の創設を認め、日本を防衛の協力者、同盟国に育てようとしたからで、アメリカとは自国益のために豹変する国である。
14日

ソ連・中国とアメリカ

中国とソ連は対日的には、アメリカの連合国側であった。共産国のソ連が北朝鮮を唆して韓国に侵入させたものであり、中国とソ連の代理戦争であった。それまでは、中国とソ連はアメリカの味方と考えて、北に対して何らの防衛もしていなかった。 ここで初めてマッカーサーは、カって日本が戦った日清戦争(対シナ)、日露戦争(対ロシア)を一緒にしたものを日本に代わってアメリカ軍が戦わされているのに気がついた。
15日 マッカーサーの確信 マッカーサー元帥は、朝鮮戦争で、日本の過去の戦争がすべて中国とソ連に対する自衛の為のものであったと確信した。 これを契機にアメリカ自身もスターリンの「孫子の兵法」の罠にかけられていた事に気がついた。これから米ソ冷戦の始まりとなる。アメリカの真の敵は日本ではなくソ連であった。
16日 対日賠償放棄の理由 折角、アジアの防共の一大勢力となっていた日本を、アメリカは滅ぼしてしまった。その結果、中国大陸は全て共産国に編入され、ベトナム戦争という二つの戦争でアメリカは日米戦争 以上の20万人以上の被害を受けることになつたのである。この反省からアメリカはサンフランシスコでの対日講和条約にソ連の参加を拒否し日本への賠償も放棄したのである。
17日 自主独立国の基本権 第一は、歴史の自己解釈権。
第二は戦争権
(開戦権、交戦権)
第三は、憲法の自己制定権である。この三つの基本権がほとんど否定されているのが日本であり到底独立国と言えない。
18日 歴史教科書 自国の歴史教科書を近隣諸国にお伺いを立てて決めてもらう。そんなことをすれば、他国に有利なように歪曲されるのは当たり前であるる これほど愚かな国が世界にあったのか。さらに「自虐史観」を正当と考えるのは自らを精神障害者か、敵の謀略以外は考えられない。
19日 戦争権 国際法で定められた独立国家の最も重要な権利である。国民の生命財産を守れないのは国家ではない。 日本は侵略されても戦えないように、自ら縛っておくというのは国家とは言えない。
20日 憲法 現憲法は明白に、戦時下の敵の都合で押し付けられたもので、日本国民自身の手で制定したものではない。 国際法違反憲法である。これを60年間一行も改められない愚かさはアンデルセンの裸の王柵である。
21日 大東亜戦争とは 2千年の日本歴史にこれ以上の大事件はない。また人類5千年の世界史からも大東亜戦争以上の大事件は見当たらない。この戦争は北はアリューシャンから南はオーストラリア、ニュージーランド、東はハワイからアメリカ、西はインド洋と地球のほぼ半分以上にまたがった。
この戦争の評価は、個々の戦闘の勝敗でなく、目的は何であったか、次に如何に戦ったか、そして結果はどうであったかで検討されるべきである。先ず、目的は「白人支配からの人類解放
の聖戦」であり、結果は「植民地民族のすべてを解放」は地球の地図が一変する程の大成功であったと言える。日本民族は、それではいかに戦ったかであるが、それは明治・大正・昭和一ケタ生まれの日本人一億人が、あれ程、全智全能を尽くして立ち向かった戦争は過去に無かった。遠く南洋の島々で、酷寒の北の島で、大陸の広野で、一身を国に捧げて特攻精神で、生命を賭して、あれ程勇敢壮絶に戦ったことはない。
22日 大東亜戦争とは 当時、白人帝国主義の巨大な勢力に立ち向かえる民族は、有色人種では日本人以外にはなかった。敢然と有色人種代表として戦ったのである。サンフランシスコ条約で昭和27年講和条約を締結した時、48ヶ国もの多い相手と調印したことは、当時全世界の最強豪の白人勢力ともこれにゴマ摺りの国々を加えて殆ど全世界を向こうに廻して奮戦、激闘したこととなる。

その、勇敢、壮烈さは世界の驚異であった。
日本歴史上空前絶後の戦いぶりであったのであり、なんら恥ずべきところはない。日本はこの戦争で唯一原爆の洗礼を受けたが、日本は人類を代表して二度とこのような忌まわしい禍が起こらぬようにイケニエの犠牲になったのであり、人類最後の最終大戦争、ハルマゲドンであったのだ。

23日 近世の人類解放の三大革命 「産業革命」と「フランス革命」と「大東亜戦争」である。産業革命からは労働からの解放、フランス革命からは、自由と平等である。
そして大東亜戦争からは、有色人種40億人が白人の奴隷支配から解放されたと言えるのである。偉大な歴史である。
24日 負けて勝った大東亜戦争 有名な軍事学者のクラウゼ・ヴイッツの戦争論、「戦争に勝ったか負けたか否かは、その目的を果たしたかどうかで決まる」と。英国の学者は大東亜戦争に勝ったのは日本で、負けたのは英国だと判定している。 その通りで七つの海を制覇していた英国は、大東亜戦争の結果、その全てを失い、一島国の昔になつたのである。フランス、オランダ、スペイン、ポルトガルも植民地を追われ五百年前に戻ったではないか。
25日 アメリカの失敗 日本との戦争で勝ったアメリカ、ライバル日本を押し潰して、狙い通りアジア大陸の覇権と市場の独占を得たのか、それはノーである。日本を押し潰したお陰で中国大陸はすべて共産主義の支配下に入ってしまった。その上に朝鮮戦争、ベトナム戦争で日米戦争以上の莫大な犠牲を 払ってしまった。アメリカはスターリンによる敵同士を戦わせる孫子の兵法のワナにかかり完全に嵌められ長い冷戦という重荷を背負わされた。アメリカにとの日米戦争とは何か、目的を果たすことなく、空しい結果のみ残ったことになるのではないか。
26日 終戦の詔勅 昭和天皇の終戦の詔勅、そこには戦いの目的が「大国の自存」と「東亜の安定」であり、敵が原爆の如き残虐な新型爆弾を国際法を犯してまで非戦闘員の国民の上に無差別に使いだした。この惨害をこれ以上広めない為に戦いを終わらせねばならぬ。国体の護持の条件が認められたので「堪えがたきを堪え、忍び難きを忍んで、万世のため太平を開かん」と終戦を決着されたのである。 この昭和天皇のお言葉の中には、無条件降伏とか、侵略戦争で迷惑をかけてすまなかったとかの謝罪、反省の文言は一行も入っていない。飽くまでも戦争を終わらせるためで、戦争に負けたとか謝るとかの卑屈な言辞は無い。実に堂々たる態度で国民に語り、今後も国体の精華を発揚して世界の進運に遅れをとるなと国民を励ましておられる。
27日 世界史上の奇跡 昭和20815日、終戦に関する前代未聞の「玉音放送」により天皇自ら終戦の詔勅を国民に告げられた。この聖断により一億国民と広く海外従軍中の陸海軍が同時に戦闘をピタリと止めた。これを「承詔必謹」といい世界史上希な出来事と言える。天皇と国民が常に共にあるというのが日本本来の姿であり、 それが日本の国柄である。これにより外国のようなテロもなく、冷静に天皇に従った。これを見たマッカーサーは、これ程の従順な国民があるのかと、天皇国家の偉大さに感動して、「一兵も殺さず、一発の銃撃もなは、降伏を終わらせた例が世界のどこの歴史にあっただろうか」と述懐した。
28日 昭和天皇 天皇は占領後間もない927日、自ら進んでマッカーサー元帥を訪問された。「戦争の責任は私一人にある。私の生命は元帥にお預けする。飢餓にあえぐ国民を救ってくれるように」と願われた。 マッカーサーは当初命乞いに来たのかと思ったが、陛下の純真、善良なお人柄と、ひたすら国民を思う心情に感動したのである。
29日 昭和天皇 身はいかになるとも 戦とめにけり ただ倒れゆく 民を思いて 喜びも悲しみも民と共にして 年は過ぎゆき 今はななそぢ (昭和40年、70)
30日 昭和天皇の服喪 第二次世界大戦の英雄、米国のルーズベルト、英国のチャーチル、ソ連のスターリン、中国の蒋介石、ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニなど全て没した後まで長命で生き残られ、戦後の日本復興にまで貢献された。天皇の偉大さは更に大葬の礼で実証された。 日本の服喪は二日間であったが、外国では三週間に及ぶ国もあった。大葬の礼には、世界193ヶ国の元首や大統領が冬の寒い東京に参集した。これは史上空前という。更に、スリランカ、スウェーデン、パラグァイ、パナマの諸国は大喪の日を休日にして半旗を掲げて服喪した。かっての植民地民族にとり昭和天皇は救世主であったのだ。
31日 大東亜戦争総括 半世紀経過して回顧すると上述の通り米国はその目的を殆ど果たしていない。 日本は開戦の目的、@アジア植民地解放A経済的繁栄B平和的安定国家の建設の三つを完全に果たしたこととなる。日本は「負けて勝った」のである。