日本人の心の古典   徳永圀典の「小倉百人一首」その一 7

鎌倉時代初期までの歌人百人について、一人一首ずつ集めた和歌集。藤原定家編、1235年頃完成。定家が嘉禎元年1235年、勅撰集の中から、百人の歌人について、各一首ずつ選んだ。当初、ふすまに歌を書くことを目的としてもので、後に手を加えられて完成。京都嵯峨にある小倉山の麓の別荘で選ぶ作業をした言い伝えから、この名がある。
古今和歌集からの採用が24首と最も多く、また歌の内容では、恋の歌が43首、季節では、秋の歌が16首と多い。後代の和歌を習う人の手本とされ、また江戸時代以後は、歌かるたの遊びとして親しまれてきた。平成18年7月1日

 1日 天智天皇

秋の田のかりほの(いほ)(とま)をあらみ我が衣手(ころもて)は露にぬれつつ

秋の田の仮小屋は、(とま)ぶきの目が粗いので、わたしの袖が夜露にぬれ通しだ。(万葉集)

 2日 持統天皇 春過ぎて夏()にけらし白妙(しろたえ)衣干(ころもほ)すてふ(あま)の香具山 春が過ぎていつしか夏が来たらしい、香具山が白い衣を干しているように見えると。(新古今和歌集)
 3日 柿本人麻呂 (あし)()きの山鳥(やまどり)()のしだり尾の長々(ながなが)し夜をひとりかも寝む 山鳥の長くたれ下がった尾のように、長い夜を今夜もひとり寂しく寝るのかな。(万葉集)
 4日 山部赤人 田子(たご)の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺(たかね)に雪は降りつつ 田子の浦に出て眺めると富士の高嶺()に真っ白に雪が降り積もっている。(新古今和歌集)
 5日 猿丸(さるまる)太夫(たゆう) 奥山(おくやま)紅葉(もみじ)()み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき 奥山で散り、敷いたような紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くと、秋はいっそうもの悲しくなるよ。(古今和歌集)
 6日 大伴家持 (かささぎ)の渡せる橋に置く霜の白きを見れば()()けにける (かささぎ)が渡したと伝えられる宮中の御階(みはし)(階段)におりる真っ白な霜を見ると、夜も更けたんだな。(新古今和歌集)
 7日 安倍仲(あべのなか)麿(まろ) (あま)の原ふりさけ見れば春日(かすが)なる三笠の山に()でし月かも 大空を遥かに眺めると月が見える、ああ、あの月は故国、日本の奈良の三笠山から出た月と同じであろうか。(古今和歌集)
 8日 喜撰(きせん)法師(ほうし)

わが(いほ)(みやこ)のたつみしかぞ住む世を宇治山(うじやま)と人はいふなり

都の東南の地で、心静かに(いおり)暮らしをしているのに、世の中がもの()いから宇治山に住んでいると人は噂しているらしい。(古今和歌集)

 9日 小野(おのの)小町(こまち)

花の色は移りにけりないたづらに我が身()にふるながめせしまに

桜の花は、もう色あせてしまった、降り続く長雨に物思いしているうちに。人生の儚さのようだ。(古今和歌集)
10日 蝉丸(せみまる) これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂(あふさか)の関 これが、まあ東北へ行く人も、都に帰る人も、ここで別れて、知る人知らぬ人が逢うという逢坂の関所なのか。(その他勅撰集)
11日 小野(おのの)(たかむら)

わたの原八十島(やそしま)かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまの釣り舟

海原を、数々の島を目指して無事に船出したと、都に残してきた人々に告げてくれ、釣り船の漁夫たちよ。(古今和歌集)
12日

僧正(そうじょう)遍昭(へんじょう)

(あま)(かぜ)雲の(かよ)()()吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ 天の風よ、雲の中の通路を閉じておくれ。(天に帰っていきそうな)舞姫の姿をしばし留めてみたい。(古今和歌集)
13日 陽成院(ようぜいいん) 筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる 筑波山から落ちるみなの川が深い淵となるように、私の恋も深くなってゆく。(その他勅撰集)
14日 源融(みなもとのとおる) 陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり(たれ)ゆえに乱れ()めにし我ならなくに 奥州(おうしゅう)信夫郡(しのぶごおり)(福島県)から出るもじ()りの模様の乱れたように、あなた一人のために心が乱れてしまった。(古今和歌集)
15日 光孝(こうこう)天皇 君がため春の野に()でて若菜(わかな)()むわが衣手(ころもで)に雪は降りつつ あなたのため、春野へ若菜を摘みに出たが衣の袖に雪がふりかかってきた。(古今和歌集)
16日 在原(ありはらの)行平(ゆきひら) 立ち別れいなばの山の峰に()()るまつとし聞かば今帰り()() お別れして因幡の国(鳥取市)へ行くが、因幡山の松のように「待つ」と聞いたら、すぐに帰ってくるからね。(古今和歌集)
17日 在原(ありはらの)業平(なりひら) 千早(ちはや)ぶる神代(かみよ)も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは 神代の話にも聞いたことがない。竜田川では流れて行く紅葉が水を紅色に絞り染めするとは。(古今和歌集)
18日 藤原敏行 (すみ)()の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ()人目よくらむ 住ノ江の岸に寄る波のように,夜見る夢の中の恋の通ひ路まで、どうして人目をさけようとするのであろうか。(古今和歌集)
19日 伊勢 難波潟(なにわがた)短き芦のふしの()も逢()でこの世を過ぐしてよとや 難波潟の芦の節の間のように短い間さえも、あなたに会わずに一生を終えよというのですか。(新古今和歌集)
20日 元良(もとよし)親王(しんのう) わびぬれば今はた同じ難波(なには)なる身をつくしても()はむ(わん)とぞ思ふ

切ないのはどのみち同じだから、難波の澪標(みおつくし)のように身を尽くしてでもも会いたい。(その他勅撰集)

21日 素性(そせい)法師(ほうし) 今来()と言ひしばかりに長月(ながつき)有明(ありあけ)の月を待ち()でつるかな 今すぐ来ようとおっしゃったから、長い九月の有明の月が出るまで待ち続けましたよ。(古今和歌集)
22日

文屋(ふんやの)康秀(やすひで)

吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ

吹くとすぐ秋の草木がしおれるので、それで山風を荒らし()というのであろうか。(古今和歌集)

23日 大江(おおえの)千里(ちさと) 月見れば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど 月を見ると数限りなく物悲しい。私一人のために訪れた秋というわけでもないのに。(古今和歌集)
24日

菅原道真(すがわらのみちざね)

このたびは(ぬさ)も取りあへず手向山(たむけやま)紅葉の(にしき)神のまにまに こんどの度は幣の用意がないので、神よ、手向山の紅葉の錦を幣として受けてほしい。(古今和歌集)
25日 藤原(ふじわらの)定方(さだかた) 名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られて来るよしもがな 逢坂山のさねかずらの名の通り、人知れず会いに行く手立てがないのか。
26日 藤原(ふじわらの)忠平(ただひら) 小倉山峰(をぐらやまみね)のもみぢ()心あらば今ひとたびの御幸(みゆき)待たなむ

小倉山の峰の紅葉よ、心があるなら今一度天皇がおいでの日まで散らさずに待っていておくれ。(その他勅撰集)
27日 藤原(ふじわらの)兼輔(かねすけ) みかの原わきて流るる泉川(いずみがわ)いつ見きとてか恋しかるらん みかの原の泉川のように、いつもなぜ君がこうも恋しいのであろうか。(新古今和歌集)
28日 源宗干(みなもとのむねゆき) 山里(やまさと)は冬ぞさびしさまさりける人目(ひとめ)も草も枯れぬと思へば 山里の冬の寂しさは格別だ、訪れる人もなく、草も枯れてしまったかと思うと。(古今和歌集)
29日 (おお)河内(こうちの)躬恒(みつね) 心あてに折らばや折ら()初霜(はつしも)の置きまどはせる白菊の花 あて推量で折るなら折ろうか、初霜の白さで見分けられなくなった白菊の花だよ。(古今和歌集)
30日 壬生忠峯(みぶのただみね) 有明(ありあけ)のつれなく見えし別れより暁ばかり()きものはなし 有明の月もあなたも、私につれなかったあの別れ以来、夜明けほど辛いことはなかつたよ。(古今和歌集)
31日 .坂上(さかのうえの)是則(これのり) 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 ほのぼのと夜が明ける頃、有明の月かと見間違える程に、吉野の里に降る白雪だ。(古今和歌集)